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神に祈るより肉を焼け。追放シスターの屋台改革!  作者: 灰猫さんきち
第7章

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110/110

110:二人の祈り

 ザザザザッ、と水面に波紋が走った。

 少し距離はあるものの、倉庫の能力が正確に発動する。水面に浮かぶドングリと野菜くずは、次々と倉庫に格納されていく。


 周囲の群衆が声を上げた。


「おお……! 泉が清められていくぞ」


 だが問題は小麦粉だった。

 小麦粉はすっかり水に溶けてしまっていて、分離するのが不可能だ。

 ならば水ごと――と思ったのに、ここの水は妙に『重い』。重たくて、思うように倉庫の中に入れられない。


「ぐっ……どうして」


 私は唸る。この竜の泉は聖なる泉。元々竜の涙と言われていた上に、建国から五百年もの間、人々の信仰を受け止め続けてきた。

 水にたっぷりと含まれた不思議な魔力が、本来の質量の数倍、数十倍もの重みとなって倉庫を拒む。


『ルシル、無理をするな』


 顔を歪ませる私の横に、ラテが進み出た。


『この泉の魔力はおかしい。通常ではありえない濃度だ。おぬしの倉庫の能力とて、魔力に影響をされるのだから』


「で、でも。小麦粉をあのままにはできないわ。ちゃんと回収して、せめて肥料か何かにリサイクルしないと」


 けれどできそうにない。

 小麦粉を回収しようと水を格納すればするほど、体が重くなっていく。


「おほほ! 無駄なあがきだったようね。さっさと負けを認めて跪きなさい!」


 押さえつけられた格好で、ヴェロニカが得意そうにしている。神官たちは「何言ってんだこいつ」みたいな顔をしていた。


「竜の泉が汚されるなど、前代未聞の不祥事。これは大神官様の責任問題になりますぞ」


 宰相派の神官長が言う。もう一人も口を開いた。


「その通り。どう責任を取るおつもりか?」


「勝手なことを。責任を問うのであれば、我ら神官長も等しく問われるべきだろう。ここで不毛な議論をするよりも、まずは竜の泉を清める。次に犯人を捕まえる。それ以外にない」


 シルヴェスターが言って、中立派の神官長たちが頷いた。


「幸い、そのルシルの働きで一部は清められました。すぐに掃除をしなければ」


「ヴェロニカ・スタンリーは拘束を続けるように。容疑者です」


 何人かの神官たちが走ってきた。手にはバケツを持っている。泉の掃除をするつもりだろう。

 だが、泉に足を踏み入れた神官たちの体がぐらりと揺らいだ。

 慌てて互いに支え合っているが、小麦粉が溶けている辺りまで進めない。


「どうした?」


 シルヴェスターが声を掛ける。


「それが、泉に入るとひどいめまいがするのです」


 神官が答える。彼の顔色は真っ青だ。


「何……?」


 シルヴェスターは膝をついて泉に手を差し入れた。途端、眉を寄せる。


「魔力が異常に高まっている。まさかこれほどとは」


「竜の泉は普段から魔力が高いが、確かにこれは異常事態だ」


 他の神官長たちも確かめて、難しい顔になった。

 群衆たちがざわめき始める。


「おい、何だか様子がおかしいぞ」


「聖なる竜が怒っているのでは? 怖い!」


「神殿は何をやっているんだ!」


 人々の怒りが神官や神殿に向き始めた。

 いつもは人々の心をまとめあげている神殿への不信感。信仰心ゆえの疑いと恐怖が入り混じって、暴発しかけている。


「今すぐに泉を清めなければ、きっと竜の怒りが下る!」


「早くしろよ!」


 じり、と群衆が前に出た。一触即発の空気が漂う。





「お待ちなさい」


 と、その時。

 竜の泉に凛とした声が響いた。

 見れば神殿の建物の方から、一人の少女が歩いてくる。

 美しい金の髪に、引き込まれるような紫色の瞳。――エレオノーラだ。


 彼女は兄アルフォンスのエスコートを受けながら、泉のほとりまでやって来た。


「第二王子殿下、第一王女殿下」


 シルヴェスターが言って軽く頭を下げた。

 神殿は王家とは独立した勢力。たとえ相手が王子や王女であっても、神官たちは跪いたりはしない。


 王子と王女の登場に群衆は戸惑った。


「あの娘が王女殿下? 初めて見た」


「噂だと重い病気だったんだろ?」


「でも食料ギルドのデマの時、元気になってきていると言っていたような」


 エレオノーラは神官たちと群衆を見渡した。

 その姿は威厳があって、少し前のような今にも倒れそうな儚さはもうない。自分の足でしっかりと立っている。


「市民の皆さん、初めまして。わたくしは第一王女エレオノーラ。長らく病に伏せっていましたが、シスター・ルシルの料理のおかげで元気になりましたの」


 泉のそばで座り込んでいる私に近づいて、手を取って立たせてくれた。


「わたくしは大治癒の能力者。聖女として神殿に入る予定です。今日は大神官様との面談のため、神殿に赴いておりました。……まさかこんな事態になっているとは、思ってもみませんでしたが」


 エレオノーラは痛ましげな瞳で、小麦粉が溶けて濁った水を見た。


「市民の皆さん。どうかご安心ください。竜の泉は汚されてしまったけれど、シスター・ルシルとわたくしの力によって、全て清めてみせましょう」


 彼女は私の手を取ったまま、泉の中に一歩踏み出した。

 ひやりとした感覚が足元に走る。同時にぐらり、足がふらつく感覚がした。濃すぎる魔力が平衡感覚を奪っているのだ。


 ヴェロニカはよく、こんな泉に小麦粉やドングリを投げ入れたものだと思う。

 もっとも泉に入ったわけじゃなく、ほとりから投げたのかもしれないが。


 けれどエレオノーラは揺るがなかった。

 彼女が横目で微笑みを向けてくる。すると私もすっと体が楽になった。

 温かな光が体に入ってきたかのようだ。この感覚は知っている。ナタリーの小治癒を受けた時によく似ている。

 ということは、エレオノーラが私に治癒能力を使ってくれたんだ。

 そのまま私たちは手を取り合って、泉の中を進んでいく。腰下までも水に浸って、小麦粉で濁る部分のすぐ前までやってきた。


「……祈りを」


 エレオノーラは軽く目を閉じて、手のひらを水面につける。


「聖なる竜、アステリア王国の守護者エルドランドよ。天駆ける流星の如き竜よ。貴方の慈悲深き涙により、我らの渇きは救われました。どうか私たちに眼差しを注ぎ、これからも慈雨を降らせますように。渇きに苦しむ民を救いますように。飢えと渇きとを遠ざけて、正しく生きられますように」


 彼女が口にしたのは『竜の祈り』。この国では一般的な祈祷句である。

 別に魔法の詠唱ではない。人々が日常的に口ずさむ、恵みをもたらした竜への感謝の祈りだ。

 だからそれ自体には何の力もない言葉、……だったはずなのに。


 祈りの最後の一句と同時、カッと光が弾けた。

 真昼の太陽のような真っ白な光があふれて、私は思わず目をつぶる。

 エレオノーラを中心に力があふれて、泉の表面に波が立った。

 白熱した光が収まると、視界が徐々に戻って来る。


 そうして私が見たものは――。


 汚れも淀みが消えて、元の青い清らかさを取り戻した竜の泉の姿だった。


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