38:お金ボッシュー
【三人称視点】
風邪の流行の終わりを、一人だけ喜ばない人間がいた。修道院長のヴェロニカである。
(まったく、せっかくの稼ぎ時だったのに。思ったよりも早く流行が終わって、がっかりだわ)
この風邪のせいで、王都では貧しい人を中心に死者も出た。本来であれば彼らを救うべき施療院の主のヴェロニカだが、そんなことは眼中になかった。
彼女の頭にあるのは、お金だけである。
「まあ、いいわ。それなりに稼いだし。このお金は化粧品用に取り分けて、残りをあのお方に……」
そこまで呟いた時、修道院長室のドアがノックされた。側付きの修道女が顔を出す。
「院長様、失礼します。神殿の神官長様がお見えです」
「神官長様が? すぐにお通し……いえ、お出迎えに伺いますわ」
ヴェロニカは慌てて席を立った。神殿は修道院の上位組織である。ましてや神官長となれば、聖職者としての序列がかなり上の人物だった。下手な貴族よりも力を持つ相手だ。
(どの神官長様かしら? うちの派閥の方ならいいけど……)
神官長は何人か存在する役職である。政治的にヴェロニカの実家と近しい者であれば、心配の必要はない。
ヴェロニカが出迎えるより先に、神官長はさっさと部屋に入ってきた。何人かの神官を引き連れている。
中年や老年の者が多い神官長職の中にあって、年齢は三十歳そこそこと若い。目付きの鋭い男だ。
残念ながら、ヴェロニカの期待する相手ではなかった。
「ヴェロニカ殿」
神官長が言う。ひどく冷たい声だった。
「神殿に匿名の告発があった。貴女が風邪の流行に乗じて、施療院の寄付金を増額したというものだ」
「そ、それは」
ヴェロニカの視線が泳ぐ。神官長の口ぶりは、事実を知っているようだ。どこまでごまかせるか必死で考えていると。
「ごまかそうとは思わないことだ。人々に聞き込みをして裏は取れている」
「左様でございましたか……。でも、あの風邪の流行中は、薬草やその他の物資が高騰しておりまして。施療院に必要なものを買い揃えるための、苦肉の策でしたのよ」
嘘である。
神官長は皮肉に笑った。
「ほう。私の知っている話と違うな。実はここへ来る前、先に施療院に立ち寄って治癒の能力持ちのシスターから話を聞いた。物品の帳簿も見せてもらった。買い揃えるどころか、不足分を放置していたようだが?」
(ナタリー! 余計なことを!)
ヴェロニカは内心で歯ぎしりしながら、それでも笑顔を作る。
「まあ、いやですわ。手違いがあったようですね。すぐに手配をいたします」
もう風邪の流行は収まっている。今から適当に薬草を買い求めて、お茶を濁しておこう。ヴェロニカはそう考える。
だが神官長は釘を刺した。
「今すぐに寄付金の増額の撤廃を。さらに、施療院の帳簿は定期的に神殿で監査する」
修道院と施療院は神殿の下部組織だ。神殿にはそうする権限がある。
「そ、それは……!」
ヴェロニカは言いかけて、黙った。これ以上ごまかすのは難しい。ではここは引き下がっておいて、今回儲けた分は懐に入れておこう。
ところが、彼女を考えを見透かしたように神官長が続ける。
「施療院のシスターは、増額された寄付をした患者たちの記録もつけていた。何ともしっかりした人物だな、この小さな施療院にはもったいない。……さて、これに基づき、余分な寄付金は民へ還元するよう命ずる。具体的には、施療院の寄付金制度の撤廃――無償化と薬草類の充実だ。さあ、不正に得た寄付金を出しなさい」
「無償化!? で、でも、それでは……」
「出せない理由があるとでも?」
神官長に詰め寄られて、ヴェロニカはがっくりと肩を落とした。
しょぼしょぼと歩いて金庫を開けて、お金を取り出す。
「聞いてはいましたが、かなりの額ですね……」
金額を確認して、従者の神官が呆れた声を出している。神官長は頷いた。
「まったくだ。ヴェロニカ殿、念の為に聞くが、我々が来なければこのお金はどうするおつもりでしたかな?」
「それはもちろん、神の子である民の皆さんに還元しましたわ!」
ヴェロニカはほとんどやけくそで言った。
「……よろしい。その心がけを忘れないように。神はいつでも貴女を見ていますよ」
そうして神官長一行は去っていった。
一人残された修道院室で、ヴェロニカは机を叩く。
(なんてこと! あたくしのお金が! あぁ~~~~悔しいっ!!)
怒りの勢いに任せて机を蹴った。
「あ、いたっ!」
ところが足の小指を派手にぶつけてしまい、彼女は悶絶する。痛みに悶えながら叫んだ。
「誰かいませんか! ナタリー、ナタリーを呼んできなさい、今すぐに!」
「シスター・ナタリーは今、施療院で治療中で……」
側付きの修道女が、おそるおそるといった様子で顔を出した。
「どうでもいい患者なんかより、あたくしの足の指の方が大事です! 早くなさい! 今すぐに駆けつけるように言って!!」
「は、はいっ!」
修道女が走っていく。
呼び出しの理由を聞いたナタリーが、なるべく患者の治療をゆっくりやって、のんびりと「駆けつけた」のは言うまでもない。
これにて第3章は終了です。ここまでお読みくださりありがとうございました。
第4章はヴェロニカとの対立が深まる予定です。
それから次からの更新は少し頻度を下げまして、2日に1度になります。
この作品を12月開始のカクヨムコンに応募するため、準備しようと思いまして。
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