12:陸イカ焼きの恐ろしい罠
【三人称視点】
その頃、王都アステリアの修道院では、院長ヴェロニカが朝食を前に不機嫌な声を上げていた。
彼女の皿に並ぶのは、朝から豪華な皿である。分厚いベーコンはしっかりと焼かれて、黄金色のスクランブルエッグに添えられている。焼き立ての白いパンにはたっぷりのバター。皮を剥かれたばかりのリンゴがデザートだった。
一般の修道女や孤児たちが食べる薄い麦粥とは、天と地ほどの差がある内容だ。
「最近、どうにも食事が不味いわ。料理番の修道女がたるんでいるんじゃないの?」
銀のフォークを皿に置き、ヴェロニカが忌々しげに呟く。
側に控える取り巻きの修道女が、追従のつもりで口を開いた。
「申し訳ございません。これも、ルシルがいなくなってしまいましたからですね。あの子は本当に料理上手で、重宝しておりましたのに。残念ですわ」
「ふん、そうだったわね。でも盗みを働くような女は、この修道院に必要ありません。出ていって当然ですわ」
ヴェロニカはそう吐き捨てながら、オムレツを口に運んだ。火が通り過ぎてごわごわになっている上に、塩加減の足りない味だった。
(あの子の作る、ふわふわのオムレツの方がよほど美味……いえ、いくらかマシだったわね)
内心でルシルの腕を認めざるを得ない自分に、ヴェロニカはさらに苛立ちを募らせるのだった。
◇
【ルシル視点】
「ケバブ一本じゃ、いつか飽きられる。次なるヒット商品が必要よ!」
私は『割れ鍋亭』の厨房で、新たな野望に燃えていた。
ケバブサンドの成功で店は絶好調。でも、ここで満足しているわけにはいかない。
なんたって私の目標は、B級グルメで王都のみんなの胃袋を掴むことだ。そうして大成功を収めたら、お金もガッポガッポ。
それを元手に孤児院を買い取って、今度こそあの子たちにお腹いっぱい食べさせるんだから。
『次の目算は立っているのか?』
厨房のテーブルの上に座って、ラテが言う。くるりと丸められた尻尾がとても可愛らしい。
「それなんだけどね。昨日、市場で面白いものを見つけたの」
私が絶対倉庫から取り出したのは、カゴに盛られたキノコである。
どこかキクラゲに似た感じで、透明感があってプルプルしている。形もちょっとイカに似てるかもしれない。
「『陸イカ』っていうキノコなんだって。その名の通りイカに似た食感で、王都じゃ炙って酒の肴にするんだとか」
私は陸イカをまな板の上に置いた。ぬめりと弾力のある手触りは、本当にイカみたいである。
『……ルシルよ、それは本当に食べられるものなのか? 吾輩の腹が「やめておけ」と警告しているのだが』
カウンターの隅で毛づくろいをしていたラテが、胡散臭そうな顔で私を見た。
まあ、猫にとってイカは毒だからね。ラテは魔獣だしこれはキノコだけど。
「大丈夫、大丈夫! 市場の食材コーナーで売られていたもの。火を通せば毒も旨味に変わるのよ、たぶん!」
私は楽観的に笑って、早速調理に取り掛かった。
◇
「うん、これはイケる。こっちも悪くないわね!」
最高の「陸イカ焼き」を開発するため、私は様々な調理法を試して、その都度つまみ食いを繰り返した。
輪切りにして中の空洞部分に香草を詰めてみたり。
焦がしバターで焼いてみたり。
小麦粉の衣をつけて、唐揚げにしてみたり。
「んー、これはやっぱり、早めにお醤油とお味噌が欲しいねえ」
どれもが本当のイカのように美味しい。
調子に乗った私は、生や半生のレシピにも手を出した。
そう――市場の主人の「火の通りが甘いと腹を壊す」という忠告をすっかり忘れて。
そして、半生のものをパクリとやった、その直後。
「ぐっ……!?」
お腹の中から、ゴブリンが棍棒で殴りつけてくるような、猛烈な痛みが走った。
ごぎゅるぅぅぅるるるぅ、とひどい音が鳴り響く。
「い、痛い痛い痛い……!」
脂汗を流しながらトイレに駆け込んで、そこから一歩も動けなくなってしまった。
あまりの痛みに「神様……仏様……やば、仏様はこの世界にいないや……」と意味不明な祈りを捧げる。
これが、食い意地の代償……ッ!
◇
トイレとお友だちになってしまった私の、唯一の希望。
それは談話室で優雅にくつろいでいるはずの、我が相棒ラテだった。
「ラテ、ラテ、お願いがあるの!」
私はトイレの扉を必死に叩きながら叫んだ。
『何だ? 吾輩は腐敗の魔獣。腹痛の治療などできぬわ』
扉のすぐ向こうでラテの声がする。
「人を呼んできて! 修道院の施療院に、ナタリーっていう人がいる。年は私より少し上で、黒い髪に、ムーンストーンみたいなきれいな目をした人だから、すぐ分かると思う。あの人、お腹痛いの治せるんだよぉぉぉ!」
腹痛の波が襲ってきて、最後の方は悲鳴みたいになってしまった。情けないけど、どうにもできなかった。
ていうかめちゃくちゃ痛くて死ぬ!
『……なぜ吾輩が人間の使い走りを。しかも自業自得の腹痛ごときで!』
テレパシーで響くラテの声は、呆れかえっていた。
でも、私の本気のSOSを見捨てることもできなかったらしい。
『……今回だけだぞ。報酬は魚だ。ヨーグルトソースをたっぷりつけろ』
悪態をつきながらも、風のように窓から飛び出していく気配がした。
◇
【ラテ視点】
割れ鍋亭を飛び出した吾輩は、ルシルから念話で受け取った地図を頼りに、修道院とやらに向かった。
修道院はいつも行く市場とは違う方向にある。だが、偉大な魔獣である吾輩の感覚をもってすれば、迷うことなどありえない。
道路を素早く横切り、民家の塀の上に飛び乗って風のように走る。
吾輩の本質は豹に似た巨大な魔獣だが、力を抑えるために変化している猫の姿も便利である。
やがて行く手の丘の上に、修道院の建物が見えてきた。ルシルの頭にあったイメージと同じだ。間違いない。
修道院の敷地には、いくつかの建物が併設されていた。
一番大きな建物が修道院だろう。ルシルと同じシスターの服を着た女たちが行き交っている。
少し小ぶりな建物は、孤児院だろうか。薄汚れてボロをまとったガキどもが、それでも元気に遊び回っていた。
一番小さな建物に近づくと、薬草の匂いが鼻をついた。
(施療院とやらは、ここだな)
入口の扉は開かれていたので、中を覗いてみる。何人かの人間がいるようだ。