20:修道院の裏の顔
「え……」
必要もないのに、神殿に送られる? 悪い予感がして、私は思わず言葉を失った。
「そして、その子たちが孤児院に戻ってきたことは、一度もありません。院長様にその後を問い合わせても、『亡くなった』とおっしゃるばかりで。それなのに神殿の共同墓地で名前を探しても、見つからないのですよ!」
いつもはおっとりとしているナタリーが、珍しく大きな声を上げた。
ラテが耳をぴくりと動かしている。
『つまり、その子らは行方知れずのままか』
「その通りです。わたくしの力が及ばず、悔しくて……」
ナタリーは拳を握りしめている。
身寄りのない孤児だから、探す人は他にいない。何かの目的でさらうなら、これ以上便利な相手はいないだろう。
私は予想以上に組織的な犯行に、思わず内心で唸っていた。
ナタリーは貴重な能力の持ち主で、施療院に欠かせない人材だ。だからヴェロニカに何度も抗議したり、子供たちの行方を調べたりしてもある程度は黙認されている。
そうでなければ私のように、あっさり追放されていただろう。
でも、もし一線を超えてしまったら。何か重大な秘密にたどり着いてしまったら。
きっと危険にさらされる。
「ナタリー。こうしよう」
少し考えた結果、私は言った。
「もし例の織物商に目をつけられた子や、重病じゃないのに神殿に送られそうになった子がいたら、私に知らせて。私、最近はお店の売上がけっこうなものだからさ。子供たちを何人か引き取る余裕くらい、あるんだよね。その子たちを先回りして引き取る」
割れ鍋亭は宿屋だから、部屋に余裕はいっぱいあるし。
ナタリーは心配そうに手を握り合わせた。
「でも、それではルシルちゃんはもちろんのこと、子供たちに危険があるかもしれません」
「とりあえずは大丈夫だと思う。ラテがね、けっこう強いのよ」
ラテのほっぺを指で突くと、彼は嫌そうな顔をした。
『「けっこう」ではない。「とっても」だ。人間のゴロツキの十人や二十人、束になって襲ってきてもどうということはないわ』
「はいはい。で、ここの宿にはクラウスさんもいるでしょ。お客さんだからあまり巻き込むのはナシだけど、あの人も相当強いから。用心棒の戦力は十分って感じ」
「……分かりました」
ナタリーは頷いた。
「狙われている子がいたら、すぐに知らせます。私もヴェロニカ院長様……いいえ、ヴェロニカのことを調べてみます。どうかよろしくお願いします」
「やめてよ、ナタリーと私の仲じゃない。ていうか、調べてくれるのはありがたいけど、くれぐれも慎重にね。危なそうだったら手を引いて。ナタリーにもしものことがあったら、私、自分を許せないと思うから」
「ふふっ」
ナタリーはやっと笑ってくれた。
「修道院を出てから、ルシルちゃんは少し印象が変わったと思っていましたが。やっぱりルシルちゃんはルシルちゃんですね」
「そりゃそうよ。色んなことがあったけど、私は私で変わらないよ」
前世の記憶と人格が混じり合っているけれど、この世界で生まれ育ったルシルの心だってきちんと根付いている。
ナタリーは大事な友だちで、孤児院の子たちは身内も同然なんだ。
と、ここで私はもう一つ思い出た。
「そうだ、ナタリー。『お城の地下の竜』のこと、何か知らない?」
「竜……? いいえ。お城といえば、アステリア王国の王国旗が竜ですが」
アステリア王国の建国王が卵から竜を育ててパートナーにしたという話だ。
この国では有名なおとぎ話で、建国王は育て上げた竜とともに色んな敵を打ち倒し、アステリア王国を作ったというものである。
「ルシルー! たこ焼きがなくなったよ。倉庫から出して!」
お店の方からフィンの声がする。
「はーい、今行くよー!」
私は立ち上がった。
ナタリーとラテの顔を見て、もう一度頷く。
「私はバリバリお金を稼いで、フィンとミアをしっかり守るから。絶対に他の子たちも助けよう!」
「はい!」
『まあ、仕方ないな』
それぞれの返事を聞きながら、私は暗い水面を覗き込んだような気持ちと、負けられない決意を固めていた。
◇
ある日の午後。私はフィンとミアを連れて、市場へと向かっていた。
季節はすっかり春に入って、ずいぶんと暖かくなった。雪はもう降らず、日陰にいくらかの残雪が見えるだけになっている。
(スープ屋台の店長さんは、ずいぶんご無沙汰しちゃったな。元気にしてるかな?)
私が最初の一歩を踏み出せたのは、あの店長さんのおかげだった。
冬の時期、熱々スープのデリバリーを思いつかなければ、私はその日の宿賃を稼げなくて最悪、野垂れ死んでいたかもしれない。
その後も厨房施設を無償で貸してくれたり、お世話になってばかりだった。一度顔を出して挨拶するべきだろう。もう春だからスープ配達の需要があるか分からないが、何か手伝えることがあれば手伝いたいし。
「屋台、屋台かぁ。屋台を買うならどのくらいの値段になるかな……」
スープ屋台のことを考えていたら、ついそんなセリフを呟いてしまった。
するとフィンが言った。
「今のお店のお金、ぜんぶ使えば買えると思う」
「へ?」
私は思わず彼を見る。
「なんで分かるの?」
「しじょうちょうさは、商人のたしなみだよ。ね、ミア?」
「うん。お父さんと、お母さんの、くちぐせ」
「お買い物をする時に、いろいろ聞いたんだ」
なんと。私が把握していないものの値段を、市場に何度か来ただけのこの子たちがちゃんと知っている。しじょうちょうさ、市場調査か。
私はまたもや自分の無能さを噛みしめる羽目になった。
いいや、いいんだ。うちの子たちが有能だってことなんだから!
「あーでも、貯金全部かぁ。それはちょっときついな」
割れ鍋亭は大いに繁盛しているが、基本は単価の安い食べ物。薄利多売である。
まだまだ大儲けには程遠かった。
日々売上は積み重なっているとはいえ、貯金を全放出するのはちょいと不安がある。私とラテだけなら何とでもするが、今はこの子たちがいるから。間違っても路頭に迷わせるわけにはいかないのだ。