魔石店ノア
まどろみからふっと意識が持ち上がる。
ああ、眠い……、でも起きとかなきゃ……。
エメリアは眠気覚ましのためにも、やっぱり歩こうと思った。
お店で働かせてもらいたくて行くのに、抱えられたままの恰好じゃダメだよね。それにこの人にもずっと抱えて歩いてもらうのも申し訳ないし……。気合い入れ直さないと。
エメリアは呼びかけようとして、まだ相手の名前を聞いていなかったことに今更ながら気づいた。
「あの、私エメリアと言います。今更ですけど、あなたの名前を教えていただけますか?」
やや緊張しながら男の顔を見上げる。自分から話しかけるのは結構勇気がいる。ずっと引きこもっていたからなおさら。
思っていたよりも顔が近くて、少し顔が赤くなってしまう。視線が泳ぐ。
ややつり目がちな黄金の瞳が、エメリアを貫く。
エメリアは知らず知らずのうちに息を止めていた。あまりにも綺麗で。
濃い青の髪に金の目。整った顔と本人の雰囲気もあってか、いささか近寄りがたい。
あれ、そういえばこの顔どこかで……。うーん、なんか大事なことだった気がするんだけどな……、まあいいや、そのうち思い出すよね。
「アルベルト」
「アルベルトさん、やっぱり下ろしてください。私、自分で歩いて行きたいんです」
「………わかった」
「ありがとうございます」
アルベルトはそっとエメリアを下ろした。
ちょっと震えたが今度こそは大丈夫で、しっかりと立つことができてほっと息を吐く。
再び魔石店ノアへと歩みを進めた。もうすぐのはずだ。
それにしても……ふむ、アルベルト……、どこかで聞いたことのある名前……。
それにしても、アイリと並ぶとすごくお似合いだろう。まるで乙女ゲームの攻略キャラのよう。……ん? あ! この人攻略キャラだ!
乙女ゲームの舞台、レイテット王国の魔法学園。そこに剣を教えに現れるのがこのアルベルト。難易度は一番高いだろう。
確かそう、魔法専門のヒロインとは校舎が別なので、全く接点がなく、学園外での実習で初めて出会うのだ。アルベルトはヒロインが戦闘で使う魔石に興味を持ち、そこから物語が始まるという流れだったはずだ。
しかし、この学園外の実習にアルベルトが来るとは限らない。アルベルトが来るのはかなりの低確率で、それ以外は普通のムキムキした冒険者のオッサンだった。そう、運が必要なのである。難易度の高さの理由の半分がこの確率のせいである。残りは普通に攻略の難易度だと言われていた。
この機会を逃すと、近づくチャンスは二度とない。ゆえに、プレイヤーたちは何度も何度も挑戦しては、キラン☆と歯を光らせて登場するオッサンに苛立ちを覚えた。
エメリアも頑張ってはいたが、結局アルベルトルートに入ることすらできずに死んでしまった。
うあああ、私のあの努力が今、報われた……!
生前の、何度も何度もやり直しては涙を飲んだ記憶がよみがえってくる。
これだけでも家を飛び出した価値があったというものだ。
エメリアはこの乙女ゲームの絵がものすごく好みだったのだ。のんびりした雰囲気がよく出ていて、心が穏やかになる絵だった。特にアルベルトはエメリアの好みそのもので、発売された画集にのっているのをよく眺めていた。人気はすごく高かったと思う。
そういえば、アルベルトルートに入るのに必死になって、他のキャラのこと、最後まで進めてなかったかも。ちゃんとやっておけばよかった。あんまり思い出せない。
と言っても、思い出した時にはすでに記憶がぼやけてたんだけど……。さらに年月経って薄れていくし、ちゃんと思い出したこと書き残しておけばよかった。……今更後悔しても、後の祭りなんだけど。
「着いたぞ」
その言葉に、ハッと意識を戻す。
そうだ、私の今の目的はアルバイトして、経験を積んで、魔石職人になること。
本来の目的を見失ってはならない。
エメリアは店を見上げた。大きめのガラス越しには、様々な商品が並べられ、何人かが手にとって品定めしていた。
緊張しながら、そっと扉を開ける。カランッと来客を告げる小さな鐘が鳴り響いた。
「いらっしゃいませー。 あら、アルベルトじゃない。久しぶりねぇ!」
出てきたのは気の良さそうな明るい女の人だった。心なしか周りの空気も明るくなった気がして、エメリアは眩しげに目を細めた。
アルベルトはここへ何度か来ていたようで、二人で話し込んでいた。
「……っと、ごめんなさいね、話し込んじゃったわ。あなたは初めて見る顔ね」
店内をきょろきょろと見回していたエメリアは、慌てて女の人の方へ向いた。
「はい! あの、商業ギルドで、住み込みで魔石関係のお店を探していると言ったら、ここを紹介されたんです。雇っていただけませんか……?」
「ああ、依頼出しておいたやつね」
必死の表情で女の人を見上げる。女の人はしばらくあごに手を当てて考えた後、にっこりと笑った。
「まずはあなたのことを聞かせてくれる? それからあなたを雇うかどうかを決めるから」
「はい! ありがとうございます!」
よ、よかった。門前払いじゃなくて……。よし、ここからが勝負!
エメリアは静かに気合を入れ直した。
「それじゃ、奥の部屋に入ってくれる? レジは旦那に頼んでくるから 」
「はい」
あの人、結婚してたんだ……。
ちょっとした事実に驚きつつ、奥から出てきた男の人を見つめた。
メガネをかけた優しそうな落ち着いた人だった。穏やかな空気が女の人とよく合っている。
目があうとにこりと微笑まれて、反射で微笑み返した。
エメリアは女の人に誘導されて、奥の部屋へと入った。