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80回目の夏  作者: 時雨 朝
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本文

この時期になると思い出す。


ひーおじいちゃんの事。

自分はほとんど覚えていない。


自分が小学生に入る時に亡くなった。


だから主なエピソードは母に聞く。

母曰く、変なおじいちゃん。


母の父親。

つまりおじちゃんも、あの人は頑固だからとよく言っていた。


おじいちゃん曰く。

若い時は戦争に行って。

なんか運良くひーおばあちやんと出会い。


おじいちゃんとその兄弟を育てた。

すごく静かで、無線関係の会社に勤めていたらしい。


お酒なんかも、決まった量しか飲まない。


ボーナスの時はスルメの大きいのを買って来て、細かく切りながら何日もかけて大切に食べ。

野菜がとれた時はひーおばあちゃんが作ったお漬物をおつまみに。


すごく静かだったそう。

勤労感謝の日を、新嘗祭と呼ぶ人。


文句も言わず、働き。

おじいちゃんが小さな時に駄々こねても、我慢しろ、今はお金がない。


なんてはっきり言う人だったそうだ。


今の時代からは想像もできないけど。

昔はコンビニもなくて、とても大変な暮らしをしていたそう。


そんなおじいちゃんも大人になり。

母を抱っこして連れて行った時は。


普段無表情なひーおじいちゃんはボロボロ泣いたそう。


「孫の顔を見れると思ってなかった」


泣き崩れるを見たおじちゃんは、かなり驚くとともに、母を大切に育てよう。


なんて思ったんだとか。


そんな母が、1番記憶に残っているのが、母がまだ、小学生だった時。


ひーおじいちゃんは、同窓会に行ってくると、いなくなったそう。


しかも朝早くからいなくなり。


帰って来たのは真夜中。

普段ならあまり酔っ払う事ない人が。


ベロベロになって帰って来て。

ひーおばあちゃんにしがみついて。

ワーワー泣いていたのだとか。


母はその時に何が起こったのか。

わかっていなかったのだと言う。


母が大きくなり、大学を出た時、世の中はバブル崩壊の後だったらしい。


その頃には、ひーおじいちゃんは。

会社は退職していたけど。


だんだん認知が怪しくなって来ていたひーおばあちゃんのために、畑をやっていた。


日に日に、記憶が悪くなるひーおばあちゃんと最期まで添い遂げて。


ひーおばあちゃんが亡くなったのが。


自分が生まれる3年前。

うちの父と母が付き合い始めた時期だ。


わたしが生まれたのは21世紀になってすぐ。


ひーおじちゃんは自分が生まれた時は。

泣くとかはなかったみたい。


その代わりなんてこったなんて言いながら。


天を仰いだんだとか。


どんどん大袈裟になってる気がする。

でもうっすら残る自分の記憶で行くと。


普段から新聞や本を読んで。

あまり話さないけど。


語りかけに応じてくれたのは覚えている。


ひーおじいちゃんにとっては、かなり衝撃だったのだと思う。


少しそれを想像すると、ひーおじいちゃんが可愛く思えてしまう。


ギャップが。


夏が近づくと、このエピソードを思い出す。


ひーおじいちゃんに関係の深い季節だからだ。


そして、色々学ぶことがきっかけは大学生の時。

おじいちゃんが我が家に来て。


ひーおじいちゃん荷物が出て来た。

なんて言って遊びに来たのだ。


その時、ひーおじいちゃんの家の倉庫を解体しなければならず。


中のものを運び出したのだと言う。

その中には、日記と。

ひーおじいちゃんからひーおばあちゃんへの手紙。


色々あった。

若い時の写真。


まずおじいちゃんの証言とずれていたのは。


その手紙を見ると。

たまたま結婚したのではなく。

かなりの熱烈な恋文だった。


よほど好きだったみたいだし。

自分が死んで帰ってこなかったら。

責任が取れないので何も言わずに戦地に行った事。


結婚してないことを知り、諦めがつかなかったこと。


そして出て来たひーおじいちゃんの写真。


かなりかっこいい。

おじいちゃんをもっと肉付きを良くして鍛え上げた感じの見た目。


若い時はモテたのではないかな?


と言う好青年に見えた。


しかし、どこの戦地に行ったのかは。

手がかりはなかった。


写真を見る限り、歳をとったひーおじいちゃんとは違う鋭い眼光。


当時の緊張感が写真からも伝わる。


そして色々思い出したのは。

勤労感謝の日をなぜ、新嘗祭と呼んでいたのか。


それはひーおじいちゃんが若い時はそれが当たり前だったからだ。


日記からそれを感じる。


さまざま見ていく。

ひーおじいちゃんが描いたであろう。

近所の山の景色。


短歌、俳句。


かなり勇ましく、燃え上がる男の子のような感じの文が多い。


1番底にある習字の道具箱のようなもの。


これはなんだろうと思いながら。

開けると、中には封筒が3個。


半紙に書かれた名前一覧と。

その脇に○とか×書かれている。


×が書いてあるの。

成田さん。

沢村さん。

田辺さん。


その三人。

封筒を見ると、ちゃんとその名前と一致する。


恐る恐る封筒を見ると。

その人の写真。

髪の毛、爪。

あとは辞世の句のようなもの。

字がかすれてあまり読めない。


その遺品を見ながら、いきなり目の前にあらわれる。


ひーおじいちゃんが背負った現実の重さに、胸が締め付けられた。


そしてなんとなく、母が小さな頃に話していた同窓会の意味もなんとなく察してしまう。


きっと今では、まるで悪の巣窟みたいに言われる、あの神社に参拝していたのだろう。


自分も、なんとなくしか知らなかったけど。


自分のひーおじいちゃんの代まで行くと、ここまで身近だったのかと思うと。


少し不思議な感覚だった。


テレビやラジオではかなり遠くの出来事のように聞いていたから。


ふと、その道具入れの端にひーおじいちゃんが書いたであろう辞世の句があった。


名前が書いてある。

間違いない。


「戦乱で 魂我が身 朽ちるとも 護るためにと 省みらざり」


そこにしたためられたのは。

ひーおじいちゃんの決意だけだった。


普段は物静かで。

魚と中華料理なんかが好きなひーおじいちゃん。


多分これを書いた時はまだ20歳になったばかりの頃。


つまり今の自分とあまり変わらない。


その考えに行き着いた時、動悸がした。


今の自分はそんなことを考えるでもなく。


ネットで好きなものを見たり、聞いたり。


誰かを護る?

国を護る?


想像できない世界だった。

高校の教科書ではそんなに長くない近代史。


少し、学校で近代史調べてみようかなとなったのはこの時期だった。


ひーおじちゃんがそれに巻き込まれ。


その人の生きてる姿を知っている。

どんな人かも知っている。


それだけで、あまり惹かれなかった近代史がずっと身近に思えた瞬間だった。


その次の週から学校の図書館。


中古の本屋。

さらに古いものがありそうな古書店。


いろいろ時間を見つけて読んでいった。


教科書に近いものも読み直したし。


それとは反対の意見も読んだ。

当時の世界地図が載っているもの。


その観点からなぜ、日本がそこに軍を出したのかとか書いている本もあった。


そうすると、教科書からの乖離もあって、混乱しながら読んでいた。


それを知って口に出すのは難しそうな社会全体の雰囲気。


その本に対して歴史修正なんてレビューもついていて。


ますますわからなくなる日々を超えて。


一つの結論に行く。


今の社会全体の流れに流されて。


バッシングされている方を無視するのは、ますます何かが見えなくなるのではないか?


そんな感覚、だから国内の人ではない人がどうみているのか?


とか。


日本の周りはどうみているのか?


そんな本も読みつつ。


付け足してみると。

だいたいわかってきたのが。


どちらにもバイアスというものがある。


という結論。

今はウクライナとロシア。

イスラエルとガザ。


そこも戦争をしている。


そこをヒントに読み解くと。


どちらの味方なのかによって報道が、メディアによってさっぱり違う。


そこに行き着いて、今までのモヤモヤしたものがほどけていく感覚。


やっと落ち着く。


この二つの戦史は、どちらの視点で見ているか?


の違いしかなく。

おそらく教科書に載ってるのは勝った方の言い分で。


あんなレビューも載っていたんだと思う。


そんな思考の整理をしてもう一度、あの戦争のことを読みなおす。


すると色々見えてくる。

戦死した時のために、辞世の句と、髪の毛や爪、写真を仲間に託す。


生き残った人が国に持って帰る。


ひーおじいちゃんの遺品整理で出てきたのは、多分それだ。


そう気がついた時。

頭が真っ白になる。


ひーおじいちゃんは多くを語らず。

寡黙な人だったが。


その裏には、こんなきつい現実を背負ってきたのかと。


そして、その本に書いてあったこと。

兵隊は、その戦闘で死ぬかもしれず。


その時に、では、死んできます。

なんてことは言えないので。


靖国で会おう。


そう言ったそう。


それは、戦争で亡くなった人は靖国神社に祀られる。


その当時の考えからだったという。


同窓会の話が繋がり、頬に涙が伝い。


言葉が出なかった。


ひーおじいちゃんは、亡くなった仲間たち、同じ生き残りに会ってから、本当に同窓会してたのかもしれない。


だからあれほど決めて普段から量を決めて酒を飲んで。

乱れず。

静かにしていたひーおじいちゃんは酔っ払って帰ってきたり。


泣いていたりしたのだろう。


何を思い出したのかはわからない。

それでも、命懸けで戦い。

仲間を失い。


戦いに負ける。


その悔しさは、言葉では言い表せないくらいの苦痛だと思う。


「戦乱で 魂我が身 朽ちるとも 護るためにと 省みらざり」


改めて、この言葉の重さがのしかかる。


自分が情けなくなる。


自分は、ひーおじいちゃんに何か感謝できただろうか?


何かを返せているだろうか?


それとも自分生きていれば。

ひーおじいちゃんは満足だろうか?


何も考えられなくなる


今までの行動の浅はかさ。


なんも考えていなかった自分に。

うんざりする。


ひーおじちゃんは一言も言わなかった。


お前たちを護ってやった。

お前たちのために、死にかけた。


語られることのなかった現実。


でもその現実を今知る。

言葉が出なかった。


思い出されるのは、その遺品を配り歩いた時に使ったと思うあのメモ紙、


たくさんの名前があった。

おそらく、全て返していったのだろう。

なんらかの理由があって渡せなかったあの三人を除いて。


みんな家族のもとに帰って行った。

そして、終戦の日は。

みんなで靖国に集まる。


戦場でそう約束したように。


自分は終戦の日に、テレビやラジオに何を見せられていたんだろう。


そんな気分になる。


ここまでのことを知ると。

周りの声や、視線など。

わずかなものに感じるような気すらした。


自分の家族はこうして。

生きている。


孫の顔を見れると思わなかったといい泣いたひーおじいちゃん。


そう思ったのは今考えると。

そうだよねとし考えられない。


自分と似た年代の人、上の人。

たくさん戦場で亡くなって行ったのだから。


心の中をぐちゃぐちゃとした感情が駆け巡る。


自分が思うほど、自分は何もない人間ではなかった。


自分が思うほど自分はちっぽけではなかった。


ひーおじちゃんがいろんな悔しい思いをして。


死と真正面から対峙して。


おそらく戦後の混乱の中就職をして。


何とか、家庭を持ち。

おじいちゃんが生まれた。

母が生まれ。

自分がいる。


そんな時代の大きな海の中の流れで行ったら。

自分はたまたま今を生きているだけかもしれない。


しかし、熾烈な競争と戦いの中。

紡がれた命の一つであると自覚した瞬間である。


本当に静かで、あまり激昂する人でもなかったと母から聞いている。


その静かさ、落ち着いている裏側でこんな複雑なものを抱えて。


己を保って生きてきたひーおじいちゃん。


もう自分の気まぐれさ。

卑怯さ。

だらしな。

デタラメさ。


それを恥じるよりも。

そんな人のひ孫であり。


ひーおじいちゃんに対する尊敬の念しか無くなっていく。


なんかいろんな事を乗り越えてつかんだ情報や。


さまざま調べた結果を振り返りつつ。

今の社会状況で思うことは。


この事を胸にしまい、ひたすら前を向こう。


周りから、何と言われても。

自分だけは、ひーおじいちゃんの気持ちだけは忘れてはいけないということ。


そして焦らなくていいとうこと。


親の態度やその他を見てていると。

お金かかったとか。

学校の成績とか、これからの就職の事。


それを考えると、生産性って言葉に縛られて。


自分はちっぽけで、価値なんてないと思ってた。


それってなんて失礼な事だろう。


ひーおじいちゃんが目の前にいたらなんていうだろう?


胸を張れ負けんな。


そう言って励ましてくれるだろう。

母もそうやって自分を育ててくれた。


同じ事を言うに違いない。


そして今日は奇しくも。

80回目のひーおじいちゃんの言い方で言うと。


同窓会の日。


調べると大手の動画サイトでは。

追悼中継をしている。


ひーおじちゃんはここにいたんだね。納得する。


それは、帰りが遅くなるよね。


色々な人が集まっている。


その様子を見ながら。

頭をよぎる。


「戦乱で 魂我が身 朽ちるとも 護るためにと 省みらざり」


その覚悟と、辛さを考えると。

ひーおじちゃんはどんな気持ちでここにいたのか。


悔しさ、辛さ。

過去の記憶色々あったと思う。


ひ孫の自分にできるはこの今の流れにのまれない事だ。


世の中いろんな人がいる。


自分にできる事は。

護ってくれてありがとう。


その気持ちを持ち続けることだけだ。


それを感じた80回目夏。


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