表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/28

22:故郷の味

『旅するキッチン』の開業準備は、順調に進んでいた。


 フィンとミアが手を貸してくれるおかげで、割れ鍋亭の運営は驚くほどスムーズになった。店のことは二人に任せられるので、私は屋台の改装や新メニューの開発に集中できる。


「ルシル、美味しい!」


「うん、美味しいね!」


 厨房のテーブルで、フィンとミアが今日のまかないのケバブサンドを頬張っている。


「二人とも、毎日ケバブサンドばっかりでごめんね。飽きるでしょう」


 夕食はなるべく色々作るようにしているが、昼食は手軽に食べられるサンドがメインになる。

 ところが双子はきょとんとした顔をした。


「飽きる?」


「飽きないよ」


「え、なんで?」


 私が首を傾げると、フィンが当然という顔で言った。


「だって、美味しいもん」


「美味しくたって、毎日じゃ飽きるでしょ」


 どうにも話が噛み合わない。よくよく聞いてみると、こういうことだった。

 双子は隣の国の出身だが、食文化はこの国といい勝負。つまり「口に入れば何でもいい」の貧しさだ。

 そんな中、フィンとミアも毎日質素な食事を続けていた。黒パンとチーズと少々のサラダが定番で、昼どころか朝も夜もそんな感じだったらしい。

 つまり、彼らには「飽きる」という概念がなかったのだ……!


「あっ、クラウスさん。クラウスさんはケバブサンド、飽きませんか?」


 ちょうどお昼時の食堂にクラウスがやって来たので、私は聞いてみた。

 すると彼は銀の髪をさらりと揺らして答えた。


「飽きないな。食べ物に飽きたことがない」


 あんたもかーっ!

 思わず頭を抱える私を、クラウスは若干不審の目で見ている。

 フィンが気を利かせて彼にケバブサンドを渡すと、満足そうに片手で持って店を出ていった。


「えええ、この国、どうなってるの……。ラテ、ラテはどう?」


『ふむ。吾輩はケバブに少々飽きてきた。たこ焼きとローテションをできるし、ソースのバリエーションがあるからまだいいが、そろそろ新メニューを頼む』


「猫の方がよっぽど贅沢じゃん」


『吾輩は猫ではない! 偉大な魔獣だ!』


「はいはい」


 ラテの文句は聞き流して、私は双子に向き直った。


「よし。これからはもっと色んな美味しいものを食べて、『ケバブサンドなんか飽きちゃった』って言ってもらうからね。覚悟して?」


「えー? 飽きないよ。美味しいもん」


「うん」


 フィンとミアはもぐもぐ食べながら、動じていない。


 しかし私自身が思うのだ。

 ケバブもたこ焼きもローコストで美味しい。けれどお醤油の香ばしい匂いや、お味噌汁のホッとする味が恋しい、と。


 この国は食材として香味野菜が割とある。それらを組み合わせて香辛料として使えば、味にバリエーションが出る。

 とはいえ、故郷の味はやはり別格。


(お醤油もお味噌も、発酵食品だよね)


 私は厨房の隅で優雅に寝そべっているラテを見た。





『ショウユにミソ……? またおぬしの前世の奇妙な料理か』


 私の説明に、ラテがぴくりと耳を動かした。


「奇妙じゃないわ、最高なのよ!」


 私はラテに向き直り、熱弁を振るった。


「お醤油とお味噌はね、大豆と塩、それから『麹菌こうじきん』で作られる究極にして至高の調味料よ! その風味は世界を魅了し、お醤油の一滴は恵みの雨となって大地に染み渡り、お味噌の一さじは人類を救うんだからっ」


『そんな馬鹿な』


 ラテが冷静にツッコんできて、私は「ぐう」とうなった。


「まあ人類を救うはちょっとだけ大げさだけど、お醤油とお味噌が優れた調味料なのは本当よ。この二つがあれば、私の料理の幅が無限に広がるね」


 なにせ私は元日本人。知っている料理の多くに醤油と味噌を使う。


「ラテ、あなたの発酵の力があれば、この世界でお醤油とお味噌を再現できるかもしれない! 一緒に最高の調味料、作ろうよ!」


 私の呼びかけに、彼は興味深そうに金色の瞳を輝かせた。


『よかろう。吾輩の力、おぬしの料理のために存分に使うが良い』





 醤油と味噌作りの材料は、大豆と塩、麹菌。

 このうち大豆は市場で見かけたので、既に買って絶対倉庫に入れてある。塩は言わずもがなだ。


 問題は麹菌である。

 この世界に都合よく存在するはずもなかった。


「ここにないなら、ありそうな場所を探してみよう」


 というわけで、私たちはまずパン屋に向かった。


「うん? シスターは、あのケバブサンドの店主さんかい?」


 パン屋のおかみさんが相手をしてくれる。


「あ、はい。よくご存知で」


「ねえシスター、うちのパン、あのサンドイッチに使ってくれないかね?」


「すみません。今のところは間に合っていますので」


 ケバブサンドのパンは、自家製だ。パンっていうか水で溶いた小麦粉を油で焼いただけのもので、発酵などは何もしていない。ぺったんこの薄焼きである。小麦も安いライ麦を混ぜたりして、材料単価を節約している。

 うちの店は軌道に乗ったとはいえ、薄利多売の商売。削れるコストは削らねば。


「ふうん、そうかい」


 パン屋のおかみさんはちょっと不機嫌になってしまった。


「シスターの修道院で、孤児院があるだろう。あそこもパンの仕入れをやめちまったし、どうも不景気でいけないね」


「……私は修道院を出た身でして」


 そうだ。孤児院ではパンの費用すらケチって、薄い麦粥ばかり子供たちに食べさせている。

 そんなことを話していると、こっそりと店の奥に入っていたラテが戻ってきた。


「それでは、また」


 フィンとミアのためにパンをいくつか買って、私はパン屋を出た。


「ラテ、どうだった?」


『駄目だな。麹菌はいなかった』


「そっか」


 私がため息をつくと、ラテはひげをピクリとさせて笑った。


『だが、あの店のパン種の酵母菌は覚えたぞ。パンを焼くなら発酵させてやろう』


「いやそれってどうなの。企業秘密を盗んだようなものでしょ」


『細かいことは気にするな。どうせ吾輩以外でこんな真似をできる者はおらん。特殊な能力だと思って堂々としていればいい』


 盗人ふてぶてしい猫である。まあ、パン屋の商売を邪魔しない範囲でお願いしよう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ