26:遠足準備
【三人称視点】
その頃、修道院長室では。
「ふふふ、笑いが止まらないとはこのことですわね」
窓から施療院の長い列を見て、ヴェロニカがほくそ笑んでいた。
彼女の机には、ここ数日で集めた治療の寄付金が山と積まれている。風邪が大流行する中、寄付金を増額した効果は絶大で、ヴェロニカのもとには毎日たくさんのお金が転がり込んできた。
それらの硬貨をいそいそと金庫にしまい込んでいると、ドアがノックされた。
「院長様。ナタリーです」
「何かしら? 入りなさい」
部屋に入ってきたナタリーは、げっそりとやつれ果てている。
「院長様にお願いがあって参りました。咳止めと熱冷ましの薬草の補充と、寄付金増額の撤廃です」
「あら? 何を言うのかしら。風邪が流行中の今、薬草はどこでも品薄。あたくしも補充したいのですが、無理なのですよ。寄付金は苦渋の決断です。施療院の経営は年々苦しくなるばかり。それは貴方も分かっているでしょう?」
しれっと言い放つヴェロニカに、ナタリーは反論した。
「薬草の品薄は承知しています。でも、全くないわけではありません。冒険者に採集依頼を出すこともできます。苦しんでいる人がいるのです、どうかお願いいたします!」
(うるさい小娘ね。品薄の薬草は値上がりして、お金がもったないでしょ。冒険者の依頼料も安くないのよ)
沈痛そうな表情を装うにヴェロニカに、ナタリーはさらに言った。
「寄付金も高すぎれば、貧しい方々が治療を受けられなくなります。実際、今までいらしていた貧しい方々はほとんど見なくなりました。一番困っているのは彼らなのです。どうか……」
(貧乏人の患者なんていらないのよ! お金もないのに治療を受けようだなんて、厚かましくて嫌になるわ)
内心の身勝手さは表情に出さず、ヴェロニカは聖職者の仮面をかぶって答えた。
「あたくしも心を痛めていますわ。でも、仕方ないのです。施療院の経営が破綻すれば、救える人も救えなくなる。ナタリー、あなたは小治癒の能力の持ち主ですね。薬草に頼らずとも、神から与えられた素晴らしい能力があるではないですか。さあ、患者さんが待っていますよ。もうお戻りなさい」
「……」
ナタリーは既に限界まで能力を使っている。これ以上は本当に倒れてしまうだろう。
彼女が倒れれば施療院は回らなくなる。だから必死で耐えながら、少ない能力と薬草をやりくりしていた。
「分かり、ました……」
ナタリーは拳を握りしめて頭を下げた。万が一の希望を持って院長室に来たが、無駄だと思い知らされただけだった。
ナタリーは部屋を出る。修道院の石造りの廊下で、小さく呟いた。
「ルシルちゃん。もう、あなただけが頼りです……」
◇
【ルシル視点】
「というわけで、北の湖に行こうと思います」
「遠足!」
「遠足だ!」
割れ鍋亭に戻って私が宣言すると、フィンとミアは大喜びだ。
『ガキども、これは遊びではない。食材採取の冒険の旅だ。心してかかれ』
「冒険だって!」
双子はますます目を輝かせている。私は苦笑した。
「まあ、いいじゃない。北の湖は王都からそんなに離れていないし」
「だが、弱いながらも魔物が出る。護衛が必要だ」
いきなり背後から声がして、私は飛び上がった。
振り返ればいつの間にか、クラウスが食堂に立っている。
「ククククラウスさん!? いつの間にそこにいたんですか」
「さっきからいたが」
「気配消すの上手くないですか」
彼は肩をすくめた。
「……で? 湖に行くための護衛は手配しているか?」
「まだです。冒険者ギルドで頼まなきゃですね。そんなに危険ではないんですよね?」
「そうだな。道中にロックリザードレベルの雑魚、湖には多少の水棲魔物がいるくらいだ」
そんな雑魚でも戦闘力皆無の私と双子には脅威である。
が、うちにはラテがいる。偉大な魔獣(自称)である彼がいれば、特に問題はない。クラウスの手前冒険者を頼むと言ったが、このまま出発しよう。
ところがクラウスは首を振った。
「俺が護衛してやろう」
「えっ。悪いですよ。クラウスさんは、すごく強いじゃないですか。こんな簡単な護衛じゃなくて、もっとすごい依頼があるでしょ」
「王都に風邪が流行しているせいで、ろくな依頼が出ていない。暇なんだ」
「あーなるほど……」
依頼を出す側も人間だ。素材採集や護衛などは、本人が病気で動けなかったら依頼に出ない。
私はちらりとラテを見た。ラテは私にだけ聞こえる念話で答える。
『こやつがいれば、吾輩は楽ができる。頼めばいい』
まあ、そういうことであれば。
「では、お願いできますか?」
言ってから、私は気づいた。クラウスはかなりの凄腕だ。つまり護衛料もバカ高いのでは……?
「あの、護衛料はいかほど?」
おそるおそる聞けば、彼はフッと笑った。
「俺の本来の護衛料は、一日につき金貨一枚」
「たっか!」
金貨一枚って、割れ鍋亭と旅するキッチンの半月分の売上なんですけど!?
こりゃ無理だ、断ろうと思った矢先、クラウスは続けた。
「だが、こんな状態だからな。暇つぶしに受ける護衛に、金はいらん。その代わり、お前が作った新作料理を一ヶ月、タダで食わせろ」
そういえばこの人も食いしん坊だった。
シジミのおかゆを一ヶ月も食べるつもりだろうか。……飽きるという概念のないこの国の人だから、食べそうだわ。
彼の腕前を考えれば、破格の条件だった。
(私の料理、そんなに気に入ってくれたんだ)
そう思えば嬉しくて、思わず笑顔になった。