9-7
一瞬でその場が騒然とした雰囲気になる。
もしスバル達が止めなかったら、ハルカが殴り飛ばしていただろう。こぶしを握るのを確かに見た。
ハルカは自分の属する部隊が、俺たちに迷惑をかけているのを気にしているに違いない。
スッとハルカのこぶしを覆うように手で押さえるとハッとした顔になったハルカは、一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けているようだ。
それにしてもなんで朝っぱらからこんな揉め事に……やっぱり獅童とはとことん合わないんだな……とひそかに嘆息していると、突然インカムからゆずの声が聞こえてビクッとなる。
インカムをつけたままにしていた事をすっかり忘れていた。
「カナタ君。そいつらきっと何を言っても一緒。さっさとここを離れるのがいいと思う。あと……」
そこまで言ってから、ゆずは言葉を切った。なにか重要な事なのか、言いにくい事なのか。カナタがゆずの言葉を待っていると、おもむろにゆずは言った。
「そこの禿げ頭、怒ると赤みがすーって顔から上がって行く。さっきとうとう頭頂部を踏破した。見てると吹き出しそうだから。わたしはそっちに行かない。荷物は花音とまとめておくから」
そう言うと通信を切った。この雰囲気でなんてことを言うんだ、あいつは!
笑うに笑えない状況なのに、ついついそっちに目が行ってしまう。ゆずが言っているのは桐田の事だ。桐田は再度に若干残っているが、後頭部と額が合流を果たしている。きっと髪との別れを経て、後頭部と合流した時の額の心境はいかばかりであったか……
いかん、ゆずのせいで余計に物語を膨らませてしまう自分が憎い。すでに表情筋は全力で表にださないよう頑張っている。
だから、頼むからこっちを見るな桐田。笑っちまうだろうが!
緊迫した雰囲気の中で、カナタが他の思考に逃げたくなるくらいこの場は混とんとした状況になっている。
桐田は無表情を貫こうと、すこしプルプルしだしたカナタを見てどう思ったのかずっと睨んでいるのだ。それがさらにカナタをプルプルさせている。
インカムを着けていないハルカと喰代博士は気づいていないが、獅童と桐田の後ろにいて二人から見えないスバルとダイゴは笑いをこらえきれていない。
「ああ!もうだめだ!」
色んな意味でこらえきれなくなったカナタは、そう言って立ち上がった。
「話は一応分かりました。答えはnoです。少なくともうちの部隊員がその身を削って得た成果を、あなた方には託せません。俺からの回答は以上です。話が終わったなら俺たちは帰還しないといけないので。ハルカ、博士、行こう。無駄な時間を過ごして感染者にでもルートを塞がれたら笑い話にもならない。」
そう言うが早いか、カナタは部屋を出る。
後ろで獅童が何か言っているが、聞こえない。隣の部屋では荷物をまとめ、ゆずとヒナタ、花音。それから龍さん達は準備万端で待っていた。
「カナタさん、遅いですよ~?いつまでも来ないからゆずさんに一石投じて貰いましたぁ」
カナタを見た白蓮は待ちくたびれたと言わんばかりに立ち上がりながらそう言った。
「やめてくださいよ。笑いをこらえるのに必死だったんですから」
半目で白蓮を睨みながらカナタが苦情を言うが、白蓮はどこ吹く風。飄々としている。
文句を言いながら、荷物をまとめてくれていたゆずと花音に礼を言って自分の荷物を持ってさっさと表に出る。
その後からみんな続いてくるのだが、当然の如く獅童らも来る。
「待ちたまえ!話は終わっていない。マザーのデータとそのボックスは置いていきたまえ!」
とうとう言葉を飾る事もしなくなった獅童が、カナタの肩を乱暴に引きとめる。
「なんですか。返事はさっきした通りです。あなた方には何一つ渡せません。渡す理由がないし、そうしてしまったら俺は隊員たちに顔向けできませんよ」
鬱陶しそうに言うカナタに怒りをむき出しにした桐田が食って掛かる。
「そんな態度をとっていいと思っているのか!この事は都市に戻ったら問題にするぞ!貴様らのような半端な部隊など解散させることなど、わけがないのだぞ!」
一応脅し文句の様な事を言ってくるのだが、面と向かって言われてしまうとさっきのゆずの言葉が蘇ってきてしまう。
「ぶふっ!」
確かに紅潮した部分が、興奮の度合いと共に上がって行く。最後は頭全体を紅潮させながら言ってくるのだ、さすがに笑いをこらえきれなかったカナタが噴き出すのを見た桐田はさらに怒りを爆発させそうな雰囲気だ。
「ご随意になさったらいいのでは?こちらも対応はさせて頂きますけど」
最後まで唯一冷静さを保った喰代博士が言うと、敵を見るような目でそちらをみた桐田が歯を食いしばりながら言い返す。
「対応だと?貴様風情が何を言っても、何をしても私の言う事が通るんだよ。それが権威というやつだ。経歴も実績もない貴様が何を言っても私には傷一つつけられん!」
鼻息荒くそう言い放った桐田の目の前に博士が小さな機械を突き付けた。
「そうでしょうか?少なくともここで話したことを余さず聞けば何かしら動きがあるかと」
あくまで冷静さを崩さずそう言うと、博士は突き付けたICレコーダーをポケットにしまった。
「きっさまぁ~……。それをよこせ!おい、よこせと言うのが……ええい邪魔だ!」
喰代博士と桐田の間には、我らの鉄壁のタンク。ダイゴが入って、博士に桐田が手を出せないようにしている。きっとこれまでの世界では、その権威とやらが力を発揮して自分の邪魔をするものなどいなかったんだろう。桐田がいくら頑張ろうとも中年の研究員が現役の部隊員でしかも盾役のダイゴを抜けるはずもなく、その場でハゲちらかして……いや、いかんいかん。その場で怒鳴り散らしている。
「カナタ君。ここまで言っても聞いてもらえないと、こちらも多少乱暴な事でもしないといけなくなるよ?それこそ部隊員を無駄に危険にさらすことになるんじゃないかい?それでもいいのかな?」
この期に及んでもそんな事を言う獅童に、意思は変わらない事を伝えようとしたが、それより早く動いた者がいた。
「上等!!」
「この勘違い男は、どこかで痛い目を見た方がいいとおもいますけどねぇ」
ゆずと白蓮さんだ。
ゆずはライフルを獅童に向け、白蓮さんは鞘に納めたままの短刀を首元に突き付けている。どちらにも反応もできなかった獅童は、青くなったり赤くなったり顔色が変わりまくっている。
「ふ、ふ、……ふざけるな!この僕がここまで頼んでいるのに、なんだその態度は!」
「頼んでいた……?初めて知った」
「いえいえ、ゆずさん?頼むって言うのはこういう事じゃないですからねぇ。ゆずさんはちゃんとした大人になってくださいねぇ」
本性をむき出しに怒鳴りつける獅童だったが、ゆずも白蓮さんもこの態度だ。さらに獅童が興奮していく。
「隊長!ここは都市外のしかも外ですよ!こんなとこで大声を出して騒ぐなんてどういうつもりですか!」
すこし声を押さえて、ハルカがそんな獅童をたしなめようとする。しかしハルカを乱暴に押しのけてゆず達に向かって来ようとしているが、そこまで強く押されると思っていなかったのか、押されたハルカがバランスを崩してしりもちをついてしまう。
つい反射的にだった。これまでのやりとりでストレスも溜まっていたのかもしれない。それを見た瞬間、カッと頭に血がのぼったカナタは、先ほどの白蓮と同じように桜花を抜き、獅童の首の所でピタリと止めた。
白蓮の時とは違い、抜き身である。真剣を突き付けられた獅童は、思わず体をこわばらせてしまう。
「カナタ!」
悲鳴まじりのハルカの声に、カナタはようやく我に返った。もしかしたら、殺気ぐらい乗せていたかもしれない。
その証拠にさっきとは違い、獅童はフラフラと数歩下がってカナタを見る。いつもピシッと決めた髪型は乱れ、顔色は青くいくらか怯えの色も含んでいたかもしれない。
そんな獅童は、しばらくカナタを見るとオーバーな動きであえて強がって見える口調と仕草で話し出した。
「やれやれ、これだから……低俗なサルはすぐに暴力に頼る。これはしっかりと報告させてもらう。聴聞会、いや査問会の呼び出しを楽しみにしてるがいいよ!ああ、マザーの一部はそれまでは預けておくよ、きっちりと保存しておけよ?僕の物なんだから!」
これが獅童の本性なのか、すっかりメッキが剥がれ落ち、目を剥きながらそう言う獅童に普段の優雅さはかけらもない。
しかも、すっかり混沌としてしまった事態はさらなる混迷を招く。
獅童は、オーバーな身振りで話している。自然声も高くなる。ハルカに指摘されたと言うのに、すっかり冷静さを欠いている六番隊隊長は致命的なミスを犯しているのだ。
都市から出てしまえば、いまだ人の住む領域ではない。感染者が跋扈している領域なのだ。
そんなとこで派手に動いて大声を上げるなど正気の沙汰ではない。
しかも、それはカナタ達から死角になる部分から近づいて来ていた。気づけばさすがに対処していただろう。
「ひっ!」
それに最初に気づいたのは獅童で、気づいた時には手を掴まれていた。
「隊長!」
「獅童くん!」
ハルカが急いでそっちに行こうとしたが、当の獅童が突き飛ばして地面に座っている態勢だった。桐田は声こそ出したが、一歩も動いていない。
「や、やめ!うわああぁぁっ!」
必死に抵抗する獅童だが、感染者はすでに手を掴んでいる。強く引き寄せられ……噛みつかれた。
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