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少しだけ様子をみていたが、マザーの苦しみ方はこれまでにないほどにはげしい。何度も切りつけて深い傷を負わせても平然としていたのに……
わけが全く分からないが、マザーは反撃に出る余裕はなさそうだ。カナタ達のほうも余力は残っていない。これ以上続けるなら自分の命を削って使わないといけないほどに。
「カナタ君。撤退を。効いたからよかったけど、どうなるかは分からない。今のうちに撤退を」
いつも通り平坦なゆずの口調に気のせいか焦りのようなものを感じる。どっちみちこれ以上はやれと言われても難しいのだ。
「みんな、今のうちに撤退しよう。もうこっちに追撃する余力はない。」
そう言うと、さすがにみんな限界を感じていたのか、素直にマザーから距離を取り始めた。これまでは引いたら引いただけ押し込んできていたマザーはその場で苦しんでいて動かない。
それでもマザーの方を向いたままゆっくりとその場を離れるのであった。
「カナタ君!無事?」
集合場所まで痛む体を引きずるようにして何とか戻ると、ゆずが走り寄ってくる。そしてカナタの体をあちこち見て大きな怪我がないことを確認すると大きく息をついた。
「たいへんでしたね~。でもこっちも大変だったんですよぉ。最後のほうで、マザーがいつもと違う声を出したじゃないですか、その声に反応したのか周りにいる感染者たちが一気にこっちに向かってきて……」
「え?そんなことが……確かに途中で違う音の声をだしてましたね。」
白蓮がそう言うと、カナタは腕を組んで考え出した。これまでの常識では感染者同士の意思疎通はできないとされている。マザーのような上位者が指示を出せるとなったら人間側にとってかなりまずいことになるのだ。今回みたいに実力者で回りを囲んでフルボッコ状態でなんとか引き分けることができたのに。そこにコロニーの感染者が戦力として動けばマザーに近寄ることも容易ではなくなる。消耗戦になってしまえば感染者側が有利すぎる。
「幸い階段を上手に登れない人ばかりだったのでぇ、比較的安全に退けることができましたけど。広い場所だったらさすがにやられていたでしょう。」
とてもあっけらかんと白蓮さんは言っているが、かなり危険な状況だったようだ。感染者は段差や障害物をうまく登ったりよけたりするのが苦手だ。下手をしたら躓いて転んでしまうくらいに。今回はそれが功を奏したみたいだが、走る感染者はもう少し上手に進んでくるし、今度の遠征で新たに発見したジャンプしてくる個体もいる。
きちんとした対策をしておく必要があるだろう。
「ねえ、ゆずちゃん。最後の撃ったの何?めちゃくちゃ苦しそうだったよ?」
カナタが白蓮と話している間に、気になって仕方がないという感じでヒナタがゆずに訊ねた。
それに答えたのはゆずではなく、喰代博士だった。
「あれは即興で作った対マザー弾です。カナタさん達がマザーと戦闘しているのを見させてもらってあの回復力に驚きました。カナタさんやヒナタさんの刀の有効成分がわかればもっと効果的な対抗手段が見つかるかもしれませんが……。それでもあれだけの自己治癒力があるという事は、自分の細胞や遺伝子との親和性が高いのだと思いました。」
喰代博士といえば暴走というくらい困った印象しかないので、専門的な事を話す知性的な様子に違和感を感じているのか、少し座り心地が悪いような顔をしているが、内容が内容なのでみんな黙って博士に注目している。
博士が言う対マザー弾などというものが量産できるならこれからの行動にどれだけ大きな影響を与えるかわからない。
「そこで、私はカナタさんが切り落とした手首からマザーの細胞と遺伝子を採取、培養して弾丸に込めました。それだけです」
「それだけ?」
意味が分からずにカナタはオウム返しに聞き返す。マザーの細胞と遺伝子をそのままマザーに打ち込んでなぜあんなに苦しむのか意味が分からない。
「えーと、簡単に言うとですね、本来そういった物の採取や培養なんて作業はこんな所では行わないんです。普通は無菌室で厳重に調整された部屋の中で行います。こんな所でやれば雑菌塗れになってしまいますからね。それにその辺の植物や虫とか、とにかく適当に混ぜて培養させたんです。出来上がったものはマザーの細胞をベースにした混合物と言っていいでしょう。それをゆずさんに頼んで打ち込んで貰いました。そこでポイントなのがマザーの異常な治癒力です。あれだけの治癒力を発揮しようとおもえば異常な細胞分裂の速さも必要ですが、自己の細胞に親和性が高くないといけません。そこに同じマザーの細胞をベースにした物を打ち込んだというわけです。まあ何の効果の保証もない賭けでしたがうまく喧嘩してくれたみたいですね」
思わず呆気にとられた顔をしていたと思う。喰代博士って優秀だったんだな……
「これも貴重なサンプルを手に入れる事が出来たからこそです。これまではそのサンプルさえ手に入りませんでしたから……優秀な科学者が危険を冒してマザーから採取しても、溶けてなくなってしまっていたんです。」
目線を落として博士はそう言った。きっとこれまでたくさんの犠牲があったんだろう。犠牲があったわりには得るものがなく、必死だったのも少しわかる気がしてきた。
「カナタさん、研究者達を代表してお礼を言います。おかげで貴重なサンプルを手に入れる事ができました。このおかげで、感染者やマザーに対する様々な事が分かってくると思います。ありがとうございます」
そう言うと喰代博士は深く頭を下げた。
「いや、桜花のおかげですから……お礼を言うなら龍さんと龍さんの師匠ですね。俺はただ斬っただけですし」
カナタが照れながら言うと、龍は目を丸くした。
「桜花の?桜花がどうかしたのか?」
どうやら龍さんも知らなかったようだ。カナタ達は桜花と梅雪のみマザーに効果的な傷を与えることができた事を伝える。
「まさか……そんな力があるとは。いや師匠も時に何も言っておらんかった。変わった色をした鉱石を使っている事くらいしか儂にはわからん。力になれずすまんが……」
申し訳なさそうに龍さんがそう言うが、それはこれから調べていけばいいだけだ。喰代博士が同じ物の残りはないのか聞いていたが、折れた分きっちり使っているので余りはないそうだった。
「一応周りを確認してきた。あれだけいた感染者が一人もいねえ。やっぱりマザーの指示で動いているってのは間違いないみたいだな」
付近を確認に行っていたスバルが戻ってくるとそう言った。
「悪いな、スバルも疲れてるだろうに。ダイゴは残って見張っているのか?」
カナタの言葉にスバルは頷く。そして俺とダイゴはあまり疲れてねえよ。これくらいはさせてくれよ?そう言って、また見張りに立っていく。スバルもダイゴもマザー戦で戦力になれなかった事を気にしているのだ。そんな事はまったく気にしていないのだが、言った所で聞きはしないだろう。今は好きにしてもらって、部隊としての動き方をもう一度見直さないといけない時期にきているのかもしれない。
その後ダイゴからも通信が入り、マザーも姿を消してしまったとの事だった。思い出すだけで背筋が冷える戦いだった。一回まともに当たれば終わり、直撃をさけてもしばらくはまともに動けないほどのダメージを貰う。
そんな薄氷を踏むような戦いは二度としたくない。そう心から思うが、何だろう……不思議とあのマザーとはまた戦う事になる気がする。
なぜそんな気がするのだろうか。と、しばらく考えてカナタは一つの推論に辿り着いた。あの目だ。マザーの他の感染者とは違い、意思を感じさせるような目。途中から自分を傷つける敵と認識されたのか、マザーの目はずっとカナタを捉えていた。
例えカナタが避けたとしても、マザーの方から近寄ってくるのではないか。そんな気がしてならなかった……
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