7-3
「大丈夫ですよ、マザーの行動範囲の先に行くんです。調査のうちです」
喰代博士が楽しそうに言った。いよいよマザーと接触するから嬉しいんだろうか。喰代博士には腰にロープが巻かれ、その先をゆずが握っている。まるで迷子紐だが、これまでにも興味の対象を見つけると度々暴走してきたのだ。
制止の声も聞こえず、感染者に抱き着く勢いで近づこうとする喰代博士の姿は、興味の対象への食いつきと苗字の語呂から呼ばれるホオジロザメの異名を彷彿とさせるものだった。
ここまでの道中は、そこまで感染者と接触がなかったのと、あっても調査済みの動きばかりだったので油断していた。
マザーの周辺にいる感染者は、他の場所にいる者達と違いある程度の秩序が見られる。マザーが移動を始めてから分かったのだが、マザーを中心として同じ方向に移動しだすのだ。
これまでは感染者同士の意思の疎通は見られないとされていたので、どうやって進む方向を伝えているのかも分かっていない。
そして今、更に新しい事が何点かわかった。
まずマザーを中心とする感染者の集合体。これを喰代博士はそのマザーのコロニーであると称した。コロニーに属する感染者は基本的に同じ行動をとる。しかしその中の一体だけにわざと見つかっても追ってくるのはその一体だけであった。
もちろん姿を見られたり音で感づかれたりしたら他の感染者も追ってくる。この事から、個々で意思の疎通ができているわけではなく、上位の存在からの指示によって動いているのではないかと喰代博士は見ている。
あと、これは小屋で白蓮も見ていたが、10~20体に一体くらいの割合で走ってくる感染者か確認されている。
極めつけに、コロニーに属している感染者を倒した場合、その場で溶けて死体がなくなる事だ。これは人の定義から大きく外れすぎていて、喰代博士を悩ませている。
どうやらコロニーの外周部分は劉さんの鍛冶小屋のすぐ近くまで及んでいるようで、極力隠れながら小屋に向かっているのにこれだけの情報が集まるくらい感染者がいるのだ。
「ここまでとは思いませんでしたぁ……。ようやく着きました」
さすがに疲れた様子で先導していた白蓮が声をあげた。向こうから見えた煙はどうやら小屋の外側の塀の一部が燃えていたらしく、今はもう消えているのか、近づくにつれ煙はだんだん細くなっていって今ではもうあがっていない。
白蓮は慎重に小屋に近づくと中の様子を見るが、すぐに警戒を解いた様子でみんなを振り返る。
「何も、誰もいないようですねぇ。最悪の場合は避けられたようですが……」
白蓮が言う最悪な場面というのは、そこで亡くなっていたりすることだろう。しかしここにいる訳でもないので、安心と不安が半分ずつと言う所だろう。カナタも同じような顔をしている。
「何かに迫られ急いで逃げたという訳でもなさそうです。荷物はしっかりまとめて持って行っているようですし、大事にしている物などもありませんから、そこそこ準備をする時間があってここを去ったと思います」
白蓮は部屋の中などを確認してきてそう判断した。確かに見る限り建物の中は荒れてもいないし、戦闘になったようでもない。正直、小屋を囲む塀から煙が上がっているというから、塀を破られて中に侵入されたのかと心配していた。
最悪の状況ではないが、最良からは程遠い。小屋の中や付近も見える範囲に誰もいない、ヒナタも。白蓮が見たのがヒナタであったのかどうかすらも分からないのだ。
落胆を隠せないカナタの耳に、インカムから音が聞こえた。誰かが通話ボタンを押したときの音だ。
「…………誰、か来ます。たぶん、人です」
消え入るように薄く花音の声が聞こえた。
すぐに付近を警戒して白蓮にも伝えた。
「気づかれたのなら姉さんじゃありませんね」
と、呟く。そういえば白蓮も見つかることなく至近距離まで接近していた。それ以外の人物、カナタはヒナタか何か知っている者である事を祈った。
数秒後、音の主が姿を現した。お互い無駄に警戒しないように、カナタ達も隠れてはいない。その姿が完全に見えた時、お互いに意外な顔をするのだった。
「そうか、君たちもマザーの調査だったね」
音の主はカナタ達の姿を見て、一瞬驚いたがすぐに笑顔になりそう言った。そこにいるのは同じ№4の守備隊の制服を着ていた。六番隊隊長の獅童 央毅だった。
獅童はすぐに納得した様子だったが、カナタ達は納得していない。なぜなら聞いていないからだ。獅童の後ろから数人の隊員が姿を現す。その中にはハルカの姿もあった。
部隊が動くときは情報を共有される。当然である、敵と間違えて攻撃する可能性だってあるのだ。
カナタ達は厳しい顔のまま獅童たちを見ている。どうやら小屋を見つけ休憩のために寄ったようだ。めいめいに座ったりしている。
「どういうことか聞いても?こっちは六番隊がいるとは聞いてないんですが」
固い口調でカナタは獅童に質問する。そのカナタに無駄にイケメンな笑みを浮かべたまま獅童は答えた。
「見たままだよ。僕たちもマザーの調査を命じられたのさ、君たちが出た後にね。まさか会うとは思ってなかったけどね」
「俺たちは何も聞いてないんですが?」
スバルやダイゴも固い表情をしている。スバルはまるで詰問するかの調子で獅童に言う。しかしそんなスバルに対してもなんら動じる事もなく、やれやれといわんばかりの態度だ。
「まあ、いろいろあるのさ。君たちは松柴代表の命令で動いているんだろ?こちらは長野総督に直接命じられてね。断れないだろう?」
獅童から長野総督という名前が出て、カナタは舌打ちしそうになった。№4では松柴が代表としてトップにいる。しかしそれをよく思わないばかりか、自分こそがトップであると言わんばかりの者もいるのだ。そう言ったものが上層部に何名かいるが、長野はその中で最も露骨で権力に固執したような男だ。守備隊に強い影響力を持っていて、そんな職はないのに、総督と名乗っている。
きっと松柴が派遣したカナタ達よりも早くマザーの情報を持ち帰り、手柄として松柴の勢力を削ごうとでも企んでいるのだろう。
カナタは面倒な事になったとため息をついた。そういった権力絡みのやり取りは苦手で、誰がどこの派閥で誰と手を組んでとか考えるだけで頭が痛くなってくる。
「でもそっちはずいぶんな構成だね。子供が二人に研究員が一人。と、一般人?でいいのかな。が一人。戦えるものより非戦闘員の方が多いんじゃないかい?君たちのほうも色々あるだろうが、ここは僕たちにまかせて帰りたまえ。こちらは装備も整ってるし、研究者だって自分の身は守れる程度に戦える者だ。マザーに接近するかもしれない任務だ。しがらみは捨てて適材適所と行こうじゃないか」
獅童がカナタ達のメンバーを見てそんなことを言ってきた。裏工作で動いているとはいえ直接依頼されたと言っていたし、それなりの成果を持ち帰る必要はあるのだろう。
ただそれだけではなく、この獅童と言う男は自分こそが正義であると思っている節がある。ひどく間違った事は言わないのだが、自分が正しいと思った意見は曲げず、融通が利かない性格で、これまでも他の隊と揉め事になった事も何度もあるのだ。
その間もハルカは俯いていて、話をする気はないようだ。それが余計にカナタを苛立たせる。
「ともかく……正規の任務じゃない部隊と一緒に行動もできないし、こちらはこちらで勝手にやります!」
とにかく面倒になったカナタは早く話題を切り上げたくて終わらせようとするのだが、獅童のみたいなタイプは空気を読むことをしない。自分こそが物事の中心であると思っているかのように振舞うものである。
「いや、それは困るな。素人が変に手を出すとごちゃごちゃになってしまうだろ?ここは君たちが引きたまえよ?戦力的にも、君たちの方の研究者も問題ありらしいじゃないか」
これだ……こういう事を平気で言って、それに反対する方が間違ってるような流れを作っていくのだ。
カナタは本気で頭を抱えたくなった。
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