魔王取扱い説明書
魔王と対峙する勇者アルの手には勇者の剣ではなく、チョコバーが握られていた。
「貴様。どういうつもりだ? 我をなめているのか」
といいながらも魔王はチョコバーに視線を落としていた。
ふん。お前がこいつを大好物という情報は知っている。しかも最近、食べられなくてイライラしていることもな。
ここは魔王城の最上階。
魔王は先代の父が亡くなり、即位した娘で、見た目はツリ目のお胸ぺちゃんこ幼女である。ただ、魔族の証である、頭から左右に伸びる大きな角、背中には体を覆うことができるほどの大きな翼がついていた。
「いや、俺はいたって本気だ。魔王。このチョコバーがほしいか?」
「え? くれるのか? ……い、いや、騙されんぞ! 我を物で釣り、油断したところをズドン! という流れであろう。クックック。その手には乗らんぞ、じゅる」
よだれ垂れまくりな幼女魔王はまったくの説得力ゼロだった。
よし。もうひと押しだな。
「バカなことをいうな。チョコバー一本? ちっちっち甘い甘い。チョコバー十年分だ」
「じゅ、じゅじゅじゅ十年、だと……」
魔王はがくっと膝を折った。苦しそうに胸元を手で押さえている。
「くっ……。卑怯な……。我にそんな残酷な選択を迫ろうとお前はしているのか? チョコバー十年分と魔族の運命……できぬ。我にはそんな非情な選択など……」
「よく考えることだ。チョコバーをとるか、魔族をとるか」
「魔王様」
ぬるっと背後から現れたのは側近の魔族だった。紳士風の男で、背は高い。眼鏡をかけ、知的な印象を与えている。「ふっ」とかキザっぽいセリフを吐きそうなくらいだ。隠れて観戦していたのだろう。
「おおっ! お前か。勇者のやつ、チョコバー十年分くれるなどと卑怯な提案をしてきたのだ」
「しっかりしてください。チョコバーなど、勇者を倒し、人間たちを支配すればいくらでも作れるではありませんか?」
「おおっ! 確かにそうだ!」
魔王は立ち上がり、びしっと勇者に向かって指をさした。
「貴様! よくも騙そうとしたな!」
いや、気づけよ。
しかし、こうなってからでは、奥の手を使うしかあるまい。
「俺を倒して、チョコバー量産? ふん。甘いな。チョコバーのチョコより甘い」
「な、なんだと!」
「俺の帰りが遅ければ、チョコバー工場は爆破されることになっている。そういう段取りはもうついているのさ」
嘘だった。
俺が戻らないとチョコバー工場爆破とか意味不明だった。しかし、バカな魔王は悩み始めた。
「くっ……。そういうことか。さすがは勇者。そんなことも手配済みとは……」
「ま、魔王様。しっかりしてください。奴は嘘をいっている可能性大です。だいたい、爆破する理由がわかりません」
「それはもちろん、こういう状況になったときへの対処だ」
「馬鹿げている! 魔王様、もう奴の言葉に耳を貸す必要はありません。攻めましょう。魔王様のお力なら勇者など敵ではありません」
「んぐぐぐぐ……。わかった」
「わかってくれましたか! よかった」
「我、魔王は勇者に降参する!」
「……は?」
側近の魔族は石化していた。
そりゃそうだろう。たかがお菓子十年分で降参する魔王だ。俺が部下だったら「血迷ったか」といって殴り倒し、反旗をひるがえすところだ。
「あ、あの。魔王様?」
「チョコバーの魔力に我は敵わなかった。くっ。恐ろしきお菓子よ」
こうして魔王の降参宣言により決着はついた。人々は勇者が血と汗と涙で、必死の戦いを繰り広げて勝ったと思っているようだ。お菓子で交渉したと考える奴は一人もいない。
勇者アルは見た目、体格とも印象に残らないほどの普通力を持っていた。腕力並、魔力並、父が勇者だったという理由だけで勇者に抜擢された。そんな勇者だからこそ、今回の勝利だった。力では勝てないから頭を使うしかなかったのだ。
それでもまさかチョコバーで心が折れてくれるとはな。
勇者は一人、城の廊下から朝の城下町風景を眺めていた。故郷に帰っていたが、王から話があるといわれて城に直行した。傍に鎧を着た衛兵がやってきた。
「勇者様。王がお呼びです」
「すぐに行く」
謁見の間に入ると、玉座に座った白いヒゲの王が座っていた。
「よくきてくれた。わざわざ呼び出してすまない」
王は気を使っているようで、愛想笑いしていた。頼みがあるのだろうとすぐにわかった。
「勇者アルよ。魔王が負け世界は平和になるかと思えたが、どうやらそうはならんようじゃ」
「どういうことですか?」
アルには以前から違和感があった。「これで平和になる」と口々にいう人々の言葉だ。一つのことが解決すれば全て丸く収まるほど、世の中は単純なのだろうか。その答えは王の口から出される。
「各地で魔族が集まりだしていると報告を受けている。人との争い件数は減るよりむしろ増える一方。放置しておくと第二の魔王が現れるのも時間の問題じゃ」
「なるほど」
恐れていたことが現実となっていた。
「魔王を倒しても真の平和は訪れない。ならば勇者アルよ。魔族との共生のために活動してくれぬか? 具体的には魔族たちを説得し、人を襲わないようにするのじゃ」
「あいかわらずの無茶ぶりですね」
王はわざとらしく咳をした。
「すまない。頼りになるのはお主しかいないのだ。もちろん、こちらからの協力は惜しまない」
「魔族が勇者である俺の話に耳を貸すとは思えませんが?」
「そうじゃな。そこはなんとか考えてほしい」
丸投げかよ。
ていうか、もう俺、大役果たしたし、ビーチに別荘でも建てて余生をすごしたいんですけど、なんでこんなことになるかなあ。
「同じ魔族なら、話を聞くかもしれぬが……」
同じ魔族……。あ、いるじゃないか一匹。
「魔王は今、地下にいますか?」
「うむ。いるが……まさか、お主」
「そのまさかですよ」
地下へと続く階段を下っていく。ひんやりとした空気が流れ、足音が響いた。
牢屋の中では幼女魔王クルスが口を半開きにして横たわっていた。手首には魔法を使えなくする特殊なリングがはめられている。
牢屋の外に立つアルの両手にはチョコバーが握られている。好物を目にしたクルスは鉄格子にしがみつき、目をきらきらさせ、よだれを垂らしていた。まるで腹をすかせた犬のようだ。
「チョコバー、くれるのか?」
「ああ、ほれ。あげた」
アルは両手をあげた。クルスはなんのことかわからずフリーズしていたが、くだらないギャグだと知ると歯をむき出しにして睨んできた。
「いや~。このチョコバーはうまいなあ~」
片方のチョコバーを台の上に置いた。もう一方の包まれた袋を開封し、中の茶色い棒状のお菓子にかじりつく。
「ああ! わ、我のチョコバー!」
「うまいうまい。外側は程よく固く、中はサクサク。う~ん。美味だ」
「き、きき貴様! チョコバー十年分という話は嘘だったのか!」
必死に伸ばした手がチョコバーを狙うが、アルはひょいっとかわした。動いた振動で、チョコバーのかけらが床に落ちた。
「ん~ん~!」
クルスはそのかけらを必死に手を伸ばして取りに行く。
そんなに飢えているのかお前は。だが甘い。
アルはかけらを踏みつぶした。
「おっとすまん。なにか踏んだようだ」
「う……うぅ……」
クルスの目に涙が浮かぶ。
さすがにいじめすぎたか。
「しょうがないな。ほれ」
台の上にあったチョコバーを差し出すと、光の速さで奪われた。クルスは焦るように袋を開き、中身の棒にかじりつく。二口でなくなった。
「もうないのか?」
「今日はこれだけだ」
「嘘つきめ!」
「何をいっているのかわからんな。十年分というのは継続して十年、今日から毎日一本ずつあげるということだ」
「違う! 十年分というのは、一気に十年分だ!」
「わかったわかった。そう怒るな。ここにきたのは、お前に用があったからだ」
「む。なんだ? 嘘つきに貸す耳など持ってないぞ」
「お前はここにずっといるからわからんかもしれんが、一旦散り散りになった魔族たちが集まりだしている。人に危害を加えるためにな。その魔族たちをお前が説得してほしい」
「なんで我がそんなことを」
「お前が適任だろ。元魔王なら話を聞くはずだ」
クルスはぷいっと顔をそむけた。
「我にはもう関係ない」
「しょうがないな。じゃあ、俺は毎日ここにきて、お前の目の前でチョコバーを食べてやる。もちろん、お前には一粒もあげない」
「な、なんだと!」
「手伝ってくれるならチョコバー二十年分だ」
「ほ、本当か! いや、騙されぬぞ! そういっておいて、今日から二十年分だというさっきのパターンだろ!」
クルスはビシっと指をさしてきた。
さすがにそこまでバカじゃないか。
「……クックック。黙っているということは図星なのだろう。なんとかいってみろ!」
ここで下手に出てはいけない。こういう奴はすぐ図に乗るからな。
アルはお菓子で釣る作戦を変更することにした。
「じゃあいいや」
「え?」
先ほどまでの余裕の笑みを浮かべていたクルスだったが、とたんにきょとんとしたマヌケ顔になった。笑ってしまいそうになるが堪える。
「あ~あ~。せっかくお前を助けようとしてたのにな~」
「ど、どういうことだ?」
「いやな。実は王様がお前を近日処刑するっていったんだよ。そのとき、俺は『ちょっとまってください!』って必死に止めたんだ。だって可哀想だろ? だから、俺なりにお前を生かしてやる方法を考えたんだ。『魔王はまだ役に立ちます!』って王様にアピールしたら、それならと処刑をやめてくれた。それをお前、自分から突き放すとは思わなかったわ~。ないわ~。がっかり。これでお前の顔見るのも最後だな。じゃあな」
階段のほうへ行く素振りを見せると、案の定、クルスは引っかかった。
「ま、待て! そういうことだったのか!」
「え? なに? まだ何か用でもあるの?」
「お前……そんな良い奴だったんだな。すまん。誤解してた」
クルスはしょんぼりと肩を落とした。その様子を見て、アルは内心ほくそ笑む。
ちょろい。あまりにもちょろすぎて保護したくなってきた。天然記念物だろこいつ。
「じゃあさっきの件、引き受けてくれるか?」
「む……。も、もちろんだ。だが、チョコバーは毎日くれるのだろう?」
「ああ。一日一本な」
こうして魔王と勇者の新たなる旅が始まったのだった。