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【BIO DEFENSE】 ~終わった世界に作られた都市~  作者: こばん
半年後

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41/353

6-7

人里離れた山の中、滝の降りそそぐ水飛沫を浴びるような位置にその小屋は建っている。その小屋の奥まった所では夜に闇に真っ赤焼けた炭だけが煌々と光を放っている。


 パチパチと音を立てている炉にふいごの風を送り込む音が聞こえ、炭がさらに輝きを増して、それを見つめる男の顔を照らし出す。

 


 

 「先生、やはりここを離れて頂く訳にはまいりませんか?」


 スイレンが、何度目かのお願いを口にする。その相手、龍安明はとめどなく滴り落ちる汗もそのままに、わずかに首を振る。

 その視線は、炉に入れた折れている刀に集中している。


 わずかにため息をついたスイレンは、一礼してその場を離れ囲炉裏端の横を取り抜け、表まで出る。そして、黙って森の様子に耳と意識を集中させる。

 森の中に奴らの存在は感じられる。先生が言う「親」に向かって移動する者と、目的もなくふらふらと彷徨う者がいるし、「親」に向かう者達は、その途中に障害があっても愚直に目的地を目指す。


 しかしここ数日、親の元に集まった集団が移動を始めたのを、森に山菜を取りに行ったスイレンの妹ハクレンと、龍の弟子の桂が確認した。


 安全と思われていた範囲で山菜を摘んでいたところ、突然集団に遭遇したというのだ。

 二人は急いでその場を離れたのだが、すでにかなりの数の感染者に囲まれていて、桂は噛まれて集団の中に取り込まれていった。

 命からがら逃げてきたハクレンは、必死に逃げる途中で崖を滑り落ちてしまい、桂を救い出すこともできなかった……。


 さらに、戻ったハクレンは、そのまま進めばここへ来るであろう進路をとっていると、戻って来るなり怪我の治療もそこそこにそう訴えて、ここから移動するようにスイレンに伝えた。

 

 それを聞いたスイレンは、急ぎ逃げる準備を整え龍に進言した。


 しかし龍は、むしろその前から、すでに異変に気づいていた節があり、何も言わずに鍛冶場に籠ってしまったのだ。龍が火事場にこもって、もう丸三日になる。

 スイレンは闇に包まれた森を見つめながらため息をついた。もしかしたらこの闇のほんの少し先には感染者の集団が迫っているかもしれない。今にも暗闇の中から手を伸ばしてこちらを掴もうと、そして食らいつこうと姿を現すかもしれないのだ。


「姉さん……先生は?」


 腕と額に痛々しく包帯を巻いたハクレンが、小屋から出てきてスイレンに話しかけてきた。じっとしていられないのだろう。しかしスイレンは目を閉じて首を振る。

 ハクレンもそんなスイレンの様子を見て、視線を落とす。


「私にはぁ……わかりません。先生がいつもおっしゃっている、自然と運命を共にするということですがぁ……あの化け物が自然なものとはどうしても思えないんですよねぇ。あれは……不自然ですよぉ」


 特徴的な間延びした口調でハクレンはそう言った。感染者を間近で見て、さらに一緒にいた桂を失ったハクレンは特にそう感じるのだろう。


 それを聞いたスイレンもどう答えるべきか分からない。ここまで龍の心情が理解できない事は、スイレンには初めての事だった。

 二人でしばらく黙って俯いていると、しばらく途絶える事なく聞こえていた槌の音がようやく止まった事に気づいた。


「先生……」


 スイレンが顔を上げて呟く。


 やがて、ここ数日寝食すらほとんど取らずに鍛冶場で刀を打ち、痩せてしまったように見える龍がゆっくりとスイレンたちの元へ歩いてくる。


「スイレン、ハクレン。お前たちに頼みがある……これを」


 そう言って龍は細長い包みを差し出す。おそらく刀……短刀にしては長いし脇差にしては短い。それを黙って受け取ったスイレンは、刀に残った熱を感じて、これが龍がここしばらくずっと打ち続けていたものである事を察した。


「先生、これをどのように?」


 両手で刀を押し抱くように受け取ったスイレンがたずねた。

 

「うむ……この刀はかつてここに来た青年。カナタと言ったか?あの青年に渡した「桜花」の片割れでな。折れた先端の方を打ち直した物じゃ。ここにきて、そやつが息を吹き返しおってな。打てと、自分を振るえるようにしろと、わしに訴えかけてきおっての」


 伸ばしている白髭をしごきながらそう言った。


 普通の者が聞いたら、正気を疑われるような言動であるが、ここにいる者は、それが龍だけが感じられるものと理解している。

 

 そしてようやく龍が頑なに避難を受け入れない理由が少し分かった。

 一度死んだ刀が、自分を蘇らせろと訴えかけてくるのだ。龍はそれを聞いて黙っていられるような鍛冶師ではない。

 

以前カナタに渡した刀「桜花」は、龍の師匠が作った太刀が折れた物を龍が打ち直した物だ。

 今回の物は、それの残りの方を打ち直したのだと言う。

 そしてスイレンは淡い期待を抱いた。この刀が出来上がったという事は、今なら避難してくれるかもしれない。


「では、これが完成したという事は……」


 スイレンが期待したような視線を龍に向ける。しかし、これまでと変わらず龍は静かに首を振る。


「すまん、スイレン、ハクレン。わしには奴らの矛先がこちらに向いている事は、はように気付いてはおった。わしは自然を受け入れ、合一する事でやっと師匠の刀に手をかける事ができる高みに立った。ゆえに、受けれてくれた自然を差し置き、わしだけがここを離れるわけにはいかんのじゃ。そんな事をすれば二度とわしを受け入れてはくれまい。そなたらには受け入れがたき事とは思うが……」


 どこかで予想はしていたのだろう、ハクレンは悲愴な表情をするが、俯いて反論する事はなかった。しかし、これまで黙って龍の言う事を受け入れてきたスイレンは、初めて反論した。


「自然と仰いますが、私にはあれらが自然のものとはどうしても思えません!人は死ねば骸となり朽ちる事こそ自然であると。あのように未練がましく動き回るが自然と仰るのですか!」


 そう反論するスイレンに、やさしく諭すように龍は語る。


「確かにあれは自然とは言えぬな。しかし、あれ自体は不自然であっても、あれを産み出したのは大いなる自然よ。翠、白、頑固なジジイの最後の戯言と思って受け入れてはくれぬか。」


 龍はスイレン達の幼い頃の呼び名を口にする。

 そして、静かに頭を垂れる。


「っ!……先生…」


 スイレンは、龍のその姿に息を呑み、言葉を出す事ができなくなってしまう。


「……わかりました」


「姉さん……でも!」


 しばらくの沈黙の後、了承の返事をしたスイレンは、まだ納得がいかなそうなハクレンを視線で制し、龍の背中に手を添え頭を上げさせる。


「すまぬの。その刀はおそらく半身に惹かれるじゃろう。そして、カナタ君達がまたこの森に入った。これは運命なのかもしれんな。その刀はカナタ君か、それに近しい者に渡してほしい」


「カナタ様たちが、また森に……。そうでございますか。それは確かに何かのお導きかもしれません……では」


 龍の言葉に驚いたスイレンは、しばらく黙考すると、龍から預かり、大事に抱えていた刀をハクレンへと手渡した。


「姉さん?」


「皆まで言わずともわかると思いますが……私は最後まで先生とお供したいと思います。ハクレンは先生のご意思を尊重なさい。カナタ様達が森に来ているというならば、まさに運命。あなたに託します。必ずや届けるのですよ?」


 何かを言おうとしたハクレンを有無を言わせぬ迫力で黙らせたスイレンは、静かにそう告げた。

 

「そんな!それは……でも。…………わかり、ました……」


 ハクレンはそれでも何かを言おうとしていたが、スイレンの目を見て言葉をなくした。何を言ってもスイレンの考えを変える事はできない。そう思ってしまったからだ。


「スイレン……」


「先生?先生のわがままをお聞きするのです。私のわがままもお聞き入れくださいませ。」


「…………」


 そう言ったスイレンに、龍は返事をしようとしていたが、ついに言葉にすることはできなかった。勝手な事を言い出したのは自分の方が先なのだ。

 龍が何も言わないのを見て、にこりと笑ったスイレンは言葉を続けた。

 

「たとえお聞き入れくださらなくても、スイレンは勝手にいたします」


 あえて、にこやかに言うスイレンを龍はじっと見つめた。そして、小さく息をつくと「勝手にしなさい。」と小さく言って小屋の中に戻ってしまった。


 「はい!勝手にさせていただきます」


 そう言って、きれいな所作で深くお辞儀をして龍が小屋に入るのを見送ったスイレンがすっと真剣な表情になる。


 そしてハクレンを見ると話し出した。


「そうと決まれば時間の猶予はあまりありません。すでに森の中には、かなりの数の感染者達の気配が漂ってます。すぐに出る支度を……」


 スイレンがそこまで言いかけた時、異変に気付いて呟いた。


「森の音が消えている……」


 人里からかなり離れているといっても、音がしないわけじゃない。むしろ山奥ならではの音に包まれているのだ。

 風が枝やはっぱを揺らす音。鳥や動物が立てる物音や鳴き声。そう言った物音がしなくなったという事は……


「もう近い……ハクレン、急ぎなさい。ここは姉がしのぎます!」


 そう言うが早いか、翠蓮はどこから取り出したのか、太刀を抜いて構える。

 

 口を結んでそんな姉の姿を見ていたハクレンは、別れを惜しむ暇すらなく小屋の中に走って戻った。


「ごめんなさいね、自分勝手な姉で……」


 スイレンは、姿の見えなくなった妹に小さな声で詫びるのだった。




読んでいただいてありがとうございます。

これからもよろしくお願いします!

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