私を捨てて妹を選んだ元婚約者へ。氷の公爵様に溺愛されて忙しいので、視界に入らないでいただけますか?
「──エレノア。お前との婚約は本日をもって解消する」
白亜の広間に、アルヴィン・セルウィン侯爵子息の声が響いた。
周囲の貴族が騒めく中、名を呼ばれたエレノアは一拍の間を置いてから顔を上げた。
「理由を伺っても?」
「お前は地味で愛想のないからな。リゼットの方がよほど私の隣に相応しい。上等な理由だろ?」
アルヴィンは頬を歪め、嘲るように嗤う。
彼の腕にしなだれかかるようにして立っているのは、エレノアの一つ下の妹──リゼット・クレスウェル。
蜜色の巻き毛に青い瞳。愛嬌たっぷりの笑みが張り付いている。
「ごめんなさいねぇ、お姉様。アルヴィン様がどうしてもと仰るものだから」
何一つ罪悪感のない謝罪。これを謝罪と呼んでものかは審議のところだが、とにかく周りの令嬢たちはエノレアに同情的な目を向けている。
──やっぱりこうなるんだ。
エレノアは、内心でひっそりとため息をこぼした。
アルヴィンがリゼットに夢中になっていることなど、半年も前から気づいていた。
夜会のたびに妹と踊り、妹に花を贈り、妹の冗談に笑う姿をずっと見てきたのだから。
だが彼女がそれを指摘する気にもならなかったのは、そもそもこの婚約が両家の利害で結ばれただけのものだからだ。
──まあいいか。これで肩の荷も降りる。
エレノアはアルヴィンに心を許したことがない。だから失恋のような痛みはない。
大勢の前で見せ物にされた不快さだけが、薄い膜のように胸を覆っているだけだ。
「承知しました。どうぞ妹を幸せにしてあげてください」
それだけ言って踵を返す。
背後でアルヴィンが鼻白んだ気がした。
「捨てないでください!」などと泣いて縋りつくエノレアを小馬鹿にすることを、期待していたのかもしれない。
──生憎、そんな役者じゃないんです。私。
エノレアは心の中で呟きながら、家に戻った。
これでしばらくは呑気に過ごせる。そう思っていたエノレアには、次の展開が待っていた。
「エレノア。お前にはフェルゼン公爵家に嫁いでもらう」
書斎で、父から淡々と宣告される。
「本来はリゼットが嫁ぐ予定だったが、事情が変わったからな。リゼットの代わりに、エノレアに行ってもらうぞ」
フェルゼン公爵家。
王都から馬車で二週間はかかる北方辺境の領地を治める家だ。そしてその当主は──
「『氷の公爵』ですか」
父は目を逸らした。母も黙って俯いている。
氷の公爵、ルシアン・フェルゼン。
強大すぎる氷の魔法を持ち、感情を持たぬ冷血漢。機嫌を損ねた使用人を文字通り氷漬けにされるなどと悪い噂が耐えない人だ。
社交界では「あの男のもとに嫁ぐくらいなら修道院に入った方がマシ!」とまで言われている。
「わかりました」
父が驚いたように目を見開く。
「抵抗はしないのか」
「妹の婚約者を奪われた以上、立場がありませんからね。北の辺境で静かに暮らす方がよほど気楽ってものです。凍らされないように大人しくしていればいいだけの話ですよね?」
父は何か言いかけたが、結局口をつぐんだ。余計なことをいって、エノレアが心変わりするのを嫌ったのだろう。
一週間後、エレノアは必要最低限の荷物だけを持って北へ向かう馬車に乗り込んだ。見送りに来たのは、幼い頃から仕えてくれた老侍女が一人だけ。リゼットも両親も姿を見せなかった。
老侍女が涙ぐみながら手を振るのに小さく手を振り返し、エレノアは馬車の窓に背を預けた。
景色が緑から白へと移り変わっていく。
──まあ、なんとかなるでしょう
世の中、大抵のことはなんとかなる。エレノアはいつもそう思って生きてきた。
§
フェルゼン公爵の屋敷は、白銀の山脈を背負うように聳える巨大な城だった。
壁も床も、氷の結晶を思わせる冷たい色合いで統一されている。窓から差し込む光が白い石材に反射して、廊下全体がうっすらと青白く輝いていた。
──美しい城
エレノアは素直に思った。
大広間の扉がメイドの手によって開かれる。そこにいたのは眉目秀麗な男だった。
銀灰色の髪が冬の月光のように淡く輝き、凍てついた湖を思わせる蒼い双眸がエレノアを射抜く。
整いすぎた顔立ちは精緻な彫像のようで、口元は真一文字に引き結ばれている。
これが、ルシアン・フェルゼン公爵。
「君がクレスウェル家の息女か」
「はい。エレノア・クレスウェルです。本日よりお世話にな──」
びしり、と音がした。
エレノアの足元から氷の結晶が這うように広がっていく。壁に霜が這い上がり、吐く息がたちまち白くなった。広間の温度が一瞬で十度は下がっていた。
「ひいっ──!」
背後で従者が悲鳴を上げた。
──これが噂に聞く魔力の暴走……
靴底から痛いほど冷気が伝わる。ドレスの裾に薄い霜が張りつき始めていた。
ルシアンの蒼い目が、じっとエレノアを見つめている。
だが少し妙に感じた。魔力の暴走にしては、ルシアンは妙に落ち着いている。
これは試されているのかもしれない。恐ろしい魔法の力を目前にすれば、怯えて逃げ出すだろうと。
「とても綺麗な魔法ですね」
エノレアがそう褒めると、ルシアンの瞳が揺らいだのが見えた。
ルシアンは口を開き何かを言おうとし、唇を閉じてはもう一度開きを繰り返している。
白い頬にうっすらと朱が差すのを、エレノアは見逃さなかった。
「……変わった女だ」
ようやく絞り出されたのはそれだけだった。
§
翌朝。
あてがわれた客室(暖炉の火がふんだんに焚かれた、辺境にしては驚くほど快適な部屋)で朝食をとっていると、メイドが何かを運んできた。
「公爵様からです」
銀の盆の上に載っていたのは手のひらサイズの氷の彫刻。
薔薇の花束を象ったそれは、朝日を受けて虹色に煌めいている。花弁の一枚一枚まで精緻に彫り込まれている。
その横に一枚の紙が添えてある。飾り気のない、角張った筆跡。
『花を贈るのが礼儀だと本にあった。だが私が花に触れると枯れるので氷で作った。不快であれば捨ててくれ。──ルシアン』
「……不器用な人」
自然とエノレアの口元がほころんだ。
朝食の後、エレノアは執務室を訪ねた。ノックをすると「入れ」と短い声が返る。
扉を開けると、ルシアンは山のような書類に囲まれていた。エレノアの顔を見た瞬間、彼の手元の書類の端がパリッと凍る。
「薔薇ありがとうございます。本物よりずっと素敵でした」
「…………そうか」
ルシアンは視線を書類に落とした。沈黙が続く。
ふと、執務室の窓の外で、ちらちらと小さな雪が舞い始めていることに気づいた。
「雪が降ってますね? 晴れているのにおかしいですね」
「……気にするな。たまにあることだ」
ルシアンに嬉しいことがあると雪が降るのだと、後で古参のメイドから聞いた。
そこからの日々は、エレノアにとって発見の連続だった。
ルシアンという人は、噂とは何もかもが違っていた。冷酷でも冷血でもない。ただ、強すぎる氷の魔力が常に体から漏れ出すせいで、幼い頃から人に触れることができなかったのだ。
母親に抱きしめてもらおうとして、母の腕を凍傷させてしまったのが五歳の時。以来、ルシアンは誰にも近づこうとしなくなった。
感情を出せば魔力が暴走する。だから表情を殺すことを覚えた。
そうして「氷の公爵」が出来上がった。
人を凍らせたという噂も真相は全然違う。
酔った客人がルシアンに剣を向けた際、防衛本能で魔力が発動してしまい、客人の足元を凍りつけてしまったのだ。その一件に尾ひれがついて「ルシアンは気に入らない者を氷漬けにする」という恐ろしい話に変わったのだという。
エレノアがそれを知ったのは、古い日記や使用人たちの断片的な証言を地道に集めたからだった。
ルシアン本人は何も語ろうとしない。きっと誤解されることに慣れてしまったのだろう。
だからエレノアは、言葉ではなく行動で距離を縮めることにした。
最初に変えたのは食事だった。
「ルシアン様、ご一緒させてください」
「やめておけ。私が近くにいると、料理日が冷える」
「構いません。冷めた料理も工夫次第で美味しくいただけるので」
「……勝手にしろ」
渋々という体で承諾したルシアン。
向かい合って食事を取る。だが、エノレアの料理が冷めることはなかった。
ルシアンが精密に魔力を制御して、エノレアに料理に与える冷気を抑えていたからだ。
「私が望んだことですので、無理なさらないでください」
「無理ではない。魔力制御の修練の一貫だ」
照れ隠しのような物言いに、エノレアは少し胸が跳ねるのを感じた。
食事を一緒に取る日々が続いたある日、エノレアは読者が好きだと話した。
すると、食事の後で書庫に連れて行かれた。
「本を読むときはここを使うといい。静かで読者向きの場所だ」
「この席はルシアン様の指定席だと聞いてますけど」
「私のことは気にするな。私はたまにしか本を読まない。利用頻度の多い者が最適な場所を使うべきだ」
嘘だ。
ルシアンが本を読み耽っている光景は、すでに何度も見てきた。
「では、こういうのはどうでしょう?」
そう切り出して、エノレアは椅子を一脚持ってきて並べた。
「私とルシアン様でこの場所を使うんです。私、誰かが近くにいる方が落ち着くので」
ルシアンは数秒間沈黙する。
エノレアが意外にも頑固であることは理解しているようで、反論はしてこなかった。
「わかった。好きにしたらいい」
「はい。好きにしますね」
以来、二人は毎日のように書庫で隣り合って本を読んだ。会話はほとんどない。ページをめくる音と、時折窓を叩く風の音だけが響く静かな時間。けれど出会った頃より少しだけ、ルシアンの表情が柔らかくなったとエノレアは感じていた。
そうした日々の積み重ねの中で、印象的な出来事がいくつかあった。
夕食時に、エレノアが何気なく「子供の頃に食べた氷菓」の話をしたところ。翌朝の朝食のテーブルに十二種類もの手作り氷菓が並んだ。苺、蜂蜜、葡萄、林檎、薄荷、花梨、桃、杏、木苺、柘榴、梨、蜜柑。
「えっと、こちらは」
「好みがわからなかった。今用意できる種類を作った。口に合うものを選んでくれ」
あとで料理長が後でこっそり教えてくれた。
「旦那様は昨夜から一睡もせず厨房にこもっておられました。味見をしてもご自分では温度がわからないからと、使用人を何度も叩き起こして……」
エレノアは全種類を一口ずつ味見して、「全部美味しいです」と答えた。
ルシアンは「そうか」とだけ言って顔を背けたが、窓の外にまた雪がちらちらと舞い始めた。
そして、ある晩のこと。エレノアが廊下で足を滑らせたとき(氷の城での生活にはこういう危険もある)、咄嗟にルシアンが腕を掴んで支えた。
そしてすぐに手を離し、弾かれたように一歩退いた。
「す、すまない。凍傷になっていないか? すぐに医者に──」
「落ち着いてください、ルシアン様。ほら、大丈夫です。ね?」
エレノアが腕を見せる。凍傷の兆候はない。
「そうか。ならよかった」
「ルシアン様は人に触れても大丈夫ですよ」
そう言って、エノレアはルシアンの両手を包んだ。
「離せ。凍傷になったらどうするんだ」
「なっていませんよ。それにルシアン様こそこんなに手が冷たい。これでは凍傷になってしまいます」
「私には生まれつき耐性がある。自分の魔法で凍傷になる人間などいない」
「でも、冷たいことに変わりはありません。私の手で温めて差し上げます」
ルシアンは瞳を揺らがせ、口をもごつかせる。
「人間の体温程度で、私の手を温めるなど不可能だ」
「でも心は温まると思います。人は触れ合うことで幸せなエネルギーが分泌されるそうです。本で読みました」
「私は幸せになろうとは考えていない」
「私はルシアン様に幸せになってほしいです」
エノレアがそう言って微笑むと、ルシアンは生唾を飲み込んだ。
「エレノア」
「はい」
「……いや、何でもない」
何でもないはずがないのだが、エレノアはそれ以上は聞かないでおいた。
§
一方その頃、セルウィン侯爵子息アルヴィンの領地は、目も当てられない有様になっていた。
「リゼット! 商会との交渉記録はどこだ!」
「え? そんなの知らないわ。お姉様がいつもやってたことでしょう?」
リゼットは寝台の上で高価な菓子をつまみながら、面倒そうに答えた。その指には、エレノアが残した余剰金で買った宝石の指輪が三つも光っている。
アルヴィンは頭を抱えた。
リゼットは華やかで愛嬌があり夜会の花形だった。だがそれだけだ。浪費だけは一人前で、エレノアが裏でやっていた根回しひとつできない。
「エノレアを……早くエレノアを取り戻さなければ!」
アルヴィンは奥歯を噛み締めた。
──記憶が正しければ、エノレアは「氷の公爵」の婚約者になったはずだ。
化け物の傍で、さぞ怯えて泣き暮らしているに違いない。アルヴィンが迎えに行けば、「私をここから連れ出してください!」と泣いて縋りついてくるはずだ。そうに決まっている。
そう思えること自体が、アルヴィンがエレノアという女を何一つ理解していなかった証拠なのだが、彼にはその自覚もなかった。
身勝手な確信を胸に、アルヴィンは馬車を北に走らせた。
§
フェルゼン公爵邸の庭園は、一面の銀世界だった。
だがよく見ると、その中にきらきらと光る花々が咲き誇っている。氷でできた花だ。薔薇、百合、鈴蘭、勿忘草。ルシアンがエレノアのために造った、決して枯れない花園。
エレノアがその庭を散歩していたときだった。血相を変えた若い従者が駆け寄ってきた。
「奥様! 門前にセルウィン侯爵子息と名乗る男が現れまして! 『私はエレノアを迎えに来た婚約者だ!』などと強引に押し通ろうと暴れている状況で、その……どういたしましょう?」
「騎士たちには手出し無用と伝えてください。ルシアン様の耳に入る前に、私が片付けます」
あの男のせいで、ルシアンの穏やかな時間が乱されるのは我慢ならない。
エレノアは正門の内側へと向かった。
門兵に取り押さえられそうになりながら喚いていた男が、エレノアを見つけて目を輝かせる。
「エレノア!」
アルヴィンが門兵を振り払い、雪を踏みしめながら近づいてくる。
長旅でやつれた顔。服装もかつての華やかさは失せて、侯爵子息の威厳はもはやない。だがその目だけは相変わらず傲慢な光を宿していた。
「俺がお前を迎えに来てやったぞ! エノレア、本当は俺を愛しているんだろう!? こんな辺境の化け物の城から救い出してやる! さあ、早く荷物をまとめろ!」
アルヴィンが自信満々に手を差し出してきた。
エノレアはその手を取らなかった。代わりに、ルシアンを彷彿とさせる冷ややかな目を返した。
「申し訳ありませんが、お引き取りいただけますか?」
「は、はあ?」
「あなたの顔を見るだけで反吐が出ます」
アルヴィンの表情が凍りついた。
「な、なんだと!? この恩知らずが! わざわざこんな辺境まで来てやったのに! あの氷の化け物がそんなにいいのか!」
逆上したアルヴィンがエレノアの腕を掴もうと、手を伸ばした。
その瞬間。
地面が爆ぜた。
凄まじい轟音とともに、アルヴィンの足元から巨大な氷柱が噴き出す。
前後左右、四方八方から鋭利な氷の槍が突き出し、指一本も動かせない檻が完成する。氷柱の先端がアルヴィンの喉元すれすれで止まり、下手に動けば命すら危うい。
「──私の妻に触れるな」
庭園の奥から姿を現したルシアンの全身からは、目に見えるほどの冷気が立ち昇っていた。
蒼い双眸は凍てついた刃のように鋭く、纏う威圧は一国の軍勢にも匹敵する。穏やかな読書家の面影はどこにもない。これが「氷の公爵」の本性──触れた者すべてを凍てつかせる、王国最強の魔法使い。
「ひ、化け物!?」
「その通り、私は化け物だ」
ルシアンが一歩進むたびに、氷柱がさらにアルヴィンに迫る。もう一寸動けば刃が肌を裂く距離だ。
「その化け物の妻に手を上げようとしたのは、ずいぶんと愚かな判断だったな」
ルシアンの声には怒りの熱すらなかった。
「セルウィン侯爵家。昨年度の領地税の不正申告。王都第三商会への未払い金、総額四万エクラ。領民への不当な賦役の強制。このうち二件は国法違反に該当する。すべての証拠は既に宰相府に提出済みだ」
アルヴィンの顔からサーっと血の気が引いていく。
「な、なぜ、それを!」
「エノレアがどのような経緯で嫁がされたのか、私は徹底的に調べたからな」
ルシアンの目が一瞬だけ刃金のような冷たい怒りを帯びた。
「エレノアを道具のように扱い、不要になれば捨て、都合が悪くなれば取り戻しに来る。その恥知らずな根性、凍らせば治るか?」
ルシアンがアルヴィンを見下ろす。
アルヴィンは恐怖に耐えきれず、白目を剥いて泡を吹く。そのまま気絶した。
§
騎士たちがアルヴィンを引きずって連行していく。
やがて馬車の車輪の音も遠ざかり、凍りついた花々が元の輝きを取り戻していく。
静寂が戻ると、ルシアンの顔から威圧感が嘘のように消え失せた。
視線が泳ぎ、指先が所在なげに動く。足元の氷が不規則にぱきぱきと鳴っている。
「すまない。怖い思いをさせてしまっただろうか。あの男がエノレアに触れようとしたのが許せなくて、ついああいった真似を……。だがあんな姿を見せてしまっては、君も私を恐ろしいと思うだろう。離縁されても仕方がない。だが、できれば──」
言葉がどんどん尻すぼみになっていく。
威風堂々と敵を打ち据えた男が、たった一人の女の前ではこんなにも脆い。
「嫌わないでくれ」
エレノアは数秒、彼を見つめた。
最初に会った日のことを思い出し、これまでの日常が走馬灯のように過ぎる。
そして、ふっと口から笑みがこぼれた。
両手を広げ、ルシアンの広い胸にそっと額を預けた。
「私はあなたの妻をやめる気はありません。──だって、あなたほど温かい人を知りませんもの」
ルシアンの体が石のように強張った。
長い腕が、割れ物を触るようにエレノアの背に回された。
「温かいのは君のおかげだ」
ルシアンの耳は林檎も敵わないほど真っ赤だった。
晴れた空から雪が降り始める。
ここは遠い北の辺境にある、氷に閉ざされた公爵領。
けれどここには確かな温もりがある。
身代わりの花嫁は、今では誰よりも愛された妻になっていた。
【後日談】
セルウィン侯爵家は不正の数々が明るみに出て爵位を剥奪された。アルヴィンは領地を失い、リゼットには逃げられた。
エレノアの両親はフェルゼン公爵家の報復を恐れて謝罪の書状を送ってきたが、エレノアは「お気遣いなく。おかげさまで幸せに暮らしております」とだけ返した。
氷の公爵が実は極度の愛妻家であることは、公爵領の使用人たちの間では周知の事実となっている。「奥様がくしゃみをされると城中に毛布が飛んでくる」「奥様が笑うと庭に新しい氷の花が咲く」等の目撃談は枚挙に暇がなく、領内で最も人気のある噂話である。
(了)




