22:故郷の味
『旅するキッチン』の開業準備は、順調に進んでいた。
フィンとミアが手を貸してくれるおかげで、割れ鍋亭の運営は驚くほどスムーズになった。店のことは二人に任せられるので、私は屋台の改装や新メニューの開発に集中できる。
「ルシル、美味しい!」
「うん、美味しいね!」
厨房のテーブルで、フィンとミアが今日のまかないのケバブサンドを頬張っている。
「二人とも、毎日ケバブサンドばっかりでごめんね。飽きるでしょう」
夕食はなるべく色々作るようにしているが、昼食は手軽に食べられるサンドがメインになる。
ところが双子はきょとんとした顔をした。
「飽きる?」
「飽きないよ」
「え、なんで?」
私が首を傾げると、フィンが当然という顔で言った。
「だって、美味しいもん」
「美味しくたって、毎日じゃ飽きるでしょ」
どうにも話が噛み合わない。よくよく聞いてみると、こういうことだった。
双子は隣の国の出身だが、食文化はこの国といい勝負。つまり「口に入れば何でもいい」の貧しさだ。
そんな中、フィンとミアも毎日質素な食事を続けていた。黒パンとチーズと少々のサラダが定番で、昼どころか朝も夜もそんな感じだったらしい。
つまり、彼らには「飽きる」という概念がなかったのだ……!
「あっ、クラウスさん。クラウスさんはケバブサンド、飽きませんか?」
ちょうどお昼時の食堂にクラウスがやって来たので、私は聞いてみた。
すると彼は銀の髪をさらりと揺らして答えた。
「飽きないな。食べ物に飽きたことがない」
あんたもかーっ!
思わず頭を抱える私を、クラウスは若干不審の目で見ている。
フィンが気を利かせて彼にケバブサンドを渡すと、満足そうに片手で持って店を出ていった。
「えええ、この国、どうなってるの……。ラテ、ラテはどう?」
『ふむ。吾輩はケバブに少々飽きてきた。たこ焼きとローテションをできるし、ソースのバリエーションがあるからまだいいが、そろそろ新メニューを頼む』
「猫の方がよっぽど贅沢じゃん」
『吾輩は猫ではない! 偉大な魔獣だ!』
「はいはい」
ラテの文句は聞き流して、私は双子に向き直った。
「よし。これからはもっと色んな美味しいものを食べて、『ケバブサンドなんか飽きちゃった』って言ってもらうからね。覚悟して?」
「えー? 飽きないよ。美味しいもん」
「うん」
フィンとミアはもぐもぐ食べながら、動じていない。
しかし私自身が思うのだ。
ケバブもたこ焼きもローコストで美味しい。けれどお醤油の香ばしい匂いや、お味噌汁のホッとする味が恋しい、と。
この国は食材として香味野菜が割とある。それらを組み合わせて香辛料として使えば、味にバリエーションが出る。
とはいえ、故郷の味はやはり別格。
(お醤油もお味噌も、発酵食品だよね)
私は厨房の隅で優雅に寝そべっているラテを見た。
◇
『ショウユにミソ……? またおぬしの前世の奇妙な料理か』
私の説明に、ラテがぴくりと耳を動かした。
「奇妙じゃないわ、最高なのよ!」
私はラテに向き直り、熱弁を振るった。
「お醤油とお味噌はね、大豆と塩、それから『麹菌』で作られる究極にして至高の調味料よ! その風味は世界を魅了し、お醤油の一滴は恵みの雨となって大地に染み渡り、お味噌の一さじは人類を救うんだからっ」
『そんな馬鹿な』
ラテが冷静にツッコんできて、私は「ぐう」とうなった。
「まあ人類を救うはちょっとだけ大げさだけど、お醤油とお味噌が優れた調味料なのは本当よ。この二つがあれば、私の料理の幅が無限に広がるね」
なにせ私は元日本人。知っている料理の多くに醤油と味噌を使う。
「ラテ、あなたの発酵の力があれば、この世界でお醤油とお味噌を再現できるかもしれない! 一緒に最高の調味料、作ろうよ!」
私の呼びかけに、彼は興味深そうに金色の瞳を輝かせた。
『よかろう。吾輩の力、おぬしの料理のために存分に使うが良い』
◇
醤油と味噌作りの材料は、大豆と塩、麹菌。
このうち大豆は市場で見かけたので、既に買って絶対倉庫に入れてある。塩は言わずもがなだ。
問題は麹菌である。
この世界に都合よく存在するはずもなかった。
「ここにないなら、ありそうな場所を探してみよう」
というわけで、私たちはまずパン屋に向かった。
「うん? シスターは、あのケバブサンドの店主さんかい?」
パン屋のおかみさんが相手をしてくれる。
「あ、はい。よくご存知で」
「ねえシスター、うちのパン、あのサンドイッチに使ってくれないかね?」
「すみません。今のところは間に合っていますので」
ケバブサンドのパンは、自家製だ。パンっていうか水で溶いた小麦粉を油で焼いただけのもので、発酵などは何もしていない。ぺったんこの薄焼きである。小麦も安いライ麦を混ぜたりして、材料単価を節約している。
うちの店は軌道に乗ったとはいえ、薄利多売の商売。削れるコストは削らねば。
「ふうん、そうかい」
パン屋のおかみさんはちょっと不機嫌になってしまった。
「シスターの修道院で、孤児院があるだろう。あそこもパンの仕入れをやめちまったし、どうも不景気でいけないね」
「……私は修道院を出た身でして」
そうだ。孤児院ではパンの費用すらケチって、薄い麦粥ばかり子供たちに食べさせている。
そんなことを話していると、こっそりと店の奥に入っていたラテが戻ってきた。
「それでは、また」
フィンとミアのためにパンをいくつか買って、私はパン屋を出た。
「ラテ、どうだった?」
『駄目だな。麹菌はいなかった』
「そっか」
私がため息をつくと、ラテはひげをピクリとさせて笑った。
『だが、あの店のパン種の酵母菌は覚えたぞ。パンを焼くなら発酵させてやろう』
「いやそれってどうなの。企業秘密を盗んだようなものでしょ」
『細かいことは気にするな。どうせ吾輩以外でこんな真似をできる者はおらん。特殊な能力だと思って堂々としていればいい』
盗人ふてぶてしい猫である。まあ、パン屋の商売を邪魔しない範囲でお願いしよう。