進:八
午後の稽古には間に合った。
いつもより調子が良く、宗次郎でさえも負けさせた。
「平助ぇ。お前、どうしたの?」
汗だくの顔を手拭いで覆い、鬱陶しいような顔で言うのは宗次郎。
「平助な、コレができたんだ」
悪戯っぽく片目を瞑って、新八は小指を立てる。
「殴るよ」
「殴ってから言うかよ」
左頬を押さえて新八が喚いた。
「仲良くなってきたか?」小突いて言うのは左之助だ。
「まだそんな事言えないよ。早速嫌われたかもしんないんだからさ」
平助の発言に、皆が目を丸くする。
「えっ……お前、どんな口説き方しちまったんだ?」
にやにやしつつ新八が言う。
「口説いてない!」
「へー。色恋でそんなに舞い上がれるなんて、平助もまだまだガキだね」宗次郎はつまらなそうだ。
「舞い上がってない!」
「まぁ、俺はそういう類の話は苦手なモンでね。楽しんで下せえ」
そう言った宗次郎は、手拭いを乱暴に肩に引っ掛け、すたすたと道場から出て行ってしまった。
「お前、宗次郎怒らせたぞ」
一瞬冷たい空気が漂った道場に、新八の声が響いた。
「俺は何も悪い事ぁ言っとらん」
左之助は知らぬふりをする。
「後でのされるかもな」
「やめてよ新さん、怖い事言うなんていけず」
「でよ、どうだったんだ?」
道場には三人以外に誰もいないのを良い事に、新八は平助の首に引き締まった腕を回してニカッと笑う。
「怖いよ新さん……!」
「おい、俺は何も言ってない」
「見られてたんだ」
「何を」
「俺が、人を斬るところ」
「何言ってんだよお前……」
「悪い冗談よせ」
慌てる新八に、真顔で言う左之助。
「冗談じゃない。俺は、人斬りだ」
「人斬りって、おめぇ……」
「歳さんから聞いてないの? 斬ったんだ。怒りのままに。 そんな姿 見られたくなかった」
腕を胸の前で交差して自分を抱きしめ、震える身体を止めようとする。
何を言えばいいかわからず、驚き、悲しみの目で見つめる新八と左之助。
「笑ってくれたから俺は何も気にしなかったけど、今考えたら、無理して笑ってたのかな?」
不安気に眉を下げ、泣きそうな顔の平助の頭を新八は乱暴に撫でた。
「新さん?」
「俺ぁロクな事ぁ言えねぇがよ、理由はどうあれ笑顔は笑顔だ。それ見てテメェが嬉しい顔すりゃ嬉しく思うだろうよ。嬉しく思ってくれたなら、いいんじゃねぇか?」
「でも……」
「ああ、ぐだぐだすんな。そんなに気になるんなら聞いて来りゃいいじゃねえか」
頭をかきむしり、苛立つ新八は平助の頭を押す。
「平助も男じゃろ。好いた娘は信じられんか?」
左之助が真面目な顔で新八に同意する。
「……ごめん、なんか自分の事ばっか考えてた。ハルちゃんを信じてみる」
元来の素直な平助。照れたような表情でにっこりと笑い、水で絞った手拭いで顔を拭う。
「その調子だぜ、平助」
片目を瞑って白い歯を見せる新八は頼もしげだ。
「早う仲良くなって俺らに紹介しろやい」
左之助がからかうものだから、平助は真っ赤になった顔を手拭いに埋めた。
■■■
軽やかに弾む足音
風になびく髪
「ハルちゃん!」
「平助さん」
「ごめん、稽古長引いた」
「一生懸命でいいじゃないですか」
そんなありきたりな会話が愛しく感じる。ハルの顔を見る平助は目を細めて微笑む。
「行こうか」と歩き出す目的地は甘味処。
平助が毎回菓子を持って来るものだから、ハルにとって甘党の印象がついてしまった。「平助さんに行ってもらいたくて」と誘われたのだった。
「確かに俺は菓子は好きだけど、甘党ってわけじゃないからね?」
「でも、お好きなんでしょう?」
「うん。試衛館にはね、もっと甘党な奴がいるんだ。俺と同い年なのに、もう免許皆伝もらった奴なんだけどね……」
平助が楽しそうに話す試衛館の事。幸せそうな平助を見ると、自然と微笑んでしまうハルだ。
しばらく歩けば目的地に到着する。老舗であろうその風情と、見た目よりも広い店内。がやがやと響く客や店員の声は、店の人気を表している。
「ここの餡蜜は天下一品ですよ」
「じゃ、餡蜜にしようかな。…それと、団子を」
「またお団子?」
「さっき話した甘党の奴へのお土産だよ」
平助の、そんなさり気無い優しさ。そんなところがハルは好きだ。
楽しい、愛しい時間はあっという間に過ぎてゆく。
手土産の団子を片手に、蝉の鳴く空の下をぶらぶらと歩く。ハルを家へと送り、次に会う約束をして にへらとした顔で試衛館へ帰る。帰れば、新八と左之助にその日の報告。ほとんどがのろけ話になってしまうが、二人は平助をからかいながら楽し気に聞く。
そんな──想いをはっきりと伝えないままの日々は、瞬く間に過ぎていった。