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「う、うわああぁっ!」
獅童は首筋を狙って噛みつこうとしてきた感染者から何とか逃れようと、両手をめちゃくちゃに振り回しなんとか逃れようとしていたのだが、引き離そうと伸ばした手を噛まれてしまった。
あたりが騒然とする。なんやかんやあって、皆とりあえず荷物をまとめて建物を出たので、すぐに対応できるような装備をしていないのだ。
「獅童!横に避けろ!」
そんな中、素早く武器を用意できたのは、昨日喰代博士に桜花を見せていたカナタだった。カナタは手早く桜花の鞘を払うと、獅童に向かってそう言いながら走り寄る。
獅童は自分と手とカナタは交互に見ていたが、カナタの言った事を理解したのか、していないのかフラフラとその場をカナタに譲る。
「ふっ!」
マザーとの激戦を潜り抜け、桜花もだいぶ傷んでいる。それでも素晴らしい切れ味を発揮した桜花は見事に感染者の首を半分ほど断ち切った。
弱点である延髄付近を斬られた感染者は、途端に電源が切れたおもちゃのように力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「獅童!」
カナタは感染者が動かないのを確認すると獅童に向きなおる。
「来るな!」
獅童は真っ青な顔になって、カナタに向かって叫んだ。カナタが獅童に向かって一歩近寄ると、獅童はそれ以上に下がってしまう。かなりカナタに対して警戒している様子だ。
それは無理もない事だ。守備隊では感染者に噛まれる事はイコールで死ぬことなのだ。感染して命を落とすか、自ら或いは仲間の手によって命を絶たれるか……
獅童の気持ちは分からないでもないが、感染者に噛まれて発症しなかった例はこれまでにない。100%発症しているのだ。隊の規則にも噛まれた場合、それ以上の被害の拡大を防ぐためにも、必ず対処しなければならないと決まっているのだ。
騒ぐ獅童には取り合わず、滑るように距離を詰めたカナタは桜花を一振りする。
思わずと言った様子で急所をかばうために両腕でガードの体勢になっている獅童の右腕が肘を境に落ちた。
「うああぁ!痛い、イタイぃ……俺の腕が……」
獅童は状況を理解するのに一瞬遅れたが、大量の出血を伴ってその場に落ちた自分の肘から先の右腕と肘から先が無くなった右腕を見て、カタキのようなまなざしをカナタに向けている。それは仮にも同じ都市の味方に向けていいようなものではけっしてない。
しかも、本当であればここでその命を絶つところだが、噛まれた部分の切断による救助を試みている。もし感染の原因が全身に回ってなければ助かるかもしれない。理論として語られてはきたが誰も試してはいない事だ。
感謝されてもいいぐらいなのだが、獅童は傷を押さえ睨み殺さんばかりにカナタを睨んでいる。それを無視してはなから何も求めてもいないカナタは、血ぶるいした桜花を納刀するとハルカと交代するように言う。
「ハルカ、止血をしてやってくれ。断面はきれいに切れたと思うから、出血が止まるのも傷口が落ち着くのも早いと思うから」
カナタはハルカにそう告げて、憤懣やるかたない獅童から離れ仲間たちの所に戻った。
「カナタ君、あれで感染は免れる?」
開口一番ゆずはそう訊ねてきた。目の前で父親が感染して命を落としているゆずにとっては、そこは気になる事なのかもしれない。
「いや……正直言って何か確証があってやったわけじゃない。俺も最初は対処しようとしてたんだけど、今回は体の末端を噛まれたわけだから、もしかして。と思ったんだ。五分五分いけばいい方じゃないかな?」
獅童に聞かれたら厄介だ。声を潜めてカナタが言うとゆずはちいさく鼻を鳴らした。
「それくらいなら放っておけばよかった。カナタ君はあいつとは仲が悪いはず、なぜ迷わずに動けた?」
「いや、迷ったさ。俺だって人間だからな、すべてを赦すなんてたいそれた事はできないよ。それでも……目の前であいつらになるのを見る方が辛い」
腹の奥の方に自分でも分からないうちに溜まっていたものが上がってきて、気づいたらそう言っていた。
目の前で転化する人を見た事はそこまでない。例えばゆずの父親とか……か。
あの一件は、カナタの心の奥底にしっかりとダメージを刻んでくれたらしい。
「それはわからなくもないけど……あいつどっちにしてもきっとまた騒ぎを起こす。カナタ君はまたそれに巻き込まれる。私は正直そこまでしてやる必要はないと思った。なんなら今からでも撃ってこようか?」
「こらこら、止めなさい。なんでもすぐに撃とうとするんじゃない。まったく」
いつものやり取りをゆずと交わしていると、止血と応急処置を終えたハルカが戻って来た。
「さすがね。きれいな切り口だったわ。あれなら、もしかしたら腕をあわせて固定してみたら、今ならくっつくかもしれないわね。あと……ありがとうカナタ。六番隊の一員として礼を言うわ。あんな人でも隊長だし、有能ではあるのよ」
カナタの斬った跡に感心していたが、途中から真面目な顔になりカナタに礼を言う。
「いや……。これであいつが助かるかは、まだ分からないしな」
と、苦笑いしながら言うカナタに、ハルカは「それでもよ」と笑いかけた。
それに雰囲気が和みかけるが、納得のいかない者がいる。止血と応急処置を受けた獅童が桐田に支えられ右腕を押さえながらカナタの元に歩いてきた。その表情から、生きる望みをつないでくれた礼を言うためではなさそうだ。
カナタは心の中でため息をつくと、近寄って来た獅童と向かい合う。
「この事は問題にさせてもらう。仲間への攻撃は重大な違反だ、ただで済むと思うなよ?」
髪型も乱れ、普段とまるで違う余裕のない表情で鼻息荒く獅童はそう言った。
「隊長!カナタは命だけでも救おうと……」
「僕が感染していると決まったわけじゃない!それなのに、問答無用で僕の腕を斬ったんだ、その報いはうけてもらう」
ハルカがとりなそうとしたが、それには取り合わず、自分の言い分だけを言っている。もう呆れるしかないのだが、それだけ言うと獅童はカナタを睨んで行ってしまう。
「……はぁ。ごめんねカナタ。隊長が何を言っても私がちゃんと証言するから。だから、私も行くね?もし、途中で彼が発症したら対処しないといけないし……また、都市で会いましょ?」
ハルカは獅童に同行するようで、カナタにそう言うと走って獅童を追いかけていった。
離れて行く三人の後ろ姿を見ながら、カナタはもう一度、今度は大きなため息をついた。黙っていられず、ついやってしまったが、どうしてもあの男に関わると面倒ごとにしかならない。
どっと疲れてしまい、今からでもお布団に戻りたい。そう考えながら遠い目になっていたが、自分たちも移動しなければならない。