35:販売開始
「えぇ……。施療院のおじいさんと同じこと言うんだね」
タダ、そんなに駄目?
「おじいさんが正しい。安くていいから、お金はもらわないと」
「でも、貧しい人は本当に困っているから。助けになりたくて」
私が食い下がると、フィンはやれやれ、というように肩をすくめた。
「じゃあ、銅貨一枚でいいと思うよ。それならびんぼうな人でも払える」
そうだろうか。貧しい人が風邪で寝込んで日銭を稼げなくなっていたら、そんな金額でも払えないかもしれない。
「……子供たちはタダにしたい」
ぼそりと言えば、みんなが私を見た。
「子供たちは、お金を稼ぐ手段が限られている。親が寝込んで、ご飯が食べられない子もいるかもしれない。そんな子たちから、お金は取れない」
『甘いな。人間とは欲深い生き物だろう。一度タダメシにありつけば、もっともっととタカられるかもしれんぞ』
ラテがふんと鼻を鳴らした。
「じゃあ、きかんげんていにしよう」
フィンがぽんと手を叩いた。
「今だけだよ! ってしっかり伝えるんだ。それなら後からタカる人はいないと思う」
「人は、きかんげんていに弱い。お母さんのくちぐせ」
ミアは頷いている。私も同じく頷いた。
「分かった。じゃあ、子供たちには今月いっぱいはタダ。大人は銅貨一枚。それでいい?」
銅貨一枚は、フィンが出してくれた原価に照らし合わせると赤字にはならない。まあ、ギリギリというところだ。
風邪の流行が収まったら、多少値上げする必要があるだろう。
「うん!」
『まあ、仕方ないな』
その後は「子供とは何歳までか?」「十歳は子供だが、十三歳は?」などと割としょうもない議論がされたが、最終的に「自己申告で子供で、十五歳位までは目をつぶる」ということで落ち着いた。
大きな鍋ではたっぷりのおかゆが煮えている。
優しく食欲をそそる匂いの鍋を倉庫に入れて、私たちはお店の準備を始めた。
(待ってて、市場のみんな。この一杯で、絶対に元気にしてあげるんだから!)
◇
「旅するキッチン、新メニューですよ!」
「おかゆですよー!」
私はフィンとラテを連れて、広場で屋台を広げていた。
割れ鍋亭はクラウスに用心棒を頼んで、ミアに店番をやってもらっている。
広場はいつもよりもずっと人通りが少ないが、それでも顔色の悪い商人や警備兵が何人かやって来る。
「やあ、シスター。新メニューだって? だがまだ風邪が治っていなくて、食欲が……」
言いかけた兵士が、おかゆの匂いに首を傾げた。
「何だろう。食欲がそそられるね。こんなことは、しばらくぶりだよ」
「いい匂いがする」
だんだんと人が集まってきた。私は笑顔でおかゆを器に盛る。
「新メニュー、胃に優しいおかゆです! 風邪っぴきの人でも安心して食べられて、しかも栄養満点。これを食べれば、風邪なんか吹き飛んじゃいますよ!」
「しかもきかんげんていで、今だけ銅貨一枚! 子供はむりょうです!」
フィンも声を張り上げている。ラテは……屋台の上に乗って、まあ、マスコットの役目は果たしているかな?
「銅貨一枚? 安いな」
「どれ、一杯もらおう」
そうしておかゆを食べた人たちは、貝の濃い旨味に目を見開いた。
「なんだ、これは。こんな味は食べたことがない」
「貝のおかゆですよ。王都の人は、あまり貝を食べませんよね」
私が言うと、お客の商人は頷いた。
「ああ、初めて食べたよ。ここいらは海が遠いからね。それにしても美味い」
みんな、夢中でおかゆを掻き込んでいる。食べきってふうっと満足の息を吐けば、顔色が一回り良くなっていた。
「腹があったまると、力が出てくるな」
「喉が痛くて食べ物が食べられなかったんだが、これはとろみがついていて、食べやすかったよ」
「なんだか体が軽い」
もちろん、おかゆだけで即座に全快するわけではない。でも、今までろくに食べられなかった胃に栄養たっぷりのおかゆを流し込んで、しかも美味しく食べた。心も体も楽になったことだろう。
おかわりする人も何人もいた。
「シスター、俺の家族は重症で寝込んでいるんだ。こいつを食べさせてやりたい」
「はい、お持ち帰りももちろんOKですよ。冷めても美味しいけど、余裕があったら温め直してください」
王都では、屋台の食べ物は持参の食器で食べるのが普通だ。その兵士は先ほど平らげた食器を出してきたので、たっぷりめに盛った。
「食べるのがお子さんなら、タダでかまいませんよ」
私は言うが、兵士は首を振った。
「子もいるが、妻もいる。そもそも、銅貨一枚は十分に安い。ちゃんと払うよ」
そうして兵士はおかゆを大事に抱えて帰っていった。
同じように何人かの人が持ち帰りを希望する。
一通りのお客がはけたので、私は次の場所へ移動することにした。
城門、小広場、貧しい人たちが多く暮らす街角。
色んな場所で屋台を広げては、おかゆを売り歩いた。
「おかゆ、ください」
貧しいエリアでは、特に多くの人が並んだ。痩せこけた小さな子供の姿も多くて、心が痛む。
「はい、どうぞ」
私はフィンより小さな女の子におかゆをたっぷりと盛ってあげた。
「ほんとにタダでいいの……?」
「もちろんよ。今月だけは、タダ」
不安そうにしているその子に、笑いかける。
「おかあさんが、起きれなくて。お水しかのめなくて。でも、このおかゆなら食べられるかも」
「うん。食べさせてあげてね。もちろん、あなたも食べるのよ」
女の子は頷いて、トテトテと走っていく。
その後姿を見送りながら、次のお客さんの皿におかゆを盛り――。
「あっ!」
女の子が声を上げた。ゴロツキ風の人相の悪い男たちが、女の子から皿を取り上げたのだ。
「ちょっと! 大人だって銅貨一枚です! 人のを取らないで!」
私は声を上げるが、彼らはせせら笑った。
「シスター、俺らにとっちゃ銅貨一枚だって貴重な金なんだよ。こいつにもう一度、タダでやればいいだろ。そうしたらまた奪ってやるからさ!」
「なんですって……!」




