6-9
ヒナタはぼんやりと手に持つ短刀を見つめていた。少し使ってみたが、とてもよく切れるし短いが身幅は厚く、その分あまり折れる心配をせず使える。
もう何年たったかもよくわからない。あの時、この手で生きている人を手にかけてしまってから、ヒナタの思考と時間は止まっていた。
自分ではどうしていいか分からずにいた時に、克也はヒナタを連れそこを離れると、しばらくは放浪の生活が続いた。
克也は事あるごとにその時の事を繰り返し語り、ヒナタが知らなくていいような事まで聞かせてきた。それでいながらヒナタの心が罪悪感に押しつぶされそうになると、やさしくなぐさめてくるのだ。
その後も、急に襲い掛かってこられたり、たまたま遭遇して争いになってしまった人たちを、やむなくヒナタは退けた。
しかし克也は危険だから殺さないといけないと頑強に主張し、最初は克也が、そのうちに自意識が薄くなってきたヒナタもそうしてきた。
普通の精神状態であったならば、克也の意識誘導に簡単に気づいただろう。しかしこの時のヒナタの心はひどく疲弊しており、気づかないばかりか、さらに罪の意識を積み重ねるように誘導されてきた。
結果、ヒナタの思考と心は閉ざされてしまった。
ただぼんやりと聞こえる指示に従っているだけの人形の様な物になってしまっていたのだ。
「ヒナタちゃん、お兄さんの噂を聞いたよ」
今日も克也は、ヒナタが唯一反応する兄の事を餌に、近寄ってくる。毎回そうやって話を持ってくる克也は必要以上に近づいてくる。ヒナタがまともな精神状態であったなら二~三発殴っていてもおかしくないレベルで、やたらと触って来ようとするのだ。
さすがに根底にある忌避感なのか、一定のラインを越えると物理的に排除される事が克也もわかっているので、それが見逃される範囲でだが……
「ほら、さっき感染者の群れと戦っていた女がいたじゃん?俺が調べたところによると、あの女が所属するグループがお兄さんを捕まえてどこかに売り飛ばしたみたいなんだよね。んで、お兄さんからヒナタちゃんの事を聞いていたみやいで、ヒナタちゃんも同じようにするつもりでさっき話しかけたみたいなんだよね。」
ばかばかしい突っ込みどころ満載の話なのだが、今のヒナタにはわからない。ただ、もしカナタがそんな目にあっていたとしたら、そんな所でヒナタの事を口にするはずはないのに。とわずかな違和感を抱いただけだ。
「だからさ、あの女を動けなくなるまで痛めつけてほしいんだよね。大丈夫その後の事は俺らがやるから」
いつものいやらしい笑みを浮かべた克也を見ないようにヒナタは俯いた。それを承諾のサインと勘違いしている克也は満足げにすると、ヒナタの肩に手を回し気持ち悪い手付きで撫でまわす。
いつもそれが嫌で、反射的に身をよじるのだが、それをすると嗜虐的な顔になり余計に撫でて来るのだ。閉ざした心の奥底でうずくまっている小さく残っているヒナタの感情は耳を塞ぎ何も考えないようにして時間が過ぎるのを待つのみだ。
(最近これくらいじゃあんまり反応もしないな。面白くない……でもこれ以上の所を触ろうとすると暴れるし。まあいい。今は俺の言いなりになっているんだ、いつかはそのすべてを……)
克也は心の中でそんなことを考えながら、何も反応がないヒナタを見る。抱き着きたい情動を何とか抑えると、立ち上がりそこを離れた。
「克也、その女大丈夫なのかよ?気味悪いし……えらく強いけどさ、この前襲った施設に銃も弾もたんまりあったしよ。もっと大きなとこを襲ってこれで支配しちまえばいいんじゃないか」
その男は持っている小銃を叩きながらそんなことを言っている。その男はヒナタを使い、色んな所を襲撃して物資を奪っている時に知り合った。腕っぷしもそこそこ強く、人を殺すのにも抵抗がない。何より思考回路が克也と似ている。
男はユウジと名乗っている。本名かどうかなど興味はない。ユウジの隣にも男か一人座っているが、コウと名乗っただけでほとんど喋りもしない。金目の物や女にも興味を示さず、人をいたぶる事のみ興味をしめす。これらは仲間という意識などない、ただ利害が一致しているから共に行動しているにすぎない。あと二人ほど同行者がいたのだが、あの場を走り去ろうとした女を追いかけて行ってしまった。帰ってこない所を見ると、そのまま女を捕まえてどこかに行ったか、感染者に食われたかしたんだろう。それだけの事だと思って気にもしていない。
「いいんだよ。彼女はあれで……それより、ふもとで聞いた鍛冶師ってやっぱりさっきの所で間違いなさそうだ。刀を作ってるってのも本当みたいで、なんでかヒナタちゃんがごつい短刀をもって帰ってきた。銃もいいけど撃つと奴らが寄ってくるし、弾も無限じゃない。やっぱ刀だろ!さっき見てきたけど、感染者のでかい集団がまだ近くにいる。」そいつらがもう少し離れたら、襲うぞ。」
克也がニヤニヤしたままそう言うと、コウと言う男がぼそりと言った。
「刀は手入れが大変だ、人を斬ると脂ですぐ切れなくなる……なんならその鍛冶師も飼ったほうがいいかもな」
コウのいう事に克也はなるほど、と思った。それなら……ヒナタにあの女を動けなくさせた後は、それなりに楽しむつもりだったが、人質にして鍛冶師とやらを縛るのもいいかもしれない。
そう考え、克也はほくそ笑む。しっかりした力さえ持ってればこの世界はそう悪くない。色んな物に縛られ、自分を偽って生活しなければならなかった以前に比べると、よほどいいと克也は、そしてここにいる男たちは本気でそう思っていた……
時は少し戻り……
何者かの乱入により、感染者達の動きに隙ができた事で白蓮は感染者の間をすり抜けた。そのまま走り去ると思いきや、感染者の目を逃れると身を隠し、戦いの様子を見ていた。
最悪な状況で、なんとか自分は逃れられたが、先生や姉さんは……
そう思うと、せめて最後まで見届けたい。そう思ってしまったのだ。隠れて様子をうかがっていると、少女が乱入して感染者を叩き伏せていた。
このままなら、逃げる必要はないのでは?と思ったが、先生からの指示を果たさず戻った日には姉さんが何と言うか……それは少し怖い。
そのまましばらく見ていたが、どうやら最悪の事態は避けられたようだが、姉と少女が興味のあるやり取りをしていた。白蓮は直接カナタ達と面識はないが、だいたいの事は聞いている。
「これは、よいみやげができたかもしれませんね」
白蓮はそう呟くと、気配を殺したままそこを離れカナタ達がいるであろう場所を目指そうとした。したのだが、その前に二つほどの影が立ちふさがっている。
「はぁ、うっとおしいですねぇ。私、どちらかといえば理知的な方が好みなので~、粗暴な方とはお話もしたくないのですが?」
「あんたの好みとかは関係ないな。あるのは、俺たちが気持ちいい思いをするかどうかだけだ」
白蓮が言った言葉など歯牙にもかけず、下卑た笑いを浮かべて男が二人行く手を塞いでいた。その手にはそれぞれ拳銃が握られている。それで強くなったつもりなのか、と白蓮は余計に冷めた目で男たちを見る。
男たちは目で合図しあうと、一人は白蓮を捕まえに、一人は白蓮に向かって拳銃を構えて牽制しているつもりのようだ。
「痛い思いしたくなかったらおとなしくするんだな。」
動こうとしない白蓮を見て、恐怖か拳銃を恐れて動けないのだと勘違いしたのか、無防備に近寄り白蓮の腕を掴んだ。
「気安く触られるのは不愉快です」
いや、掴んだかに見えた。が、その腕は手首から先が無くなっている。
「へっ?」
一瞬何が起こったのかわからず、男はぽかんと自分の腕を見ていたが、やがて痛みが襲ってきたのか大声で叫び始めた。
「いっ、いてえっ!てめえっ、なにしやが……」
最後まで言わせる事なく、白蓮の持つ短刀は男の首を斬り裂いていた。
返り血を浴びないよう体をかわしながらもう一人の男に向かい合う。
「なっ!くそ、動くな、この!」
男はそう言いながら白蓮に拳銃を突きつけて動きを封じようとするが、それよりも白蓮の方が早く、拳銃の上部分を掴み少しだけ力を加える。
「わたし、実はけっこうガンマニアなんですよ~。」
そしてにっこりと笑い、言った。
「M9ですねぇ。駐留軍の物でしょうか、使う人が素人ではぁ、なんでも一緒ですけどね」
にこやかに言う白蓮に比べ、男は冷や汗をかき始めている。
「な、なんで撃てねえ。なにを、てめえなにしやがった!」
焦った男が叫ぶように言う。
「シロウトなのに、近すぎですよ?、銃で制圧しようと思ったら。相手が触れないくらいは離れないと」
「な、なんだと?」
「撃てませんよ。ここを止められたら。余裕ぶってか知りませんがコッキングもしてないようですし」
引き金が動かないため、あせってしまった男は引き金をなんとか引こうと繰り返すばかりだ。冷静に対処できればどうとでもなるのに、動かない引き金をどうにしようとするばかりだ。そんな男を冷たい目で一瞥すると、白蓮の右手に握られた短刀が閃いた。
「これは頂いて行きますねぇ?物に罪はありませんし」
そう言い残して歩き出す白蓮の後ろで、男はゆっくりと崩れ落ち、倒れた。
白蓮は慣れた手付きでチャンバー内と、マガジンの中身を確認して、デコッキング、セフティをかけると、ふところにしまって振り返る事もなく歩いて行ってしまった。
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