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【二日目】3 子守と初陣

第二章にあたる【二日目】パート3です。パート8まで続きます。

     3


「蛇だね」

「蛇だな」

 ジャスパーはショートソードを構え、そろそろと前進した。その動きを追って大蛇が頭を動かした。先の割れた細い舌が口から飛び出ては戻る。距離を測っているのだろう。明らかに臨戦態勢だ。

 曲がり角の先で大蛇はとぐろを巻いている。緑と茶色の縞に覆われた胴体はおそらく三メートル前後。無数にある空気穴から入ってきたものか、ダンジョン内で成長したものかは分からないが、いずれにせよ倒さないことには先へ進めそうにない。

 エドワードは腕組みしたまま動かない。

 ――オレたちでやれってことか。

 左手の盾を前面に、右手のショートソードはやや後ろに。基本の構えを維持しつつ、ジャスパーはじりじりと距離を詰めた。突きでは胴体に当たりそうにない、となれば切り払う方が――

 唐突だった。鎌首をもたげていた大蛇の頭が、瞬時に眼前に迫った。

「うわっ」

 反射的に盾を横に払い、大蛇の頭を左に弾く。無防備な胴体が目に入った。あれを斬れば勝てる!

「右に離れや!」

「え?」

 突然の指示にジャスパーの動きは止まった。何を言っている? あとは剣を振りぬくだけ――

 腕と胸と背中に、強烈な圧迫感と鈍い痛みが走った。絡みつかれたと理解した時には身体の自由が奪われており、大蛇の頭が頭上にあった。

 ――喉を噛まれたら負けだ。

「アトリ、眠――」

「こぉのぉぉっ」

 エドワードの指示はジャスパーの咆哮じみた大声にかき消された。

 ジャスパーは渾身の力で両肘を突っ張った。大蛇の鱗が軋みを上げ、締めつけが緩んでいく。やがて大蛇の胴体はジャスパーの身体をずるずると滑り落ちた。

 大蛇はジャスパーから距離を取り、再び狙いを定めようと頭を持ち上げた。その頭を横から矢が射抜いた。大蛇は頭を地に落とし、それきり動かなくなった。

「すごいよルピちゃん、よくあんな小さな的を狙えるね」

「……せめてルピニアちゃんにせんか、力抜けるわ」

 ちょっと語呂が悪いなあ、などとつぶやくエルムにげんなりしたルピニアだったが、弓を下ろすとジャスパーを睨みつけた。

「離れや言うたやろ、絞め殺されたいんかあんたは!」

「あのまま斬っていれば勝てたんだぞ!」

「あ、あの、二人とも喧嘩は……」

 アトリは小さく声を上げたが、言い争う二人の剣幕には到底かなわなかった。

「少し待ってみようよ、アトリちゃん」

 エルムは楽しそうに笑っていた。ジャスパーが本気で怒っていないこと、口喧嘩にすぐ飽きることをエルムは知っていた。今は何よりも親友の無事が喜ばしかった。



 ――旦那が目をかけるわけだぜ。

 エドワードはひそかに全身の緊張を解いた。

 本来、大蛇は初心者が戦うべき相手ではない。大蛇の動きは素早く不規則で、人間の常識が通用しない。もしあれが毒蛇だったなら、最初からアトリの魔法で眠らせて始末していただろう。

 しかしエドワードは、ジャスパーが訓練で見せた反射神経と勘に賭けた。大蛇の初撃を盾で弾き返した動きは期待以上のものだった。

 計算違いだったのはルピニアの的確な状況判断だ。弾いた大蛇が絡みついてくると見抜き、とっさに離れるよう指示を出す。反撃で頭が一杯になっていたジャスパーが混乱するのも無理はない。

 ジャスパーが絡みつかれた際、エドワードは眠りの魔法を指示しようとした。ジャスパーを巻き込んでも大蛇さえ眠ってしまえば救出できると判断したためだが、まさか力ずくで束縛を解いた挙句、実戦で蛇の頭を正確に射抜くといった芸当が見られるとは思わなかった。

 ――こいつら、経験を積めば面白え冒険者になるな。

 ようやく口論が収まりつつある二人を眺めながら、エドワードは含み笑いした。



 次の通路にはコウモリの巣があった。エルムの持つ火に驚いたのか、無数のコウモリが一斉に飛び立ち五人の視界を埋め尽くした。

「こいつら……!」

 ジャスパーは闇雲に剣を振ったが、相手は小さい上に高速で飛び回り、狙いも定まらない。剣は空を切るばかりだ。

 エルムもたいまつを振ってコウモリを追い散らそうとするものの、火が離れれば再び群れが寄ってくる。

「これじゃきりがないよ」

「仕方ない、引き返すか」

「それでもいいけどな。この先に階段があると言ったらどうする?」

 エドワードは動じた様子を見せず、にやにやと笑っている。

「アトリ頼むわ、武器じゃ無理や」

 アトリはうなずいて頭上に杖を掲げた。

「睡魔の術を使います。気をしっかり持ってください。――〈闇の抱擁、安らぎのしじま。舞え、眠りの精〉」

 杖が一瞬輝いたと思うと、ジャスパーは猛烈な眠気に襲われた。体が重くなり、ぐらりと世界が揺らぐ。ジャスパーは頭を振って強引に眠気を払った。

 周囲を飛びまわっていたコウモリが次々と落下し、一帯は唐突な静寂に包まれた。

「ふう。効果抜群やな、抵抗するんはきつかったわ」

「いえ……みなさんを巻き込んですみません」

 ルピニアはいまだ頭を振っている。アトリは申し訳なさそうに身をすくめた。

「あの状況じゃ仕方ねえ。魔力は抑えたんだろ?」

「はい」

「手加減なんてできるのか」

 ジャスパーは感心しきりだった。訓練場で同じ術を体験した時は、眠気に耐えられず床を舐めた。今回はどうにか立っていられたが、アトリが本気で術を使っていたらコウモリと一緒に眠っていたに違いない。

「あんたらの剣と違うて、魔法の手加減は簡単なことやなくてな――」

「ん、ちょっと待てよ。みんな後ろに下がって、火花の術で倒してもよかったんじゃないか?」

 ルピニアの講釈をさえぎり、ジャスパーは疑問を呈した。火花の術は、空中から突然いくつもの火の玉が飛び散る魔法だ。いくら素早いコウモリでも完全には避けきれまい。術を数回使えば群れを一掃することも可能だろう。後先を考えれば、この場でコウモリを倒してしまう方が得策ではないのか。

「でも、この子たちは虫を食べる普通のコウモリで、わたしたちには無害ですから」

「優しいんだな」

 ジャスパーは苦笑しつつ剣を鞘に納めた。

「ま、どうせこの先は行き止まりだ。無理に倒す必要はねえさ。奥の壁を確認したら戻るぞ」

「ひどいよ先輩、それなら言ってくれればいいのに」

 エルムが口を尖らせた。しかしエドワードの意地の悪い笑みは止まらなかった。

「あれくらい対処できねえでどうする。訓練だと思え」

 ――しかし初めての実戦で手加減とは恐れ入るぜ。本当に初心者かよこいつ?

 エドワードは内心でアトリの採点を終え、通路の奥へ歩みを進めた。



 五人は広間に戻り、野営ポイントに荷物を下ろした。炭の残骸と焦げ跡が地面に残っていた。

「いったん休憩だ。昼メシ食ったら二階へ下りるぞ」

「お肉のスープだね。お湯沸かすよ♪」

 エルムは細い金属の支柱を立てて鍋をかけ、その下に練炭を並べて火を点けた。ほどなく沸騰した湯に塩漬け肉を入れ、調味料をひとつまみ加える。

「あんた、ほんまに器用やな」

 ルピニアは素直に感心した。火の扱いや調理の手際良さ、さらには戦闘時の動きまでも含め、エルムには器用という言葉がぴったりと当てはまる。彼なら大抵のことはそつなくこなすだろう。何が楽しくて笑顔を絶やさないのか、また何を考えて女装などしているのかは不明だが、とりあえず自分に害が及ぶとも思えない。その点さえ割り切ってしまえば、冒険の仲間として実に頼りになる存在だ。

「おいジャス公、まだ役に立ってねえのはお前だけだぞ。肉くらい切り分けろ」

「任せろ」

 ジャスパーが目を輝かせた。反発を予期していたエドワードは拍子抜けして目をしばたいた。

「本領発揮だね」

 エルムが楽しそうに大皿とナイフを手渡した。

 ジャスパーはほぐれた肉を皿に取り上げ、骨を中心に一回転させた。肉の凹凸を真剣な目つきで確認し、ナイフを入れる。肉を骨からこそぎ落とす手つきは、エドワードらの思いのほか丁寧だった。

 意外な一面もあるものだと、ルピニアはしばし黙って眺めていたが、彼が脂身まで肉から分離し始めたのは看過できなかった。

「何しとるんやもったいない。そこ捨てるとこやないで」

「捨てるなんて言ってない。まあ見てろ」

 ジャスパーは空中に指先で何本か線を引いた。どう切るか見定めているようだった。やがて納得したようにうなずくと、ジャスパーは肉と脂身を五つに切り分けて取り皿に分配した。

 ルピニアは順番に取り皿を持ってみた。どの皿も重さにまったく差が感じられない。きわめて正確に五等分されていると認めざるを得なかった。

「どうだ。文句あるか」

「はあ……褒めてええんか、呆れてええんか分からんわ」

「どうでもいい特技があったもんだぜ」

 ため息をつくルピニアと呆れ顔のエドワードの横で、アトリはかすかに吹き出してくすくすと笑い始めた。

「アトリちゃん、やっと笑ったね」

「す、すみません。なんだかおかしくて」

 アトリは口元を押さえたが、こぼれ出る笑みは止まらなかった。

「お手柄だよ、ジャスパー♪」

「……せやな。今回は認めたる」

 エルムはにこやかに笑いながら、ひどく複雑な表情のルピニアから目をそらした。ウチの苦労はなんやったんや、というぼやきをエルムの耳は捉えていた。

「なんか納得いかないぞ」

 不満そうなジャスパーをよそに、アトリは控えめに笑い続けていた。



 五人が食休みを取っていると、広間の入り口方向から賑やかな音が近づいてきた。数人分の話し声と足音、金属同士がぶつかり合う音だ。

「なんだありゃ」

 広間に入ってきた集団を目にしたジャスパーは、思わず眉根を寄せた。

 鎧や武器など、その出で立ちは一見して冒険者の集団と分かる。しかしまるで落ち着きのない話し声や、装備品をうるさく鳴らす歩き方は何なのだろう。同じ初心者の自分でも、あの連中よりはましだと思ってしまう。

「よう、エド。お前も子守か?」

 集団の先頭を歩いていた男が手を上げた。

 人間の若い戦士だ。エドワードより大柄で、重そうな鎖かたびらを着込んでいる。腰に下げた剣も長く大ぶりだ。この男だけが静かに落ち着いて歩いており、残りの少年たち五人は物珍しそうに周囲を見回し、思い思いに言葉を交わしていた。

「ケインか。そっちもお疲れさん」

「お互いこき使われてるな」

「まったくだ。お前らも二階か?」

「おう。こっちは大サソリの尻尾だ」

 エドワードはにやりと笑い、指先で自分の鎧を突いてみせた。

「刺されるなよ」

「そんなヘマするかよ。先に行かせてもらう」

 エドワードに答え、ケインと呼ばれた男は後ろの五人を振り返った。

「階段はこっちだ。他の通路はスカだから間違えるな」

「はーい」

 緊張感の感じられない返答をしつつ、五人の冒険者たちはぞろぞろとケインの後をついて行く。喧騒はやがて通路の奥へと遠ざかっていった。

「……ねえ先輩。あのひとたちって」

「子守だ」

 エドワードの返答はそっけない。

「子守とか言いたくなるんも分かるわ。ぺちゃくちゃと締まりのない連中やったな」

「そうだな、剣も鎧もガシャガシャうるさ――」

 言葉の途中でジャスパーはあることに気づき、口をつぐんだ。しかしルピニアの口は止まらなかった。

「他人事みたいに言っとるけど、あんたも昨日はあんな感じやったで。ようアルディラはんがダンジョン行きを許したもんや。だいたい、」

「他人のやり方に口を挟むんじゃねえ」

 エドワードの口調は静かだが、有無を言わせぬ鋭さがあった。

 ルピニアはばつが悪そうに黙り、食器を片づけ始めた。

 ジャスパーとエルムは顔を見合わせ、静かにうなずきあった。

 あれが子守だ・・・・・・。おそらく自分たちのように、一階から丁寧に回るような先導は異例なのだ。

 ――金貨十枚って、本当は多すぎるんじゃないか?

 ジャスパーは訝しんだ。通常の先導はケイン程度の世話しかせず、報酬も相応の金額でしかないのだろう。その証拠に、先導を渋っていたはずのエドワードは報酬を聞いた途端に依頼を快諾し、懇切丁寧に四人を指導している。彼に提示された金額はその労力に見合う価値があるに違いない。

 といって、バートラムが彼ら四人の先導に高額の報酬を提示した理由については、ジャスパーには見当もつかなかった。

「もう腹は落ち着いただろ。こっちも動くぞ」

 荷物をまとめ始めたエドワードにならい、四人は黙々と出発の準備を進めた。



「ん?」

 ふと違和感を覚え、ジャスパーは後ろを振り向いた。エルムが同じ方向を見つめ釈然としない顔をしていた。

「ジャスパーにも聞こえたの?」

「音、だったのかな。よく分からない」

 ジャスパーは首をかしげた。背筋に何かを感じたような気はするが、その正体が音だったのかどうかと聞かれると明言できなかった。

「どうかしたんか?」

「足音か何かが聞こえた気がしたんだけど……」

 ルピニアは二人が見つめる方向を見やった。視線の先には初心者集団が入っていった通路があるが、これといって何の音も聞こえない。目を凝らしても人影らしきものは見つけられなかった。

「誰もおらんようやけど」

「さっきの連中が騒いでやがるんだろ」

 エドワードはすでに準備を整えて四人を待っていた。

「それにしては静かだったよ。ボクの聞き違いかなあ」

「お前に分からないんじゃ仕方ない」

 エルムとジャスパーは首をかしげながらも、急いで荷物を背負った。

 犬の〈ルーツ〉を持つジャスパーが嗅覚に優れているのに対し、〈ルーツ〉がリスであるエルムはとりわけ聴覚が鋭い。そのエルムが断言できない物音を、ジャスパーが聞き分けられる道理はなかった。

 ジャスパーは先行するエドワードを急ぎ足で追いかけた。アトリを追い抜いた際、ちらと見えた彼女の表情は固かった。

 少し引っかかりを覚えたものの、ジャスパーは先を急いだ。アトリは次の階層へ向かうにあたって緊張しているだけかもしれない。それならパーティの隊列を乱してまで尋ねることではない。優先して考えるべきことは、次の階層にどんな魔物が徘徊しており、どんな戦い方を求められるかだ。

 最後尾を歩くアトリは両手が白くなるほど杖を握りしめていたが、そのことに気づいた者はいなかった。

パート4へ続きます

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