92:汚染源を突き止める
宿を出た私たちは港近くの市場へと向かった。
昨日と同じくアルフォンスとギルは別行動だ。彼らは引き続き代官バルダスの身辺を探ってもらうことにした。
「よう、シスター、おはよう」
すれ違う漁師たちが気さくに声をかけてくれる。
初日の警戒心たっぷりな様子とは雲泥の差だ。
昆布ダシの味噌汁と巨大タコ足三昧は、彼らの心をすっかり溶かしてくれたらしい。
「昨日の煮物は最高だったぜ。今日は何をするんだ?」
「何でも言ってくれ。力を貸すぞ」
「ありがとう! それじゃあ、市場にある魚を見せてください」
私が頼めば、漁師たちは早速木箱を並べてくれた。中にはやはり小さな魚ばかりが入っている。
「これ、獲れた場所は分かりますか?」
「ああ、分かるぞ」
答えたのはバーバラだ。彼女は壊れてしまった漁船を修理しながら、市場の様子を見守っていたようだ。
私の姿を見て来てくれたのだろう。
「よし。それじゃあミア、お願いね」
「うん」
ミアは木箱の前にしゃがみ込んだ。真剣な目になって、小さな鼻をくんくんと動かす。
「これ、くさい」
「北側で獲れた魚だな」
バーバラが答えた。
『確かに毒の匂いが濃い』
ラテも確かめて鼻にしわを寄せた。
「こっちも。苦いおくすりみたいな、やなにおい」
次々と選別されていく。
「これは大丈夫」
「そいつは南の漁業エリアで獲れた魚だ」
仕分けてみると、やはり北側は毒の気配が濃く、南ほど薄かった。
バーバラが広げた地図に書き込んでいくと、分布は一目瞭然だった。
ミアとラテが嗅ぎ分けた汚染は、河口から扇状に広がっていたのだ。
「北側の川で間違いないですね」
私の言葉にみなが頷いた。
「確かめねえと。あそこで何が起きているのか」
バーバラが地図を射殺しそうな目で睨む。
私たちは早速、河口へ向かうことにした。
◇
北の河口は港町シートンマスから徒歩で半日程度の距離にある。
朝のうちに町を出発した私たちは、ひたすら歩いて北を目指した。
例によってフィンとミアはお留守番。私とバーバラ、ラテ、クラウスの三人と一匹のご一行様である。
「けっこう距離が離れているんですね。川の近くの方が生活が便利そうなのに、どうして?」
私の問いにバーバラが答える。
「川近くの地面は湿地だろ。町を作るには地盤が悪かったんだよ。ついでに河口近くは真水と海水が入り混じるおかげで、栄養豊富なんだ。おかげで魚だけじゃなく、水の魔物が妙に多く出るんだよ。それで町はちょっと離れた場所に作らざるを得なかった……と、婆ちゃんが言ってたな」
「へぇ~」
確かに歩くにつれて、足元は水気を増している。
ラテが肉球にまとわりついた泥を、嫌そうに払っている。
泥に足を取られながらさらに歩くと、お昼頃に河口へと到着した。
そうして目にした光景は――。
「ひどい」
私は思わず絶句する。
そこは港の海よりも、船から見た海原よりもさらに汚染が進んでいたのだ。
本来であれば川の水と海の水が入り混じる、豊かな汽水域だったはずなのに。今は悪臭を放つ灰色のヘドロに覆われている。
ヘドロは川面を覆い、次々と海へと流れ出ていった。海の波が立つたび、ヘドロがぶくぶくと泡立っていた。
川岸の草は立ち枯れている。虫や鳥の気配もない。
ヘドロと悪臭と、奇妙な静寂だけが満ちている。
『むごいものだ』
ラテが水際に近づき、すぐに顔を背けた。
『死んでいる。魚だけではない、あらゆる命が。海に満ちる微細な命たちまでもが、すべて死骸となって漂っている』
「海に満ちる微細な命。それって、プランクトンのこと?」
『呼び名は知らん。だが吾輩の知る細菌どもによく似た性質を持つ命だ』
細菌とプランクトンの違いとか、理系じゃない私にはよく分からない。ラテが似ていると言うのならそうなのだと思う。
『これほど大量の死……。これは自然の淀みや腐敗などではない。強力な毒物が意図的に流されたのだ。このままでは海そのものを殺しかねん』
ラテの金色の瞳が怒りに燃え上がった。彼の「腐敗」の能力、数多の細菌たちを支配する力が、大量死を我が事のように感じ取ったのだろう。
「この毒のヘドロ。上流から流れてきやがるな」
バーバラが上流の方向を睨んだ。
「上流には何があるんですか?」
「別に何もないはずだ。さっきも言ったが、この川の周囲は湿地で地盤が悪い。遡っていっても町なんかねえよ」
私も上流に視線を向けた。
とうとうと流れる川はずっと先まで続いていて、遠くに山の稜線が見えるだけ。
あの先に何があるというのだろうか。
「この毒、とても放置はできない。私の倉庫に格納してしまうのはどうかしら?」
このまま垂れ流されて汚染を広げるよりも、一時的な避難として格納する手がある。
しかしラテは首を横に振った。
『やめておけ。おぬしの倉庫は規格外だが、倉庫の亜空間と使い手は魔力で繋がっている。多少ならともかく、これだけ大量の毒を取り込めば、おぬしの体にどんな影響が出るか知れたものではない』
「……」
私も毒を倉庫に入れるのはできればやりたくない。いくら無限倉庫とはいえ、他に格納している食材への影響も心配だ。
でも、本当にどうしようもなくなったら。最後の手段として心に刻んでおこうと思った。
◇
夜になって、私たちは港町に戻ってきていた。
アルフォンスたちと合流して、宿屋で情報を突き合わせる。
「こちらは収穫があったよ」
アルフォンスがテーブルの上に一冊のノートを置いた。
「バルダスの元で働く下級役人が、こっそりと渡してくれた。もう代官の横暴はうんざりだとね」
「ルシルのおかげさ。彼の子供たちが久々にお腹いっぱい料理を食べて、笑顔になってくれたと、嬉しそうに話していたから」
ギルも続けた。
私の料理がその人の心を動かして、勇気を与えた。とても嬉しく誇らしい。
「じゃあ、その人の勇気を無駄にしないよう頑張らないとね」
帳簿をめくってみる。
ところが中に書かれていたのは、奇妙な記号ばかりだった。
「読めない。これ、暗号?」
帳簿とにらめっこして眉を寄せると、ギルもため息をついた。
「そうなんだ。重要な取引内容なのは間違いないんだが、さすがに用心しているね。解読に取り組んでいるが、今のところ目処は立っていない」
「暗号? おもしろそう」
フィンが横から顔を出した。どうやら留守番ばかりで退屈していたらしい。
彼は帳簿をぱらぱらとめくって、軽く首を傾げた。
「ん、わかった。これ、となりの国の古いあんごうだよ。お父さんに教えてもらったもん。かいどくの計算は、こう」
「え、ほんとに!? すごい! お手柄ね、フィン」
フィンの際立った計算能力は、暗号解読にまで役立つのか。
フィンの頭を撫でると、彼は照れ笑いをした。
「えーっと、この三ヶ月で、たくさんの『銀の水』を買ってる。銀の水……水銀?」
「水銀?」
水銀と言うと、あれだろうか。液体状の金属で毒性のあるやつ。
……毒性。
嫌な予感がした。
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