14-3
マザーは離れた位置で武器を抜こうとしている人間を、訝しんでいた。みれば一人が武器を支えて、片腕の人間が抜こうとしている。
絶対に届かない位置にいる人間に、マザーは何度も無視してしまおう、さっさと自分を斬り付けた人間を貫いて、その血を浴びたい。食らいつきたい。と考えたが、本能が鳴らす警鐘は一向に鳴りやまなかった。むしろ強くなっている。
じっとマザーと視線を合わせながら、カナタは桜花を抜いた。
「飛燕っ!」
人間が何かを叫び武器を抜いた。その瞬間、背筋に寒気が走った。マザーは、訳が分からないまま本能に従った。すなわち弱点である延髄の感染体を守る姿勢を取った。
もうほとんど復活している右手と左手を眼前でクロスさせる。
「キヤヤヤアアアァァ!」
マザーの両腕が肘から先を切り飛ばされていた。しかし、防御してなお鳴り響く本能の警鐘に、上半身は後ろに倒れこむようにして、カナタの一撃を避けた。マザーが痛みと驚愕で長い叫び声を上げる。
慌てて目を向けると、片腕の人間は刀を振り抜い状態でそこにいた。寄り添うように立っている人間と二人で。
怒りと驚愕がマザーの思考を真っ赤に染めていた。それでも冷静に周りを見回したが、もう近くには誰もいない。自分の首を貫いた人間は、倒れたまま起き上がってもいない。鉄の板きれで自分を殴ってきた人間も少し離れた所で地面に転がっている。
最初に攻撃してきた人間の武器は今も自分の右目と蜘蛛型の当胸部に刺さったままだ。
もう誰も自分の邪魔をする者はいない。あとは遠くで呼び寄せた子達と戦っている者達だけだ。
マザーは、怒りに染まった思考のまま、身を起こした。今度こそあそこで倒れている人間を刺し貫ける。そう考えながら……。
怒りのために、平常心を失っているとは考えていない。今も本能の警鐘は鳴り続けているのに、自分を傷つけた人間に報復できることで頭がいっぱいになっていた。
「はっ!」
「キ…………」
身を起こしたマザーの目に映ったのは、重い雲に覆われた空。そして壊れかけた建物。……最後に瓦礫が散らばる地面。それを最後に、マザーの意識は急速に闇に沈んでいった。声を出そうと口を大きく開けたまま、マザーの目から光が消えていった。
最後まで、自分の身に起きた事を理解できないまま……。
蜘蛛の体もマザーの意識の消失と共に、動きを止めた。振り上げていた腕は地面に落ち、他の脚も折りたたまれ、その巨大な身は地面に沈んだ。
「ぷはあっ!はぁはぁ……。うまく、いったのか?」
溜めていた息を吐きだしながら、カナタが動かなくなったマザーを見る。蜘蛛型の背中からぴょんと跳んで、降りる花音の姿があった。
◆◆◆◆
カナタさんが、私の頭をぽんぽんと軽く撫でてから走って行った。私は、自分の頭に手をやって少しの間余韻に浸る。
そして、カナタさんが足を止めた所に、すかさずゆずさんが走りこんできた。カナタさんも当たり前のようにゆずさんに桜花を任せている。
それを見てから私は、ようやくスタートを切った。皆さんがつないでくれたチャンスをものにするために……
カナタとゆずが放った奥義「飛燕」の飛ぶ斬撃は、防御姿勢に入ったマザーの両腕をやすやすと切り飛ばした。そのまま弱点の延髄ごと、首を切り飛ばす勢いだった。
しかしマザーの本能はぎりぎりでそれをも避けて見せた。後ろに倒れこんだマザーの鼻先を斬撃は通り抜けていった。
それで、勝利を確信したのか笑みすら浮かべて、マザーはゆっくりとその身を起こす。
「やあああああぁぁぁ!」
クラウチングスタートの姿勢から、矢が放たれたように飛び出した花音は一直線にマザーに迫った。これまで仲間たちが倒れても危険が迫っても、動かずずっと力を溜めていた。
今、マザーは花音の存在に気付いていない。みんなが……それぞれがやるべき事をやって作り出した機会。チャンスは一度きり。
このマザーは驚異的な速度で学習している。一度見た奇襲は二度と通じないと思っていい。
花音が倒れているハルカのそばを駆け抜けた時、微かに聞こえた。
「花音ちゃん……おねがい」
ハルカさんの声。飛燕を放ったばかりのカナタさん達のそばを通るとき、ゆずさんがすれ違いざまに背中を軽く叩いた。
「私の分までぶっとばして」
そんなゆずさんの声が聞こえた気がした。カナタさんは何も言わず、目があっただけだった。……カナタさんからは、頭を撫でてもらったから。
「花音ちゃん!」
そして、マザーの手前でヒナタさんがバレーのレシーブをするような構えで待っている。ヒナタさんの後ろにはその体を支えているダイゴさんがいる。
私は速度を落とさず、ヒナタさんに向かって跳躍した。そして、ヒナタさんの手に足を乗せる。
「いっけえええぇ!」
ヒナタさんとダイゴさんの声が重なり、私を力強く空中に舞い上がらせた。体を起こそうとしているマザーの少し上まで飛び上がった私は、構える。
「一撃で……決める。」
これは私一人の力じゃない。皆さんの力が合わさった一撃だ。絶対に外せない。落下しだした私が着地しようとしているのは蜘蛛型の背中、マザーの本体の右斜め。
ヒナタさんの「梅雪」がつぶした右目の死角。
「ふううぅぅ」
ゆっくり息を吐きながら、居合の構えを取る。頭の中で、以前カナタさんが見せてくれたきれいな居合の形を思い浮かべる。
そして、マザーが上体を起こしてしまうのと同時に私は着地した。マザーは私に気付いていない。
「ふっ!」
鋭く息をはいて、私は抜刀した。
しゃん!
鞘鳴りの音が鳴る。残心の姿勢のまま動きを止めた私の横で、マザーの体からゆっくりと首が転がって落ちていった。
それを認めてから、血ぶりをするように刀を一度振って鞘に納める。そこでやっと自分の手が震えている事に気付いた。気づいた瞬間、膝にも力が入らなくなってその場に座り込んでしまった。
「そだよね。よく頑張ったよ」
全て終わるまで、頑張ってくれた自分の体にいたわりの言葉をかける。
「さすがにここじゃゆっくりできないかな……もちょっと頑張ってね?」
花音がぽんぽんと自分の膝をたたくと、膝の震えがだいぶ落ち着いた気がする。本体を倒したとはいえ、巨大蜘蛛の上でゆっくりしたくない。花音は、カナタ達が待っている所まで走りだした。




