表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/14

10:最高の相棒

 ラテが仲間になって、初めての朝が来た。

 厨房に足を踏み入れると、昨日まで鼻を突いていた腐敗臭はすっかり消えて、代わりに爽やかな乳製品の香りが満ちている。壺の中には、ラテが作り出した極上のヨーグルトがたっぷりと入っていた。


「おはよう、ラテ」


 私の足元で丸くなって眠っていたラテに声をかけると、彼は小さく「にゃあ」と鳴いて、金色の瞳を開けた。厨房が一人ではなくなった。そう思えば、じんわりと心が温かい。


 開店と同時に一番乗りでやってきたのは、やはりクラウスさんだった。彼は無言でケバブサンドを注文すると、カウンターの隅で毛づくろいをしているラテの存在に気づき、わずかに眉を動かす。

 最強の剣士と強大な魔獣(猫)が、無言で見つめ合う。奇妙な緊張感が走る中、私は「はい、おまちどうさま!」と能天気にケバブサンドを差し出した。





 ケバブサンドの安定供給のためには、ヨーグルトの量産体制を整えなければならない。

 私は市場で大量の山羊乳を仕入れてくることにした。


「ラテも来る?」


『そうだな。人間の町は興味深い。見物に行くとしよう」


 今日買うつもりなのは山羊乳だが、他にも発酵食品で生かせるものがあるだろう。発酵マイスター・ラテの審美眼で見極めてもらうのだ。


「元日本人としては、お醤油と味噌は外せないんだよね~」


『なんだ、それは。というか「元日本人」とは何だ?』


「それは話せば長くなるねぇ」


 前世の話は言いふらすようなものではないが、ラテになら言ってもいいだろう。だいたい、腐敗と発酵の微生物の話を(勢いで)もうしてしまった。人間の文化に疎い彼だが、そのうち私の話が人間の知識として異例だと気づくはずだ。


「とりあえず、ケバブ用のヨーグルトを確保しよう。その後、いろいろ話すよ」


『承知した』


 市場は今日も賑わっている。最近の私は割れ鍋亭の商売に専念するため、スープデリバリーのお仕事はやめてしまった。

 それでも常連さんが挨拶がてら声をかけてくれる。


「あっ、シスター。今日もスープはなし?」


「ごめんなさい。お店の商売が忙しくて、こちらまで手が回らないんです」


「うーん、そっか。仕方ないね。でも、あっちのお店は少し遠いから。余裕ができたら市場でも売ってくれよ。スープもサンドイッチも食べないと腹が寂しくてさ」


 そんなことを言われてしまう。嬉しい悲鳴ってやつだ。

 ケバブのヨーグルトソースもまだまだ工夫の余地があるし、忙しいことこの上なし。

 できればスープ屋台の店主さんに挨拶して、たまにでもデリバリーをしたいんだけどねえ。


 ラテは興味深そうな顔で市場をきょろきょろと見回している。人混みの中でピンと立つ尻尾が可愛らしい。

 彼はトコトコと歩いて、一件の店の前で立ち止まった。


『ルシル、見ろ。魚だ』


 生きたまま樽に入れられた魚が泳いでいる。ここは港町まで少し距離があるが、こうして生け簀のように運んできているんだ。

 ラテがじゅるりとよだれを垂らしそうな顔になっている。


『美味そうだ。こいつもお前の料理でとびっきりになるんじゃないのか』


「あ、そうね。ヨーグルトソースは魚にも合うと思うよ。お魚もタンパク質だから、ヨーグルトの乳酸菌が柔らかくふっくらにさせてくれる」


『よし、買え。買うんだ』


「いや、今日は山羊のお乳をね……」


『買ってー!』


 腐敗の魔獣様が二歳児のような駄々をこねだしたので、私は仕方なく魚を一匹買った。


「毎度あり。下ろしておくかい?」


 店主が包丁を構えるが、私は軽く手を振って断った。


「いいえ、平気です」


 魚を下ろすのは得意だ。前世でも修道院でもたくさんこなした。

 魚を絶対倉庫に格納する。冷蔵庫がない世界で、時間停止は便利過ぎるわ。


「お魚の発酵食品といえば、くさやとかシュールストレミングが有名ね」


『なんだ、それは』


「一言で言えば、『すげークサイ食べ物』かな」


『……』


「くさやもそうだけど、シュールストレミングは世界一臭い食べ物だって言われてたね。うん、そのうち一度挑戦してみよう」


『…………』


 さらに市場を歩いて行くと、野菜果物コーナーに差し掛かった。リンゴが手頃な価格で出ていたので、買っておく。


「ヨーグルトにリンゴをすりおろして加えると、けっこういい感じだったから。あとはニンニクも」


『リンゴとニンニクを同時に加えるのか?』


「そうだよ。美味しいよ?」


『……料理とは、錬金術もかくやであるな』


 ラテは妙に悟ったようなことを言っている。


「あっ! 大豆がある!」


 私は一軒の露店に駆け寄った。たくさんの豆が売っているお店で、重ねられたざるの上におなじみの丸い豆があったのだ。

 大豆があれば、お醤油や味噌、お豆腐が作れる! 日本人としての魂が燃え上がった。

 醤油も味噌も作り方は知っている。一時期手作りに凝っていて、色々試したのだ。

 この世界にはこうじがなくて実現不可能だったが、今はラテという相棒がいる。材料と仕込む場所さえあれば何とかなるだろう!


 私は大豆も買い込んで、絶対倉庫に入れた。倉庫最高。


『山羊の乳を買うのではなかったのか?』


 ラテが呆れている。


「お魚買ってー! と駄々をこねた人には言われたくありません」


『「人」ではない。魔獣だ』


 そんな憎まれ口を叩きながら、私たちは今度こそ山羊乳を扱っているお店にやって来た。

 たくさんのバケツにミルクが入っていて、濃い匂いが漂っている。山羊も何頭かいて、「メェ~」と可愛らしく鳴いていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ