08:ケバブ大人気
『割れ鍋亭』の主となってから数日。私の生活は、目まぐるしくも充実していた。
日中は、すっかり顔なじみになった市場の商人たちに、恩人である店主の熱々スープを届ける。
その際にまだまだ試作品のケバブサンドを持っていったところ、予想外の人気になってしまった。
「美味い! スープとよく合う!」
「シスター、これはシスターの配達以外ならどこで買えるんだい?」
そんな声があまりに多かったので、私は予定を前倒ししてケバブサンドを割れ鍋亭で売ることにした。
とりあえず掃除は済んでいるから、衛生問題は大丈夫。ケバブサンドは、正直言えばもっとクオリティを高めてから本格販売に入りたかったけど、お客さんを待たせるのはいけない。もっといいタレが出来たら、順次投入していこう。
そんなわけで、私は店の窓口を少しだけ開けて、試作品としてケバブサンドの販売を始めていた。
宿屋や食堂自体は人手が足りないので、カウンターで試作品を売るだけだ。(なし崩し的に泊まっているクラウスさんは、まあ、お客さんかどうか微妙な点なので放置とする)
それが、あっという間に王都で評判を呼んでいた。
「シスター、あの肉のサンドイッチを一つくれ!」
「私は三つ頼む!」
店の前には、噂の「奇跡の肉料理」を求める人々が長蛇の列を作っている。
列の先頭近くには、いつの間にか常連と化したクラウスが、今日も黙々とケバブサンドを頬張っている。彼は毎日必ず一番乗りでやってきては、満足げに味わっていくのが日課となっていた。
(すごい売れ行き! この調子なら、宿屋の改装費用もすぐに貯まる。でも、このペースだとヨーグルトが足りなくなりそう……)
私は喜ぶ一方で、焦ってもいた。ロックリザードの肉はまだたっぷりある。何なら取ってくることもできる。
でもケバブの要であるヨーグルトが、もうすぐ底を突きそうなのだ。
◇
翌日、市場の隅にある遊牧民の露店を訪れると、彼らは店じまいの最中だった。
「一体どうしたんですか?」
私が勢い込んで聞くと。
「お嬢ちゃん、すまないね。俺たちは明日、この町を発つんだ。遊牧の旅こそが俺たちの本業だからね」
「嘘でしょ!?」
店主が申し訳なさそうに言った。
ショックを受ける私に、彼は「いつも買ってくれたお礼だよ」と、小さな壺を差し出してくれた。
「こいつは発酵乳の『種』だ。これを温めた羊の乳に入れれば、同じものが作れるはずさ」
「ありがとうございます! でも、次にまた王都へ来たら、ぜひ知らせてくださいね」
一縷の望みを胸に、私は『割れ鍋亭』へと帰ることにした。
市場で山羊の乳を買い、前世の知識通りに温度管理を徹底して、もらった種菌を混ぜて発酵を試みる。
(これできっと、自家製ヨーグルトが作れるはず!)
だが、翌朝。
期待に胸を膨らませて壺を覗き込んだ私の目に映ったのは、なめらかなヨーグルトではなかった。
完全に分離して鼻を突く異臭を放つ、腐った乳の塊だったのだ。
大失敗だった。
(どうして!? 温度も、手順も完璧だったはずなのに。まさか羊の乳用の種菌を、山羊の乳に使ったから……? 乳の種類が違うだけで、ここまで変わるなんて……!)
原因に思い至っても、解決策がない。
ヨーグルトらしきものは、あれから探してみたが見つかっていない。
このままでは私のケバブサンドは、再現不可能な幻のメニューになってしまうかもしれない。
私は、たまらない無力感に襲われた。
◇
気分転換のために町をさまよう足は、無意識にかつて自分が倒れていた路地裏へと向かっていた。
最近は季節が移り変わり、春がもう間近になっている。あの日のように雪が降ることはない。
それでも、私の心は沈んでいた。お客さんに喜んでもらえた味が、私の材料確保が甘かったせいで台無しになるなんて。
今思えば私は、原点である路地裏へ戻ることで何かを見つけたかったのかもしれない。
路地の隅で、ふと、何かが動いた気がした。
目を凝らすと、そこには美しい毛並みを持つ一匹の黒猫が、ぐったりと倒れていた。骨が浮くほど痩せこけて、金色の瞳は生気なく薄く開かれている。
(この子も、お腹を空かせているんだ……)
あの日の自分と、その姿が重なる。
「ねえお前、大丈夫?」
私が心配して屈みこんだ瞬間。
弱々しい、でもはっきりとした声が直接頭の中に響いた。
『腹が……減った……』
◇
「――!?」
声に出ない悲鳴を上げた。猫が喋った!? いや、違う。声が、頭の中に直接した……!
驚きよりも先に、飢えに苦しむ命を救わなければという思いが、私を動かした。
「喋れるの!? お腹、空いているのね。これ、食べる?」
私は自分の昼食用に『絶対倉庫』に入れていたケバブサンドを取り出して、猫の前に差し出す。
猫は、その香りに最後の生命力を振り絞るように顔を上げると、驚くべき勢いでケバブサンドに食らいつき、あっという間に平らげてしまった。
「ばりむしゃあ」とか「もぐもぐばりーっ」とか、とにかく力強い咀嚼音だった。
よっぽどお腹が空いていたのだと思う。
お肉と一緒に野菜も食べていた。猫が食べても大丈夫なものだったかどうか、ちょっと心配になる。
食べ終えた瞬間、猫の体から淡い金色の光が放たれる。
痩せこけた体にみるみる力が漲って、虚ろだった金色の瞳に理知的で力強い輝きが戻った。
回復した黒猫は、私のことをまっすぐに見つめる。
そして先ほどよりもしっかりとした声で、再び心に語り掛けてきた。
『……うまい。初めてだ、こんなにうまいものを食ったのは……。おぬし、何者だ?』
ケバブの肉片とソースを口の周りにつけたまま、黒猫は偉そうな口調で問いかけてきた。
私はその問いに答えることもできず、ただ目の前で起きた出来事に、目を丸くしているのだった。
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