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*第一話 邂逅*

 夜の寝室に、音が満ちる。


 ――ギィ……ギギィ。


 どこかの蝶番がきしむような、不快な音だった。

 寒さとは違う震えが、背中を這い登る。

 明日九歳の誕生日を迎える少女、リリーは、布団の中で息を潜めた。


 痩せ細った身体を必死に小さくして、カタカタと震える両手で抑え込む。

 リリーの腕の中で眠る小さなうさぎのぬいぐるみが、苦しそうにむぎゅ、と小さな音を発した。


 ”それ”は部屋の隅――押入れの前に、ぽつんと立っている。


 優しいクリーム色の毛並みに、くりくりと大きいつぶらな赤い瞳、足よりも大きな長い耳。

 ふわふわしたその姿は、大変可愛らしい。


 大きなうさぎのぬいぐるみ。

 小柄なリリーの、二、三倍は大きいだろうか。


 真っ暗な寝室の隅で、ベッドを静かに見つめる赤い瞳に、リリーは震えが止まらなかった。


 リリーはより一層力強く小さなうさぎのぬいぐるみを抱きしめた。

 バクバクと止まらない心臓がうるさい。

 もしかしたらこの薄い布の向こう側にまで音が聞こえているかもしれないと、リリーは必死にぬいぐるみを抱え込んだ。


 ギシ……カタカタ……


 足音がして、あのぬいぐるみが動き出したのだと分かった。

 ふわふわと柔らかそうな素材で出来たぬいぐるみのくせに、やたらと重たい足音が響く。

 一歩、また一歩と、重い足音は確実にリリーへと近づいている。


 やがて、ふわりと布団が浮き、リリーの青白い顔の上に影が落ちた。


 息が詰まる。

 本能が、絶対に目を開いてはならないと、警鐘を鳴らす。

 ギュッと強く目を閉じる。


「……!」


 そのときだった。

 どっしりと重いぬいぐるみが、寝ているリリーの上に乗る。

 リリーは驚いて、うっかり目を開いてしまった。


 柔らかそうなその腕が、リリーの顔に向かって伸ばされる。

 反射的に、身体が強張る。

 口を開いても、漏れるのは情けない空気の音。


「(ごめんなさい、ごめんなさい……。いい子にするから……。だから、だから……)」


 喉の奥で、乾いた音がした。

 視界が滲んで、世界が霞む。

 白いガーゼが貼られたリリーの頬を、一筋の涙が伝う。


 その瞬間。


 ピコンっ☆


 いかにも間抜けで、軽快な音が鳴った。


 反射的に目を開く。

 目の前に現れたのは、先程の大きなぬいぐるみでは無い。

 ふわふわと舞い落ちる紙吹雪、リボン、星のかたちをしたキラキラ。


 リリーが視線を下へ向けると、そこにはまるで操り糸を断ち切られたかのように、ぐにゃりと崩れ落ちたぬいぐるみがいた。


 カタン、と音のする方を見ると、そこには一人の少女が立っていた。


 ドリルのように巻かれたパステルパープルの縦ロールツインテール。

 黒や紫を基調とした、豪華なゴスロリ風のドレス。

 白い肌に、青紫色の瞳が、宝石のように静かに輝いている。


「ごきげんよう、アマリリス」


 まるでおとぎ話のような、お嬢様口調で、少女は言った。


「……?こんにちは……」


 リリーは何もわからなかった。

 目の前にいる少女は誰なのか。

 どうしてリリーの名前を知ってるのか。

 少女はどうしてリリーの寝室にいるのか。


「わたくし、ローゼと申しますの。ニグルミー退治の専門家ですわ」


 少女――ローゼは、大きなハンマーを握っていた。

 ピンクと黒のツートンカラー。

 たくさんのリボンとレースで飾りつけられた、おもちゃみたいに可愛いハンマー。


 ハンマーの先端には、キラキラと輝くグリッターグルーの様な液体が滴っている。


「ニ、グルミー……?」


「ええ。こちらの、”ぬいぐるみ”のような魔物のことですわ。あなたを苦しめていた存在、それがニグルミーですの」


「わたしを、苦しめる……」


 ぽつりと、リリーが呟く。


 ボロボロになった大きなうさぎのぬいぐるみが、ベッドから落ちる。

 ドスン、と重たい音を立てて落ちたニグルミーとやらを、リリーはもう一度見やった。

 優しいクリーム色だった毛並みは、ところどころ灰色に汚れて、ぴくりとも動かない。


「危険ですから、下手に触らない方がいいですわ」


 控えめに伸ばされていた、白い包帯に包まれたリリーの腕は、この声によって引っ込められた。

 ローゼはハンマーを右手で軽く揺らし、咲き誇る花のように美しく笑ってみせる。


「さあ、もう大丈夫ですわ。ニグルミーはわたくしが全部、やっつけて差し上げます。ですから、アマリリス……これからは、わたくしと一緒に」


 そう言ってローゼは、リリーへと手を差し伸べる。

 リリーは自分に差し出されたその手を、じっと静かに見つめた。


 差し出された左手は、小さくて、白くて、儚げだった。

 けれども、自分のものよりも大きいその手に、どこか安心感を覚えた。


「……わたし、アマリリス。リリーで、いい」


 リリーが包帯だらけの右手を重ねると、ローゼはふわりと笑った。


「ああ、リリー。よろしくお願いしますわね。わたくしのことはぜひ、ローゼと」


 ローゼの手は、柔らかく滑らかだった。

 ぎゅっと優しく握りしめられたその手を、リリーは離すまいと、必死になって握り返す。


 リリーがローゼに支えられながらベッドを下りると、どこかで扉が開く音がした。

 左手で、ベッドに転がっていた小さなうさぎのぬいぐるみを抱える。


「リリー……この世界には、まだまだたくさんのニグルミーが潜んでいますのよ」


「え……?」


 ローゼが振り返り、右手でハンマーを構える。


「とっても危険ですから、この手を絶対に離さないでくださいまし。」


 ギシ、ミシリ、と強く板を踏みしめる足音。

 ゆっくり、ゆっくりと、扉の奥で何者かが歩いている。


「わたくしはあなたを、リリーを護るためにやって来たのですから!」


 ローゼのバラのように美しい、上品かつ明るい笑みに、リリーは目を見開いた。


「さあ、リリー。次のニグルミーを、やっつけに行きますわよ!」


「……うん」


 リリーは、小さなうさぎのぬいぐるみを、薄い身体で必死に抱きしめながら、頷いた。


 ローゼだろうか。

 ほのかなバラの香りが、ふわりと鼻をかすめる。


 リリーは振り返ると、先程まで自分が寝ていたベッドに、濃い紫のバラの花びらが散らばっているのに気がついた。


「(濃い紫色のバラ……まるで、ローゼみたい)」


 リリーは視線を前へ戻すと、自分の手を握って歩き出すローゼの洗礼された背中を、静かに見つめた。

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