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神に祈るより肉を焼け。追放シスターの屋台改革!  作者: 灰猫さんきち
第6章

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85:漁師たちの涙

「ルシル」


 アルフォンスが低い声で言う。アステリア王国の王族として、この事態を見過ごせないという気持ちが痛いほど伝わってくる。

 でも私は、小さく首を振ってみせた。

 ここで彼が王子の身分を明かせば、代官は罰せられるだろう。免税もできるかもしれない。でも海の異変が治らない限り、漁師たちの生活は苦しいままだ。

 それに、代官は軽い罰ではなく確実に罷免ひめんするくらいの責任を問わなきゃならない。

 人質として帰ってこない人々の安全も確保しなければならない。

 今の段階では、王子の身分を明かすのは時期尚早だ。


「話は分かったわ」


 だから私は前に出た。バーバラを見上げる。身長差は頭一つ分もあるけれど、負けてはいられない。


「でも私たちは、スパイなんかじゃない。港町から美味しいシーフードを求めてやって来た、ただの料理人よ」


「ハッ! 口では何とでも言えるだろうが」


「そうね。なら、これならどうかな」


 私はお玉で味噌汁をすくい、器によそった。湯気の上がる熱々のスープに口をつける。


「んっ、美味しい。我ながらいい出来!」


 昆布のダシと、魚のハーモニー。懐かしい味噌の風味が合わさって、体に染み込むようだ。

 私は味噌汁を飲み干して、空になった器を突きつけた。


「毒入りじゃないよ。これはただの炊き出し。少なくともそれは、信じてもらえる?」


「テメェ……」


 バーバラの唸り声を無視して、私はもう一度器に味噌汁をよそった。


「はい、どうぞ。王都で評判の割れ鍋亭の料理、たんと召し上がれ」


 目の前に差し出された味噌汁に、バーバラの喉がごくりと鳴る。

 彼女は戸惑ったように、私と味噌汁を何度も見やった。器から立ち上るのは、昆布と魚の磯の香り。そして彼女には馴染みがないであろう、味噌の匂い。

 私が器を押し付けると、彼女は思わずといった感じで受け取ってしまった。

 漁師の子供たちが羨ましそうに見ている。

 人々の期待と不安を一身に受けて、バーバラは覚悟を決めたようだ。


「いいだろう、食ってやるよ。もし毒入りだったら、テメェを地獄に道連れにしてやる!」


 そう言って、一気に味噌汁を流し込んだ。


「こ、これは……ッ!?」


 バーバラの目が大きく見開かれる。


「なんだよ、これ……! 懐かしい味がしやがる。海が元気だった頃の、新鮮な魚の味!」


 彼女は信じられないという目で味噌汁を見て、それからまた口をつけた。


「臭くねえ。泥の味もしねえ……。昔通りの、いや、昔よりずっと美味い海の味だ。あたしたちの海の味……」


 バーバラのハシバミ色の瞳に涙が盛り上がって、ぽろぽろとこぼれ落ちた。

 涙を拭いもせず、味噌汁を飲み干していく。


「お頭が泣いてる!?」


「赤鬼のバーバラが泣くとか、よっぽどだぞ」


 漁師たちが動揺している。

 私はここぞとばかりに声を張り上げた。


「泣いちゃうくらい美味しいスープ、皆さんも食べていきませんか! シートンマス来訪記念で、今ならタダですよ!」


「ルシル、またタダにしてる」


 フィンが不満そうに修道服の裾を引っ張ってくる。ごめんごめん、でも今のノリでお金は取れないでしょ?

 それでも漁師たちは戸惑ったように動かなかったが、彼らの足元から一人の男の子が走り出てきた。親であろう漁師が声を上げるが、男の子はさっさと私の前まで来た。


「おいしそうなにおい。スープ、ください!」


「はい、どうぞ」


 器と木のスプーンを渡してやると、男の子はたどたどしい手つきで食べ始めた。


「……おいしい! おさかなと、野菜がいっぱい入ってる!」


 その声がきっかけになって、最初は子供たちが、次に大人たちも押し寄せてくる。


「こんなにいい匂いなら、毒入りのはずないよな」


「お頭が泣くほどだぞ。食べなきゃ損だろ」


「おいしー!」


 夜の潮風は昼間ほどの熱気はなく、温かな味噌汁が体に染み渡る。

 大人も子供もみな、目を輝かせて味噌汁を食べていた。子供たちは無邪気に、大人たちは少ししんみりと。


「美味しい、美味しい」


「あぁ、うめぇよ。こんなにうめえ魚を食ったのは、いつぶりだ……」


 ぐす、と鼻をすする音があちこちでした。

 みんな笑いながら、泣きながら食べている。


「……完敗だ」


 ふと見れば、味噌汁を食べ終わったバーバラがすぐ横に立っていた。


「疑って悪かったな。こんなに美味い魚料理を作れる奴が、代官の手先のはずがねえ。魚をしっかり理解していなけりゃ、この味は出せねえよ」


「ふふっ、どういたしまして」


 私は思わず微笑んだ。まあ、元日本人ですから。生魚・煮魚・焼き魚、全部好きですから。

 キッチンカーのオーナーだった頃は、訪れた町に港があれば、水揚げされた魚を見に行くのが習慣だった。


「おかわりもありますよ。お腹いっぱいになるまで、どうぞ」


「あぁ。もう一杯もらおう」


 バーバラは二杯目を受け取って、美味しそうに食べている仲間たちを見渡した。

 ぽつりと言う。


「こんなに美味い魚を食ったのは、久しぶりだ。海がおかしくなってから、魚も味が変わっちまった。変に臭くて食えたもんじゃねえ」


「この魚は、そこの市場で買ったものです。うちの鼻のいい子が匂いを嗅ぎ分けて、おかしな匂いのしない魚だけを選んだんですよ」


「へぇ……? じゃあ、まだまともな魚もいるってことか」


 バーバラは味噌汁をずずっとすすった。


「あーうめえ。魚の味と、なんだろうな? このコクのある調味料の他に、磯の味がする」


「さすが、ご名答。基本のスープに昆布のダシを使っています。これね」


 倉庫から昆布を少し取り出してみせると、バーバラは目を瞬かせた。


「そのクズ海草がこんなに美味いスープになるのか? そいつはただの厄介者だと思っていたのに」


「私たちとしても、この海草に出会えてラッキーでした。シートンマスの町には、食材の仕入れに来たので」


「そうか……。いくらでも売ってやりたいところだが、今のままじゃあ他に売るもんがない。海がこんな有り様だし、あたしら漁師も代官に首根っこを押さえられているからな」


 彼女は悔しそうに、味噌汁をぐいっと飲んだ。


「それですけど。私たち、調査に協力させてくれませんか?」


 私が言うと、バーバラは不思議そうな顔になった。


「なんであんたらが、そこまでするんだ? 港町はここだけじゃない。ちょっと遠いが、南にもある。仕入れならそっちに行けばいいだろ」


「理由は色々ある」


 答えたのはアルフォンスだった。


「まず第一に、王都から最も近い海がこのような状態なのを見過ごせない。第二に、君たち漁師の現状は対応の必要がある。第三に、あの代官の横暴を放置はできない。十分な理由だろう?」


「……ずいぶん上から目線だな。王様でもあるまいし、何だよ」


「私は第二王子だ」


 アルフォンスはスパッと言った。

 あまりにもスパッと言ったので、バーバラは理解できずに味噌汁を飲んでいた。


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