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何か報道されていないかとテレビもつけてみたが、今のところ特にそれらしい報道も緊急速報もない。いよいよ途方に暮れてきたところでハルカのスマートフォンが賑やかなメロディを流し始めた。
「あ、とうさんだ」
そう呟いてハルカがスマートフォンを操作して耳に当てる。
「ちょっと、とうさん?なんなのあれ。いきなり言われたって……え、なに?ちょっと落ち着いてよ。うん……うん、え?どういう……うん、じいちゃんち。うん、わかった。ちょ!」
電話の向こうで慌てたようにまくしたてるハルカの父の声がヒナタの方まで届いた。何やら一方的に言われているようだ。
「ハルカ、ヒナタ。わしも年かな。よくわからんのだが、これは本当のことかの?」
ハルカに電話の内容を聞こうとしていたら、晴信の少し呆然とした声がした。晴信はハルカ達がさっきつけたテレビのチャンネルを回していたが、ほんのさっきまでは普段通りの放送だったのに、今テレビの画面には大騒ぎになっているどこかの様子が映し出されている。少し遠いところから映されているように見える映像では、悲鳴を上げて逃げる人々の姿があり、テロップには緊急の文字と(家に閉じこもって施錠し、絶対に外に出ないでください)とある。
「なにがおきてるの?」
思わずヒナタが口に出すと、隣にきてヒナタの肩を抱きながらハルカが答える。
「さっきのとうさんの電話もそう。なんか須王町中心部の方でいきなり暴れ出す人がいて周りの人に襲い掛かってけがをさせているんだって。それで警察と救急に連絡があったそうなんだけど、現場に行った隊員が襲われて……しかも襲われた人も暴れだしてるらしくて、パニックになってるみたい。とうさんも状況がはっきりわかっているわけじゃないんだけど……場所がわりと近くだから避難指示があるかもしれないって。今じいちゃんちだって言ったら、そこから動くなって。全部カギを閉めて誰が来ても入れるなって……あんなに慌ててるとうさん初めて」
さすがに顔を青ざめさせてハルカが電話で話したことをまとめて言ってくれた。晴信は話をきいているうちに稽古の時みたいな真面目な顔になって、道場のあちこちを施錠しだした。
いきなり非日常な展開になり、うまく頭がついていかない。しかしテレビではちょうど何かにつまずいた人に、血だらけの人が覆いかぶさっている姿をちょうど映していた。その奥のできたばかりの真新しい店舗の壁に赤黒い模様がたくさんあるのが不気味だ。さっきまで現場の状況を伝えていたリポーターの人も何やら叫んでいる声は聞こえるが画面の外で叫んでて画面内には入ってこない。
「……これって、現実なの?」
ハルカが呟いた声が遠くから聞こえる気がする。ヒナタは少し前に似た風景を見た気がした……その頭の中にフラッシュバックするのは、ホラー映画が好きなカナタがレンタルしてきたDVD。ゾンビ映画……
「ひっ!」
隣でハルカが息を飲み、口元を両手で押さえて画面を凝視している。つられる様にテレビをみると、いつの間にか横倒しになった映像に、先ほどとは違いアップで血だらけの男性が映り込んだ。首元のシャツが大きく破れ肉がえぐれているように見える。その男性は歩けないのか、地面をはいずるようにしている。そこに、何度も後ろを振り返りながら走ってきた女性がその男性につまずいて転倒し、男はその女性に抱き着くと、いきなり噛みついたのだ。
画面の中、飛び散る血と身も凍るような絶叫に目も耳も離せない。カメラのレンズにまでさっきの女性のものであろう血が飛び散り画面を赤く染めているのを、どこか遠い世界での出来事のように見ていた。頭が考えることを拒否しだしていた時、ヒナタの耳に小さくだが聞き逃せない単語が届いた。
「カナタ……」
ポツリと呟いたハルカの言葉を聞き、ヒナタは頭から冷水をかぶせられたような気持になった。
「ハルカ!?お兄ちゃんがいるの?テレビの場所に?ねえ!」
思わず肩をつかみ強くゆする。しかしハルカの視線は吸い寄せられるようにテレビの画面から離れてくれない。
「ハルカ!お願い聞いて!」
叫ぶようにヒナタが言うと、ハッと我に返ったハルカは今度はとても言いにくそうに呟いた。
「さっき……ちらっとテレビに映って……開店したばかりのゲームセンター。今日カナタ達が行くって……話してた……」
半分ほど聞いた時点で頭の中が真っ白になった。それと同時に芯の方がスウッと冷えていくのがわかった。
「ヒナタちゃん!」
次の瞬間には動いていた。先ほど晴信が閉めたばかりの入り口のカギを開け、蹴破らんばかりの勢いで開ける。
「待って!!」
後ろでハルカが呼ぶ声がしたような気がする。すでに意識は前にしか向いていなかった。普通なら中学生の女の子が高校生の男子を助けに行くなんて発想はでてこないだろう。しかし、幸か不幸かヒナタには少しばかりの自負があった。小さいころからやってきた剣の腕はそれなりに自信がある。すでにカナタよりも技術は上なのだ。
ハルカはヒナタが駆けて行った先を呆然と見ていた。不用意な発言だったかもしれない。でもあそこまで過敏な反応をするとは想像できなかった。
「あたしの、せいだ……」
思わず強く唇を噛む。少し不器用だが一本気な性格で兄思いの優しい子なのだ。その兄が危険なら助けたいとヒナタなら考えるだろう。さっきはハルカも強く動揺していたが先にヒナタが暴走した事で、逆に冷静になれた。
「助けなきゃ……ヒナタちゃんだけを危ないところに行かせるわけには。」
テレビの報道が真実なのであれば、かなり異常な状況だ。事によれば命のやり取りになるかも……
さっき見た映像の女性は急所を噛みちぎられていた。すぐに治療を受けることができればいいが、あの状況だと難しいと思える。きっとすぐに出血多量で……
間違ってもヒナタちゃんをそんな目には合わせられない。
小さい頃から一緒にいる事が多く、兄弟のいないハルカはヒナタの事を妹のように思い、かわいがっていた。
いつだったか……ヒナタがハルカの呼び方について考えていた。急にどうしたんだろう?と思いながらもほほえましく眺めていた。ヒナタからならどんな呼ばれ方をされてもかまわないし、変なことは言わないだろうと思えるくらいには信頼もしてる。
するとヒナタは、ハルカに向かって実際に呼んで試し始めた。
「ハルカちゃん!」ん~、問題はないけどなんかしっくりこないかな。
「ハルカさん?」……それはちょっと。他人行儀っぽくてさみしいかな。
「ハルカお姉ちゃん」それで!と、即答しそうになった。でもカナタの事もお兄ちゃんって呼んでるし、それでアタシの事を急にお姉ちゃんとか呼び始めたら……変に誤解をうむかもしれないし。なんて迷ってると、その態度が不思議だったのか、ヒナタちゃんがじっと見つめていた。なんとなく恥ずかしくなってしまって、「これまで通りハルカでいいよ」と無難な答えを返したものだ。
「うん。お姉ちゃんが助けてあげないと!」
そう思うと気合が入った。さっきのテレビの様子から現地は混乱の極みにあると想像できる。そして女の人に嚙みついていた血だらけの男。思い出しただけで身震いするその姿は、とてもまともな人とは思えない。身を守るものは必要だ。すぐにそう判断したハルカは道場の壁にかけてある木刀から自分のものとヒナタのものを取る。
打ち合いでは使わないが、素振りに使う木刀。重みが欲しかったハルカの木刀は特注で芯材に鉄芯を入れてある。まさかこんな事態は想像していなかったが、これなら武器として有効なはずだ。
ハルカは木刀を構え一振りすると、手ごたえに頷いてヒナタの後を追って走り出した。すでにヒナタの姿は見えない。町までは普通ならバスを使う距離だ。
道場の稽古で一緒にランニングするときなど、おしゃべりしながら町までの距離くらい二人は走っているが、急ぎたいならバスを使うはず。そう考えたハルカはバス停へ向かった。
ここでハルカの誤算は、急ぎたいからバスを使う。という考えと、急いでいるからバスがくるのを悠長に待ってられないと考えたヒナタとの違いだった。
結局この日、ハルカはヒナタと合流することができず、がっかりして戻る途中で大量の感染者と遭遇する羽目になるのである。
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