非 -Anti- 狂裂
縦書版
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もはやAntiqueの類、かつてはレコードなどといふ、塩化ビニールに黒色を出すためのカーボンブラックを混ぜた薄い円盤型のメディアがあつて、それを収納する専用のジャケットがあり、其の多くは紙製で、意匠を凝らした写真や絵等が刷られてゐたが、彼の見掛を喩へるにあたつて、ジャケット写真をいふと、あゝなるほどと思ふ方が多いため、頻繁に曰く。たとへば、The Beatlesの名盤『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』、又はThe Rolling Stonesの『Their Satanic Majesties Request』などなど。
天易真兮のその奇體奇天烈な風体は、さういふサイケデリックなものであつた。
恐らく、初めて彼を見た人は、誰もが呆れて上から下まで二度、三度眺めるであらう。
鍔の広いウィザード・ハットは黒きフェルト地の尖つた細い三角錐の山高で、山が斃れてゐた。手入れをしてゐるふうはなく、磨れテカつてゐる。五年くらい、毎日、使つてゐるであらう。さやうなこと一向気にするふうもなく、すまし顔にて片眼鏡を細く高い鼻梁に掛けてゐた。
長い髪は帽子の下からあふれる瀧のやうに、尻下まで波打ち落ち、頬髭や口髭や顎髭が臍下まで垂れてゐる。毛質は艶がなく、乾いてパサパサしてゐた。黒よりも灰色のやうに感じられるのであつた。
膝下丈のミリタリー・コートの生地は艶やかな繻子、パステルのやうな発色の水色であつた。胸にきらきら燦めく金の糸の紐飾り、肩に房飾りがある。刺繍の入つた大きな襟は顎を隠すように立ち上がって折れてゐた。ピンで留めしカフスには、レースが奢られてゐる。
弩派手なペイズリー柄の真紅の絹タイを、マフのやう、首にぐるぐる巻きにしてフランス革命後に流行つたスタイルに結び、いつも海泡石のキャラバッシュ・パイプを咥へてゐた。
マッチ棒のやうな脚にLevi Strauss & Co.のスキニーな十六オンス・デニムのジーンズを穿く。その裾は形崩れした蛇の皮のロング・ブーツに収められてゐた。
緩み崩れたそのブーツは本来、筒状で、膝下までも届くものであるが、その半分くらいしか至らず、だらしなく垂れ、ルーズ・ソックスみたいに見えなくもないが、そんな訳がない。
なぜ、今さらさやうなMaterialをつらつらいふかといへば、乾涸びし花の乾燥せるさまを見るうち、意識が意思に関はらず遷移し、つむぐからである。さう。
ラベンダーであつたときの影を遺すドライ・フラワーを眺め、頬杖を突き、ふつと想ふ、是、人にあらば木乃伊、と。
花々ゆゑ、梁やら、壁の飾り板やら、さかさ吊りの憂き目に遭ふ。人にあらばやすらかに柩にて、世のすべてから解き放たれてゐやうものを、などと謔れが蒼穹の一片の雲のやう、脳裡を過ぎりて心を翳す。くちもとを動かすことなく、くすり笑ふ。
萬物齊同といふが、とても。
いや、違ふ。花木乃伊さまたちも、とてもおしずかに、時止まりしやう、微動すらないおしとやか。静寂の死に顔。
さやうなさまを見るうち、彼のBlues Harpの一小節を思ひ出し、音の起想力に因つて、観たこともないやうな場面を、内在に現象させる。洞窟の壁に映るMovieのやうに。
『ニューヨークNew York. ハーレムHarlem. 古い赤煉瓦のアパート。黑い鉄製の外附階段。半地下の部屋の割れた曇りガラスの窓、寂しい歩道。手摺のある玄関前の石段。伍段あり、黒人が坐っている。手に小さなブルースハープBlues Harp. リードの震えのひずみは、半音下がった、即物的な、かん高いブリキ音と、ぶち壊れたチューバのような低い金属の音の雑ざったような、不安定な、揺らぐ音程。乾き切った、深みやまろみや潤いのない、輪郭のきつい、存在のくっきりしたサウンドSound. 真夏の昼下がりの、気怠い静寂を裂帛する、古い蛇口の栓を捻るような、響き』 https://ss1.xrea.com/sylveeyh.g2.xrea.com/bluezhyper.m4a
金属製のリードの震へは蓋捲れ上がつて、棄て却かれたブリキ製空缶。
彝之イタルの綴りし一つ文。
〝LABEL『鯡』/BLIK製/賞味期限 四九八九・二・二八/缶截りの刃を用ゐZAKZAK截り裂き牽き剥ぐ蓋ふちのZUDAZUDAあざやな截り口ぎらぎら捲れ上りて頸刎れ顚さ磔の骸が如く叛仰け反り逸れ皈り屰剥ぎがまま。からっぽ。孑と存。存在が炸裂である。存在とふ炸裂である。平常とふは狂絶空がゆゑ自在奔放を自裂する自在奔放、狂奔裂である。Blues Harpが歪みのごとく。不自由にさへあり。(『遺されなかった古文書』)〟
その無言、無表情。存在は〝あらぬ(τὸ μὴ ὂν)〟ですらない。其の甚深。神聖ですらある。
路傍の風雪に朽ち毀たれた小さな道祖神の石像のごとし。
けふがめいにち、霜降月廿日。それゆゑにかくも想ひが鬱勃するか。
今し、考ふに、天易真兮の場を弁へぬあの唐突なハモニカも、狂炸死への反歌。
八年まへのこの日、彝之イタルは聖なる眞神の御山の頂きにある古代祭祀の磐代の上にて、ガソリンを被り、炎燃え裂けつつ、飛翔した。自殺ではなく、狂裂なるパンク・ロッカー、彝之イタルの畢竟究竟究窮極の炸裂Performanceであつた。當時、若干十七歳といふ夭さであつた。
一切の妥協なき狂奔裂。彼が最後に書き残せしは短き長歌。
透きとほるBlue Black 明未ぬ 寅一つ(※)刻 靈玄の 狭霧逍遙ふ 白黎の 氣を孕みつも あをき とき こころ やすらぐ