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6-7

「先生、やはりここを離れて頂く訳にはまいりませんか?」


 翠蓮が、何度目かのお願いを口にする。その相手、龍安明は変わらずわずかに首を振る。

 その視線は、炉に入れた折れている刀の温度に集中している。


 わずかにため息をついた翠蓮は、一礼してその場を離れ表まで出ると森の様子を集中して確かめる。

 森の中にも感染者の存在は感じられるが、ある方向に向かって移動するものと、その場でふらふらと彷徨うものと二つに分かれる。

 彷徨う者は、目や耳で生きている者を感知しない限り極端な動きをしない。

 ある方向に向かう者は大体決まった進行ルートを通って目的地を目指すようだ。


 しかしここ数日、目的地に集まった集団が移動を始めたのを、森に山菜を取りに行った妹の白蓮と、先生の弟子の桂が確認した。


 これまでは、安全と思われていた範囲で山菜を摘んでいたら、突然集団に遭遇したのだ。

 二人は急いでその場を離れたのだが、すでにかなりの数の感染者に囲まれていて、桂は噛まれて集団の中に取り込まれていった。

 白蓮は命からがら逃げてくる事ができたのだが、必死に逃げる途中で崖を滑り落ちてしまい、怪我を負ってしまった。


 戻った白蓮の話では、感染者の集団はそのまま進めばここへ来るであろう進路をとっており、急ぎ逃げる準備を整えたのだが、龍は決して動こうとはしなかった。


 むしろ、白蓮が知らせる前に異変に気づいていた様子もあり、白蓮が戻る少し前から鍛冶場に籠りきりになってしまっている。


「姉さん……先生は?」


 腕と額に痛々しく包帯を巻いた白蓮が、小屋から出てきて翠蓮に聞いたが、翠蓮は目を閉じて首を振る。


「私には、わかりません。先生のお心が……自然と運命を共にするといつも仰ってますが、あのような化け物こそが不自然ではないかと思うんです!」


 間近で見て、さらに一緒にいた桂を失った白蓮は特にそう感じるのだろう。

どう答えるべきか、答えを探しているとここしばらく途絶える事なく聞こえていた槌の音が止まった事に気づいた。


「先生……」


 白蓮も気づいたのか、共に鍛冶場の方を見つめる。こうしている間にも感染者の集団が姿を現すかもしれない。そう考えると居ても立っても居られないのだ。


 やがて、ここ数日ひっきりなしに刀に向き合っていたためか、痩せてしまったように見える龍が鍛冶場を出て翠蓮たちの元へ歩いてくる。


「翠蓮、白蓮。お前達に頼がある、これを」


 そう言って龍は細長い包みを差し出す。おそらく刀……短刀よりはやや長めの刀と思える。受け取った翠蓮は、刀に熱が残っているのを感じて、これがここしばらくずっと打ち続けていたものである事を察した。


「先生、これをいかがすれば?」


「うむ……この刀はかつてここに来たカナタだったか?あの青年に渡した刀の片割れでな。折れた先端の方を打ち直した物じゃ。ここにきて、そやつが息を吹き返しおってな。打てと、使える程度で良いから治せとわしに語りかけてきたのじゃ」


 普通の者が聞いたら、病を疑われるような言動であるが、ここにいる者は、それが龍だけが感じられるものである事は知っている。

以前カナタに渡した刀、桜花は龍の師匠の作った大太刀が折れた物、それを龍が打ち直した物だ。

 今回の物は、それの半分の方という事だ。


「では、これが完成したという事は……」


 翠蓮が期待したような視線を龍に向ける。完成したなら避難してくれるのではないか、その目は如実にそう語っている。

 しかし、これまでと変わらず龍は静かに首を振る。


「すまん、翠蓮、白蓮。感染者達のの矛先がこちらに向いている事は、はようにわかってはおった。だがの、わしは自然と己の命を共にする事で、ようやく師匠の刀に手を入れる事ができる。それが完成したからといっておめおめと逃げ出すようでは、二度とわしを迎え入れてくれんじゃろう。彼奴等がここまで来るか、或いはどこかで逸れるか……最後まで自然の流れに沿っていこうと思っておる」


 どこかで予想はしていたのだろう、白蓮は悲愴な表情をするが、反論する事はなかった。しかし、翠蓮はまだ納得がいかないのか言葉を返した。


「自然と仰いますが、私にはあれらが自然とはどうしても思えません!人は死ねば骸となり朽ちるが自然であると。あのように未練がましく動き回るが自然と仰るのですか!」


 そう反論する白蓮に、諭すように龍は語る。


「確かにあれは自然とは言えぬな。しかし、あれ自体は不自然であっても、あれの成そうとするは大いなる自然よ。翠、白、頑固なジジイの最後の戯言と思って受け入れてはくれぬか。」


 最後は幼い頃に呼んでいた名前でそれぞれに語りかける。

 そして、静かに頭を垂れる。


「っ!……先生…」


 龍のその姿に息を呑み、言葉を継ぐ事ができなくなってしまった。


「わかりました」


「姉さん!」


 しばらくの沈黙の後、了承の返事をした事に、驚きを隠せない白蓮を視線で制した翠蓮は、龍の背中に手を添え頭を上げさせる。


「すまぬの。その刀はおそらく半身に惹かれると思う。そして、カナタ君達がまたこの森に入った。これは運命なのかもしれんな。カナタ君か、それに近しい者に渡してほしい」


「カナタ様たちが、またここに?誠でございますか。それは確かに何かの導きかもと思ってしまいます……では」


 龍言葉に驚きを隠せない翠蓮であったが、しばらく何かを考えると大事に抱えていた刀を白蓮へと手渡した。


「姉さん?」


「皆まで言わずともわかると思いますが……私は最後まで先生とお供したいと思います。白蓮は先生のご意思を尊重なさい。カナタ様達が森に来ているというならば、まさに運命。あなたに託します。必ずや届けるのですよ?」


「そんな!それは……でも。…………わかり、ました……」


 もはや何を言っても無駄と思ったか、それとも思いを遂げさせんと思ったのか……最後は無理矢理に己を納得させ、白蓮は不承不承ながら、翠蓮の言う事を承知した。


「翠蓮……」


「先生?先生のわがままをお聞きするのです。私のわがままもお聞き入れくださいませ。お聞き入れくださらなくても、翠蓮は勝手にいたします」


 むしろにこやかに言う翠蓮を見て、諦めたように龍は首を振り、勝手にしなさい。と小さく言って小屋の中に戻ってしまった。


 それを見送った姉妹は、真剣な顔になり向かい合う。


「そうと決まれば時間の猶予はあまりありません。すでに森の中に感染者達の気配が漂ってます。すぐに身支度を……」


 翠蓮がそう言いかけた時、すでに感染者の気配が近くまで来ている事に気づいた。


「くっ!もうそこまで……白蓮、急ぎなさい。ここは姉がしのぎます!」


 そう言うが早いか、翠蓮はどこから取り出したのか、太刀を抜いて構える。

 別れを惜しむ暇すらなく、白蓮は小屋の中に走って戻った。

 支度といっても彼女達はほとんど私物を持っていない。わずかな着替えと見た目を整える道具、あとは武器くらいだ。すぐに戻るだろう。


「ごめんなさいね、自分勝手な姉で……」


 翠蓮は、姿の見えなくなった妹に小さな声で詫びた。



 しかし、雪崩のように迫る感染者の勢いに、さすがの翠蓮も押され始める。刀もいつまでも同じ切れ味ではない。数体切れば血脂で極端に切れ味は落ちる。


「姉さん!」


 そこに支度を終えた白蓮が飛び込んで、数体の感染者を斬るが二人の思っている以上に数が多く、進むどころが次第に押され始めている。


「これは……やむを得ませんね、一旦引いて入り口で迎え撃ちます。そこなら一度に一、二体しか向かってこれないはずです」


「はい!」


 白蓮は返事をすると、斬った感染者を後続の邪魔になるように転ばして、翠蓮は大胆に足で押し戻して後ろに下がる時間を作った。


 小屋の庭をぐるっと取り囲んである塀は、木を組んで作った簡素な物であるが、強度はそこそこにあり感染者の勢いを止める役割を十分に果たしている。

 また入り口は、大人が二人並ぶと狭いくらいの幅しかないため、一度に一体から二体を相手取ればいいので翠蓮達も交代で休憩する時間も取れるようになった。


しかし、押し寄せる感染者は途切れる事もなく、後から後から姿を見せる。しかも、時折変わった個体が見受けられた。いつも歩く程度の速さでしか移動しないはずなのに、その個体は走ってくるのだ。

 見た目では他と変わらず、いきなり走り出すので対応に追われてしまう。


 さらにいくら腕が立つといっても、次々と迫ってくるうえに切れ味の落ちた刀は、一撃で仕留める事が難しくなってきている。しかし、こちらはひとたび傷を受ければ終わりである。

 体力も精神力も徐々に削られ、次第にその動きも精彩さを欠いてくるようになる。


「このままでは……」


 翠蓮はチラリと白蓮の方を見ると、限界という程まではないがだいぶ辛そうだ。かといって自分にもそう余力があるわけでもない。

 なんとか白蓮だけでも行かせる事ができないか……先程からそればかり考えているのだが、次々と現れる感染者に隙を見出せずにいた。


「せめてあと一手……別の方向から援護があれば」

 或いは少しだけでも突き崩せるだろう。わずかな隙さえ作れれば白蓮を逃す事ができる。


 翠蓮の頭にカナタ達の姿が浮かぶ。先生は彼らが森に入ったと言われた。もし、かなうなら……彼らがほんの少し手を貸してくれれば……


 翠蓮はつい浮かんだその考えを打ち消す。カナタ達が今ここに来るのは危険に飛び込むと言う事だ。それでは本末転倒である。

 でも、もし安全な所から射撃でもしてくれるのであれば。頭に銃を構えたスバルが浮かぶ。重要な人を守るべく育てられ、鍛えられてきた自分を初めて庇ってくれた不器用な青年。決して受け入れる事はできないが、好意を向けてくれる事を密かに嬉しく思っていたのだ。


 もし、彼がここにいたら……それは望んではいけない事なのだろうが、限界の近くなった翠蓮の脳裏から消すのが難しくなってくる。


「あっ!」


 隣で白蓮の声が聞こえ、地面に落ちる金属の音。短刀を取り落としたか、或いは限界が来て折れたか……


 ついにここまでか……諦めが脳裏を支配し始めた…………



 ダン!ダン! タタタ……


 あたりに乾いた破裂音が響きわたる。それは連続して鳴り、何体かの感染者の動きを止めた。


 

 

読んでいただいてありがとうございます。

これからもよろしくお願いします!

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