88:戦いのあとで
「す、すげえ」
「伝説の魔物を一撃で……」
バーバラと漁師たちが呆然としている。
「ルシル、ラテ。怪我はないか」
クラウスが振り返る。
「は、はい。大丈夫です」
心臓はまだバクバク言っているが、やっと片付いたのだと実感できた。
というかこの人、やっぱり規格外に強い。いつものド天然とのギャップがすごい。
なおラテは激しい揺れにノックアウトされたようで、甲板の隅にうずくまっていた。
「しかし妙だな。あれだけの力を持つ魔物の割に、攻撃がぬるかった」
クラウスが首を傾げる。
「ぬるいだと!? あたしの船はボロボロだ。マストも折れたぞ!」
バーバラが食って掛かるが、クラウスは肩をすくめるだけだ。
私は改めて海を見つめた。墨が徐々に薄まっていく海面に、ふと。あの大きな魔物の目が見えた気がした。
殺意に満ちた凶暴さというよりも、どこか悲しげな様子。
船を攻撃したのも、本気であれば一撃で沈められただろうに、どうしてだろう?
何気なく横を見ると、甲板には戦利品が残されていた。切り落とされたクラーケンの足である。
太さだけで私の胴体の何倍もある。吸盤も一つが私の顔くらいの大きさだ。長さにいたっては十メートルはあって、まだウネウネと動いていた。
「でっかいなぁ」
漁師たちが怖がって遠巻きにする中、私はぺちぺちとタコ足を叩いてみた。弾力があって実に瑞々しい。新鮮そのものだ。
形といい手触りといい、タコそのものである。魔物だけどタコだ、これ。
私の頭の中にタコのレシピが流れていった。
タコ飯、お刺身、タコの唐揚げ、カルパッチョ! タコライスは、タコ入ってなかったっけ。
「ねえ、これ」
私が満面の笑みで振り返ると、バーバラたちはビクッとした。
「せっかくだから、持って帰りましょう」
「はい? 何言ってんだ、あんた?」
「もちろん食べるんですよ! これだけあれば何人分だろう? 今日はタコパーティですね! うふふふふふ」
ドン引きしている漁師たちを尻目に、私の心はタコ三昧パーティに飛んでいく。
「格納!」
タコ足に手をかざして念じれば、倉庫にヒュンと格納された。
「おぉ?」
今までの食材と違い、強大な魔物の魔力がたっぷりと含まれているタコ足は、倉庫の時間停止の中でもなお魔力を放っている。
湖の巨大シジミは本体を仕留めてから格納した。今回のタコ足は本体がまだ生きている。その違いかもしれない。
まあ、時間停止はきっちり発動している。新鮮なまま港に持ち帰って、タコパと洒落込もうではないか。
◇
マストが折れてしまったので、もう帆は張れない。手漕ぎで船を港まで戻すことにした。
クラウスも漕ぎ手に参加している。
「しっかしあんた、強えな! クラーケンが襲ってきた時は、死ぬのを覚悟したが。見事なもんだ!」
オールを漕ぎながらバーバラが笑いかけると、彼は首を振った。
「お前も大したものだ。その膂力、『能力』だろう? 技術を磨けば一流の戦士になれるぞ」
この世界には個人が持つ特別な能力がある。私の絶対倉庫とか、ナタリーの小治癒がそうだ。
バーバラの馬鹿力は能力だったらしい。
「ハハッ、おだてるなよ。あたしはこのままでいいのさ。頑丈な体があれば、みんなを守ってやれる。喧嘩が強い以上の力は必要ない。あたしが戦うのは海の魚や魔物だ。それ以上強くなる必要がないんでね」
笑いながらオールを漕ぐ彼女の体は、見事に筋肉が盛り上がっている。
その背中や肩口にいくつもの傷跡を見つけて、私の心は痛んだ。
「バーバラさん、ここの細い傷。代官に鞭打たれた傷ですよね?」
「あん?」
ところがバーバラはきょとんとした。
「ちげーよ。あんな細っこい鞭であたしの体に傷がつくわけないだろ。その肩の傷は、一角カジキと格闘した時のものだ。で、こっちはノコギリザメ」
脇腹のぎざぎざの傷を指さしている。
「どいつもきっちり勝って、釣り上げてやったがな!」
「クラーケンでも出ない限り、お頭は海じゃ無敵でよ」
漁師たちも楽しそうに笑っている。
「おうよ、傷は海の女と男の勲章だぜ。……その力も、代官の野郎には通じないが」
バーバラが目を伏せる。漁師たちのリーダーとして、みんなを守れなかったのを悔いているんだろう。
「大丈夫ですよ、バーバラさん。これから調査を進めて、代官の悪事を暴いてやりましょう。捕まっていた人たちも解放しなきゃ。海の異変は、まだ何とも言えないけれど……もっと調べれば、何か糸口が掴めるはずです」
「……ありがとよ、シスター。恩に着るぜ」
強がりかもしれない。でもバーバラはまた顔を上げて、笑顔を見せてくれた。
話しながらも船は進み、港まで戻って来ることができた。
出迎えた漁師たちがボロボロの船を見て絶句している。
「お頭、何があったんで?」
呆然とする漁師たちに、バーバラはニヤリと笑って答えた。
「クラーケンが出た」
「はぁ!? あの伝説の深海魔物ですかい? そんな馬鹿な……」
「これが証拠ですよ!」
どどん!
一度は倉庫に格納していたタコ足を、港の埠頭に出す。
タコ足はまだ元気にウネウネうねっていた。
「ひえっ!」
漁師たちが腰を抜かす。同じく出迎えに来ていたフィンとミアは、おっかなびっくりタコをつついていた。
「こんなもの持って帰ってきて、どうすんだ! 海に帰さないと、祟りがあるぞ!」
「そうだ、そうだ! 今からでも捨てて来い!」
元気いっぱいにウネウネする巨大タコ足は、確かにちょっと不気味かもしれない。
クラーケンは伝説上では、船を一撃で砕いて沈める恐ろしい魔物らしいし。
でもね。
「捨てるなんてとんでもない。これは天からの、いえ、海からの贈り物です!」
私はタコ足の前に立って、きっぱりと言いきった。
「でっかいだけで、どう見てもタコ足です。魔物であってもタコはタコ。美味しく食べて供養してあげるのが、人の道ってものです」
どうよ、シスターが言えば説得力あるでしょ。
まぁ供養といってもクラーケンはまだ死んでないけど。
私はドヤ顔をしたが、周囲の反応は鈍かった。
「ルシルよぉ。あんたの言い分は信じたいが、銛を跳ね返すような魔物だぞ。本当に食えるのか?」
バーバラがウネウネするタコ足を疑問の目で見ている。
確かに、魔物の肉は固いものが多い。特にタコは全身が筋肉の塊。これだけの巨大な足は、そのままじゃ固くて食べられないだろう。
「ふふん。私を誰だと思っているんですか。固くて有名なロックリザードの肉を柔らかくする達人、割れ鍋亭と旅するキッチンのオーナー、シスター・ルシルですよ!」
「お、おぉ?」
「これから私の特別な調理法で、このタコをとろけるように柔らかくしてみせます」
私は腕まくりして、倉庫からあるものを取り出した。
白くてすらりと長いシルエット。青々とした葉っぱ。――大根だった。




