君の解せない物語
本作品は、作者が高校時代に所属していた文芸同好会の会誌にて掲載されたものです。
私にとって人生で初めて世に出た作品です。
全てにおいて理由・法則など存在しない。
事実はただそこに存在し、全てはそれに従う。
愚かな人間は抗うことすら許されないのだ──。
……。
…………。
………………。
終わりの始まりは突然だった。
唐突に光が溢れ、全ては白き絶望へと染まった。
死者の産声が聞こえる。久遠の叫び声が聞こえる。
サナメバ・ハヌヴォレッシーヌマンドゥは高らかに宣言した。
「ハヌヴォレッシーヌマンドゥ家に従属する者共よ。今ここに集え! 我、サナメバ・ハヌヴォレッシーヌマンドゥこそこの世を統べし者なり。新たなる神話の創造者なり!」
世界が震えた。
奮起の声。悲観の嘆き。神々の怒り。
俺は耐えられなかった。
前も見ずに走りつづけた。
何がどうなっているのか全く理解できなかった。
狂ったように走りつづける俺の横を、悲しみの奇跡が追い越していった。そいつは軽乗用車と融合すると五千八十三光年の高みへと消えていった。
その先には何があるのだろうか。俺はあえてそこを目指すことにした。
六百十一海里ほど進むと、十本足の蛸と八本足の大百足と百本足の烏賊に出会った。
彼らは最果ての地、『大日本帝国』からやってきたそうだ。
彼らとは意気投合し、そこでサナメバについての情報を教わった。
曰く、ハヌヴォレッシーヌマンドゥ家は、十五世紀初頭までは国内随一の貴族家であったが、同世紀中頃に起きたかの忌まわしき通称《ハルマゲドン》の波に押され没落。以後五世紀にわたって影を潜めていた。その為、人々の記憶だけでなく公式記録からもハヌヴォレッシーヌマンドゥ家の名は消え去った。
しかし、記憶に新しい六年前の《第二次ハルマゲドン》の混乱に乗じて、ハヌヴォレッシーヌマンドゥ家はかつての領地であったガリアを皮切りに侵攻を開始、人々の心理を上手く操り軍事力を格段に伸ばした。ハヌヴォレッシーヌマンドゥ家の侵攻は衰える事を知らず《第二次ハルマゲドン》勃発からわずか一年で北部ヨーロッパを制圧しセマリア帝国を建国、中央ガリアのマカナに首都を置いた。
それから二年後にはヨーロッパ全土の制圧を終え、それどころかオリエント地方やエジプリカ大陸にまで勢力を伸ばした。しかし同じ年の終わりに当時のハヌヴォレッシーヌマンドゥ家の当主、スゥマッラーユ・ハヌヴォレッシーヌマンドゥが遠征先のサウスアブリコで緑熱病に冒されて死亡した事により勢いを失い、国連軍の介入もあり遂にハヌヴォレッシーヌマンドゥ家の栄光に終止符が打たれた。
だが、ハヌヴォレッシーヌマンドゥ家の影響力が衰えることは無かった。ハヌヴォレッシーヌマンドゥ家を支持する者は依然多く、国際社会でも強大な発言力を持っている。そして、ハヌヴォレッシーヌマンドゥ家は未だに野心を抱いている。いつか必ず、世界の神になる。かつての栄光を取り戻すと。
そして今回、ハヌヴォレッシーヌマンドゥ家第七十四代目当主、サナメバ・ハヌヴォレッシーヌマンドゥは立ち上がってしまった。彼はこの世界を、いや、この全てを統べる神になろうとしている。
それを聞いた俺はいても立ってもいられなかった。
俺は多足生物トリオに別れを告げ、この大空に翼を広げ飛んでいった!
成層圏を舞う俺に、喜びの酸素が付いてきた。世界は俺に味方したのだ。そう気付いた俺はもう何も怖くは無かった。一気に俺は加速した。憎しみの息吹が酸性雨となって俺を襲うが、その時俺は黒き光となっていた。痛くも何ともない。これが俺の持てるチカラ。俺が俺たる所以。もう俺は、誰にも止められない。俺は五千八十三光年の高みに辿り着き、ようやくまわりを見渡す余裕が出来た。
五千八十三光年の高みから見下ろす下界はひどい有様だった。
時の流れは危機感の使者と闘い、大いなる福音は鏡の裏へと消えていく。十万三千冊の魔導書は一人の少女と融合し、瓶底の科学者は悪魔の弾丸に歓喜した。大地が裂け、その亀裂からは世界の肝臓が手を振っている。常識は人々に蔑まれ、忌まれ、捨てられた。神々は聖なる血を惜しげもなく浴び、下界の茶番に酔いしれた。秩序は完全に混沌に呑まれたのだ。
俺は笑った。そりゃもう嗤いまくった。こんなにも世界は脆かったなんて。滑稽だ。
だからこそ俺は、五千八十三光年の高みのその先へと歩み始めた。
その道程は苛酷だった。忘却の戦士に頸動脈を奪われ、創世のステープラーに目玉を二つ潰された。三つ目は無事だった。コンセントを引っこ抜いてやろうかとも思った。けれど、阿修羅様がずっと一緒にいてくださった。とても心強かった。このまま進んで良いのだろうかと迷ったとき、阿修羅様は教えてくださった。『迷った時は感情と直感で行動』と。それで俺の迷いは消え去った。
途中、様々な奴らに出会った。先ほど見た、悲しみの奇跡と軽乗用車の二人も見掛けた。
悲しみにくれる者、愛を叫ぶ者、栓を抜く者、髪を織る者、風に生きる者、空を割る者。
みな自分を見失い、光を見失っていた。今ここで、”生きている者”は、ただ俺ひとりだった。
しばらく行くと、隧道が現れた。世界の胎内へと続くトンネルが。
中は昏き闇で溢れていた。その闇は俺を飲み込もうとする。世界の全ての感情が、意識の奔流となって俺を襲う。負の感情と正の感情が混ざりあっているが、圧倒的に負の濁流が多い。これが世界の実状だった。苦しい、怖い、やめろ! どうして! 嘘だ!
俺は濁流に呑まれ、流され、気付いたときには隧道を既に抜けていた。遂に俺は、世界の中枢へと辿り着いたのだ。
「ふふふ、ようこそ。随分と遅かったじゃないか」
そこにはよそ行きの仮面を取っ払ったサナメバがいた。
「どうやら、この世界に”生きている”のは私たち二人だけのようだが。どうしようか」
知ったようにニタニタと唇を歪ませてサナメバが問うてくる。
答えは、決まっている。
「もちろん、壊しにいくさ。この世界を」
あとがき
現実とは理不尽なものでして、時に目の前にあるものを嫌でも受け入れなくてはならない時があります。
納得できない。こんなの間違ってる。そう思っていても、世の中多数派が正しい世界ですからそれが事実として認められてしまうのです。
そんな歯痒さを皆さんに味わってもらうべく、敢えて常識と秩序を網棚の上に忘れてきてしまった作品を書いてみました。
おっと申し遅れました。たかり侘助と申します。以後、お見知りおきを。
さて、続きを。
この作品の中で起きていること・表現は、事実であり間違いです。真っ当な考えをした人間が通常の考えをもって正面からうけとめようったってそうは問屋が下ろしません。
全てを否定することなく、あるがまま受け止める。濾過装置や分別機や色眼鏡やファイヤウォールやウィルス○スターもろもろ様々な外部オプションを全てアンインストールして幼き頃の無垢な心で直接受け止める。
そうすれば、今まで見えてこなかった何かが見つかるかもしれません。ウィルスの影響も直に受けますがね。
おっと、この作品を純粋な心で読んだって何にも見つかりませんよ。せいぜい言葉の面白さとか私の妄想力の異常さと方向性のおかしさ位です。一番意味の有る文章はこのあとがきだったりして。
閑話休題。
たとえば、宇宙人。
宇宙人なんて常識的・科学的に考えて存在し得ない。この考えを綺麗な心で見てみましょう。
宇宙はこんなにも広いんだ。宇宙人だって存在するかも知れない。
宇宙人を否定することは簡単にできます。常識を味方につければ。科学も引き入れれば鬼に金棒です。
しかし、それでは完全な否定とはいえないでしょう。だって全宇宙を隈なく捜索して宇宙人の存在しないことを確認した訳ではないのですから。しかしそれはどう考えたって不可能。つまり宇宙人が存在しないということは証明不可ということです。理屈を並び立ててゆけばそれらしく聞こえますがね。
一方で、宇宙人の存在を証明することは簡単です。宇宙人を連れてくればいいんです。それだけで証明は終了。一件落着。まぁこれも不可能な話でしょう。けれど、先ほどの考えですと広い宇宙のなか、どこかに宇宙人入るかも知れないということになります。つまり、宇宙人が存在するという可能性はすっとありつづけるのです。
存在の可能性を否定することは不可能なのです。悪魔の証明ってヤツですね。
長々と語ってきましたが、一体私が何を言いたいかというと、
『物事を広い目で、清い心で見、如何なる可能性をも考えて行動すべし』って事です。
それと、世の中を楽しく生きるためのコツを伝授しましょう。
ここは一つ、皆さんも変人になりましょう。変人のすヽめです。ひねくれた感性を持つことで見えてくる世界も多いですよ。
さて、なんとか作品の悲惨さをカバーできたかな?
実はこの作品、本来書こうと思っていた作品への布石、つまり前日譚でもあったりします。(今つなげました)あ、でも話の繋がりからすると前々日譚かな?
最初はこんなつもりじゃなかったんですよ! でも時間無かったから……。
次こそはきちん作品を書きます! 絶対に。あっ、でも手遊びにこれの続きを書いてみるってのも……だめですかね。だめですよね。
でも結局プロットは考えなきゃならんのか。
平成二十二年 八月末日
たかり侘助