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まだ一週間

濃緑色の絨毯の上に広がった無数の銀の糸が、青い月の光を受けて薄く煌めいている。

その隙間から覗くヒューマンよりも一回り大きく尖った耳が、エルフの血を継いでいる事を示している。

うつ伏せているためその顔は分からないが、髪の長さ、線の細さからみて女性だろうか。時折ピクッとバンザイ状態の手足が動くことから、一応存命はしている様だ。現時点では、という意味で。


――ザシュッ!


幾度となく振り下ろされた鎌が、倒れ伏しているその背にまた吸い込まれる。


ギラギラと茶色い眼を光らせ、両前足が二十センチメートル程の麻痺効果付きの鋭利な鎌になっているイタチに似た魔獣、ウィズール。

個体差はあるが、全長約六十センチメートルの身体を緑の短毛で覆い、草原や森などに数匹程の群れで生息している。狩猟時は周囲の茂みなどに同化しながら距離を詰め、四方を囲み、死角からの素早さを生かした一撃を加え即離脱し、獲物が麻痺し動きを止めてから仕止めにかかるという戦闘スタイルだ。


エルフを取り囲んでいる内の一匹が黒い鼻先を近づけヒクヒクと匂いを嗅ぎ、残りの四匹は鎌を突き立てる場所を変え腕や脚などを狙うが、何の効果も視られ無い。

いつもならば、一撃を与えれば皮膚が裂け、血と、その臭いがするのに、この時ばかりは何かがおかしいと揃って首を傾げる。


「……ん、……うぅ。」


未だ横たわったエルフから、くぐもった声が溢れる。ビクッとしつつも、瞬時にその場から飛び退くウィズール達。「未知の敵だ!」と充分に警戒しながら距離をとり、先程まで乗ったり鎌で突いたりしていた物体を凝視する。


「うぅ、頭ガンガンする……。」


のっそりと、弱々しい声と共に上半身を起こし隠されていた顔が月光に照らされ露になった。

数時間前に六万円課金し、そのままレベル上げに勤しんでいたルナリリアだ。


「ヤバ……もう、ムリ……。」


ボソッと呟いた後は早かった。視界に入った一番近くの木まで駆け寄りしゃがみこむ。


「うぅぇ……、うぉろろろろろろ……」


大きく開いた桜色だった唇も、今は青紫に変わり体調の変化を顕著に示している。その間から流れ落ちる液j――自主規制――の固形b――自主規制――飲み込まれたままn――自主規制――自主規制――。




「あぁ、まだ頭ガンガンする……。けど、ちょっとマシにはなったなぁ。」


アイテムボックスから取り出した聖水で口をゆすぎ、吐瀉物と一緒に上から土を被せ処理をした後、この乗り物酔いの様な不快さを治める為に少し離れた場所で腰を下ろす。


「ふーっ。まさかここで吐くと思わへんかったなぁ。しかも処理が面倒くさいし。リアルやったらトイレで流すだけやから……えっ!?……ゲームで吐く??」


木にもたれ、新しく出した聖水で喉を潤しながら気分を紛らわそうと、愚痴りだして気が付いた。


「ヤバい!こっちで吐いたってことは、向こうでも吐いてるってことやん!?セルリシアたんが!!セルリシアたんの抱き枕先週買ったばっかりやのに……まだ一週間も経ってないのにアカンてっ!?うゎマジかぁ~、寝ゲロとかマジ最悪。奇跡的に顔が反対向いてるとか、ベッドの下に落ちてたりして無傷でありますように。」


上野歩が「セルリシアたんは俺の正妻!!」と豪語する程に大好きで、彼一番のお気に入り絵師:おにゃぶんさんによって描かれた彼特過ぎる奇跡の一品――大きいお友達の方々が集うお店で、税込:二万八千円。予約受注生産で販売された――が絶体絶命だということに気が付いてしまった。


嘔吐してから既に十数分が経過している。いつも通り、セルリシアたんの顔が自分の喉仏の位置にあるならば、致命傷だ。いや、即死もあり得る。


叶わないと知りながらも無事を祈りつつ、メニューウィンドウを開きログアウトボタンをタップしようとして、その指が動きを止める。


「ん?……あれ??」


見間違いかと、一旦メニューを閉じて新たに開くが見当たらない。他のページ、全ての項目も確認するが見つからない。

今こうしている間にも、表面の生地と中綿に水分と臭いが染み込んで手遅れになってしまうと、焦る気持ちからウィンドウを操作する手つきが荒れ、チッと舌打ちが漏れる。

ルナリリアの眉が僅かにピクッと寄るが、彼女の表情にそれ以上の変化は見られず、指だけが動く。


既に何十回と繰り返し一向に進展しない状況で、限界を迎えたルナリリアの雰囲気が一変した。

その瞬間、今まで茂みで息を殺し様子を伺っていたウィズール達が一斉に背を向け逃げ出した。


「ふふっ……フフフフフッ。」


ルナリリアが周囲の空間を歪め、視認出来る程の不機嫌オーラを纏い、ゆっくりと、無表情のまま立ち上がる。



――素直クール


アバター作成時に設定出来る表情変化の度合いは、最大値:五、最低値:一、デフォルトでの設定値は三になっている。数値が高くなるほど反映される表情は大袈裟に、数値が低くなるほど変化の乏しい無表情になる仕様になっている。


上野歩がルナリリアでのキャラ作りの為に選択したのは設定値:一の、ほぼ無表情に近いクールフェイスだ。


よくゲーム内で絡んで連絡を取り合う、ツンデレプレイする知り合い――ネカマ同志――が、素直クールに路線変更した時の二人での討伐は、お互いにほぼ無言だった。


たまに話かけてきたかと思えば、


「………ねぇ。」「……ん?。」


「ごめんなさい。こういうときどんな顔をすればいいかわからないの。」


「……笑えばいいと思うよ。」


「…………。」「…………。」


気まずすぎて笑え無い。――




左腰に携えた刀を抜きながら反転し、背を預けていた木に降り下ろす。


ズゥゥゥン!


刀を降った際に発生した余波が奥の木々も巻き込み、地に落ちる音が夜の森に響く。

不気味な笑い声をあげながら、木、地面、岩山へと進み見境なく刀を、時には拳や脚を振り抜き暴れる。



――

ルナリリアの人格、上野歩という男は、怒と哀の感情が薄い人間だ。精神的、肉体的に何をされても基本的には怒らない。実父の遺体を見たときも「うん、死んでる。」と確認しただけで、それ以外の感情も感想も出て来なかった。そんな彼が怒るポイントは只一点、今までに集めてきたフィギュア・雑誌・ポスター等の大切なコレクションに集約される。

軽度の潔癖症なコレクターなのだ。


まだ実家暮らしの頃、歩が仕事中に彼の母親が部屋を掃除してあげ、帰宅後それに気づいた彼がキレた時は、「俺のモノに勝手に触んじゃねーよ!!」と、リビングの六人で囲っても余裕のあるテーブルと付随の椅子が三脚、リビングと居間を隔てる木製の扉が素手により粗大ごみへと変貌した。


その翌日夜、謝罪と貯金を崩し修理代として二十万を渡し、母親には接触禁止を確約させ、和解した。この日、上野家で相互不可侵条約が制定された。

――



ズドォォォォン!!バゴォォン!!!


不気味な笑い声をあげる無表情な美少女が通った後は、局地的な災害現場になっている。


「どっせぇぇぇい!!」


ルナリリアが刀を振るう、それだけで森に穴が開く。積み重なった倒木を蹴り飛ばし、反転、走り出す。勢いそのままに右の拳を叩き付け、岩山を砕き、その衝撃で周囲の木々をも四散させる。



「フーッ、ハァーッ、はぁーっ、はぁー。」


一通り八つ当たりが済んだのか、肩で息をしながらも刀を鞘に戻しその場に座り込む。

ルナリリアのステータス値の高さが仇になったのか、彼女の周囲数十メートルには木々だけで無く、芝や草花までもが消え去り、陥没した地面と拳大にまで砕かれた岩山の残骸が所々にしか残っていなか。



およそ三十分、地面に寝転がり夜空を見上げ、気分を落ち着けていたルナリリアは身体を起こし、胡座をかいたままにもう一度刀を抜き、その刀身に映る自分を覗き込む。


「ログアウト不可なのは……、たぶん原始の泉であの黒い玉を倒したからかな?そこまでは覚えてて、起きた時は乗り物酔いの感じが凄かったなぁ。めっちゃ臭いタクシーに三時間くらい乗ったみたいな。うぇぇ、思い出したら気持ち悪くなってきた……。」


すー、はー、と深呼吸してリフレッシュし、アイテムボックスから回復ポーションを一つ取り出し、直ぐ使える様に蓋を開け目の前に置いておく。


「もし、トリップ系ならこっちもリアルになるから血とか出るハズ……。」


「よしっ!」と気合いを入れ、右手に握った刀の刃先を左腕に当て、引く。


「うっ……、イってぇぇぇ!!ポーション!あぁっ!?」


予想以上の激痛に刀を手放し、後ろに倒れ込んだ拍子に組んでいた足がほどける。回復ポーションの瓶がその足に当たり、中身を地面にぶち撒けた。

痛みを堪えながらまた新たに取り出し、一瓶全てを左腕にかけ、傷口が消えたのを確認する。


「ふぅ…、危なかった。まさかあそこまで切れ味良すぎるとは思わへんかったわ。刃先のほんのちょっとやのに骨までイきかけるとか……。」


左腕を擦りながら、腰に挿し直した刀に視線を落とし、ブルッと身を震わせる。


「ハァ。薄々思ってたけど、やっぱこっちがリアルになってたかぁ……。向こうに帰れるんかな?セルリシアたん、シャルテちゃん、フィールちゃん、アンジェちゃん、みゆかちゃん、まゆk――以下割愛――。」


空を見上げ立ち尽くし、聞き取れない程に小さな声で、ツーッと涙を流しながら、うわ言の様に呟くその姿は無表情と相まって、目撃した者全てに恐怖を与えるだろう。

幸い夜も深い時間帯で森の中、近くにいたとしたら先のルナリリアの八つ当たりの巻き添えを喰らい、恐怖を覚える前に存在が消失していたが……。


「まぁ、無事やったし傷も消えたからギリセーフで。とりあえず、今日寝れる所を探さなな。こういう時は洞窟とか洞穴があったりするから、そこで寝て続きは明日考えよ。」


そう言ってルナリリアは周囲を見渡し、遠目にまだ木々が多く生えていて山が在りそうな方へと向けて、月光に照らされ、青銀に輝く髪を背中で揺らしながらルナリリアは歩き出した。




彼女は知らない。

先ほど、その華奢な右の拳が砕いた岩山に、広い洞窟があった事を。

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