閑話 ゆずとトラップ 居心地のいい場所
トラップ騒動のあった日の夜。
みんなが風呂と食事を済ませて、それぞれ寝る支度を始めた頃。カナタは一人リビングのソファに座っていた。
明日出発するので、命を預ける相棒、「桜花」の手入れをしていたのだ。ゆっくり手入れできる環境もこれからあるかどうか……。
刃についた僅かな汚れや曇りを、布で拭いながら、今日一日のことをぼんやり思い返しながら、丁寧に手入れしていく。
「カナタ君」
背後から、小さな声がした。振り返ると、寝巻きに着替えたゆずが、珍しく遠慮がちに立っていた。
「ん? どうした?」
ゆずは少しだけ周りを見回してから、俺の隣にちょこんと座る。
「ちょっと相談、ある」
その言い方だけで、嫌な予感がした。今のゆずはここの拠点に人を寄せ付けない事に思考のほとんどを割いているように見える。
「……またトラップ関係だったりする?」
「うん」
即答である。
……逃げたい。もう寝たい。なんで俺はここで「桜花」の手入れしていたんだろう。
だが隊長として逃げるわけにはいかない。大きくため息をついてから、話を促した。
「一応、聞くだけ聞こうか」
カナタの言葉にゆずは薄く微笑んで口を開く。
「さっき思った。今のシャッターのトラップ、効率悪い」
ゆずの言葉に、カナタの表情が渋くなる。これ以上威力を求めてどうするのだろうか……。
「今でも十分すぎると思うが?」
カナタがそう言うと、ゆずフルフルと首を振る。
「腕が吹っ飛ぶの、シャッターを開けようとした一人だけ」
「いや十分だよ!!!」
思わず声が大きくなって、周りを見てから慌てて音量を落とす。
「……でも、拠点を荒らしにくる奴って、大体グループ。一人にしかダメージ与えられないの、非効率」
「いや、その論理やめてくれないかな?」
しかしゆずは、真顔のまま続ける。
「だから、カナタ君に相談。どうせ作るなら、殺さずにもっと効率のいいトラップ、作りたい」
言ってることは物騒なのに、「殺さずに」のところだけちょっと誇らしげなのが余計に怖い。
カナタはしばらく口を閉じて考える。
ここでやめろ、と言うのは簡単だ。でもどうせ聞きはしない。むしろゆずがこっそり独断でやらかしたら、今日みたいな事がもっと過激な形で起こる可能性がある。
それならいっそ、「条件付きで」こちらのコントロール下に置いたほうが、まだマシかもしれない。
「……わかった。条件付きで、意見は聞く」
「やった」
ぱっと控えめな花が咲いたように笑う。
この顔を見てしまうと、やっぱり強くは出られない。自分にため息をつく。そしてカナタは言う。
「まず、殺さないのは絶対。命に危険のあるやつは無し。あと、悪意のない人が触っても致命傷にはならないように警告を多くする事」
「ん」
ゆずは真剣な顔で聞いている。
そして、少し考えてから、こくりと頷いた。
「それなら、いい案ある」
「聞こうか」
「シャッターを、40センチくらいまで上げたら、上からペンキ落ちてくる」
「……ペンキ?」
カナタが、真っ赤な液体を浴びる侵入者の姿を想像する。なるほど、見た目のインパクトはかなりある。そしてあからさまな「トラップ」であり、怪我もしない。
カナタが何も言わない事を確認するとゆずは話を続ける。
「一回目はペンキだけ。二回目は、音」
「音?」
カナタがオウム返しに聞き返すと、ゆずはおおきく頷く。
「ん。すごく大きな音と光。スタングレネードの余りを使う。耳がキーンってなる。侵入者びっくりする。周りにいる感染者も寄ってくるから、あんまり長居できない」
「……なるほどな」
まだ殺傷力はない。食らったらしばらく動けなくなるし、近くに感染者がいれば命取りになるかもしれないが、わざわざ書いている注意書きを無視して長時間ガチャガチャやるような輩にとっては、十分なリスクになる。
「三回目以降は?」
意外にしっかり考えられていて、少し安心したカナタは続きを聞いてみる。
「三回目以降は……悩んでる」
ゆずが珍しく悩む顔をした。
「三回めまで警告した、それでも開けようとする奴は、本気で悪意ある奴」
まあ、そうだろう。カナタも頷く。
「だからそこから先は、腕の一本くらい……」
「だめ」
カナタは目を閉じて即答した。
「なんで?」
本気で分からないと言いたそうにゆずは聞き返す。
「なんでじゃない。腕の一本吹き飛ばす威力があれば、簡単に致命傷になりうるだろ」
「……むう」
ゆずの中では、「被害が小さすぎたら意味がない」と思っているようだ。
そこで、逆にこっちから提案する。
「例えばさ、シャッターを一定以上上げると、連動して仕掛けていたネットが一気に持ち上がる。それに全身をぐるぐる巻きになった侵入者は吊り下げられる」
カナタが身振りも交えて説明する。
「ネット?」
「そう。動けなくなるけど、怪我はしない。助けたけりゃ、仲間が外からシャッターを下ろして、ネットをを外す必要がある。つまり仲間も含めて複数の人間に、危険なトラップがある事を知らせる事が出来る。ネットのトラップが作動したら、高い音が鳴り出すのもいいな。音が感染者を呼び寄せるし、焦るだろ」
カナタが説明をするにつれて、ゆずの目が、じわじわと輝きを増していく。
「捕獲トラップ……それいい。もし捕まえたら、直接警告できる」
「何する気だ!とにかく『基本は追い払うため』な?」
「ん、わかった」
気を抜くと、話が物騒な方向に転がりそうになるのを、必死で食い止めつつ、なんとか今の形に落とし込んだ。
ゆずは、メモ帳を取り出して、さらさらと何かを書き込む。
「ペンキの色は何色がいい? やっぱり血の色?」
きらりと目を輝かせてゆずがそう言う。
「生々しいな……もうちょっと穏やかな色になんない?」
「じゃあ……ショッキングピンク」
「あー……。それはそれで精神的ダメージがデカいな」
笑いながら、カナタは少しだけ胸をなでおろした。
完全に抑え込む事はできないだろう。ゆずだけではない。他のみんなもこの場所に愛着を覚えている。ここでは「笑い合い」事が多かった。居心地がいいのはもちろんあるが、いい思い出が多いと言うのは精神的に大きい。
「ありがと、カナタ君」
思考にふけるカナタに、メモを書きながらゆずが急にそう言った。
「何が?」
カナタが聞き返すと、ゆずは微笑みながら視線を下に落とす。
「一緒に考えてくれた。私一人なら、たぶん腕くらい平気で飛ばしてた。最悪半分くらい、いいかなって」
「穏やかな雰囲気で物騒なこと言うのやめてくれる?」
思わずそう言ったカナタだったが、後半の、「最悪半分」の半分が何を意味するのかは恐ろしくて聞けなかった。
ゆずが守ろうとしているものの中には、「ここでの笑顔の時間」がきっと入っている。
そのための暴走なら──せめて、方向だけは正してやりたい。ゆずがした事で人が死ぬのは極力避けたい。戦闘中は仕方がない。こちらの命もベットしているのだ。
でもそれ以外で無作為に命が奪われる。それがゆずが何かをした結果、というのがカナタは嫌なのだ。
そうカナタが考えている間にも、メモをしまったゆずは楽しそうにしている。
「どこかからペンキとネット、探してくる。目星はついてる。きっとある。」
これまで付近を捜した時にどこかで見かけていたのかもしれない。ゆずにはもう心当たりがありそうだ。
「本格的にやる気だな?」
カナタが苦笑いを浮かべて言うと、ゆずは真顔で頷く。
「ん。ここ、別荘兼要塞にする」
「要塞がふえてるし……」
そう言いながらカナタは薬局の天井を見上げる。
──いつか、本当にここが「別荘」になってまた訪れる日が来るといいな。
そんな夢みたいな願いを、一瞬だけ、心の中で呟いた。




