13-6
……いけない!
ゆずが見た時、ヒナタはマザーの脚を深く切り裂いていた。その分マザーの懐に入り込んだヒナタを、すでに別の脚が狙っている。
「くっ!」
無意識のうちに、ゆずはM-4の引き金を引いていた。ヒナタを狙っている脚に向かって。
タ…………
しかし、M-4は沈黙した。ゆず痛恨の弾切れである。普段はきっちりと残弾のマネジメントをしているゆずだったが、平静さを欠いている今、それができていなかった。
「あ……」
マガジンを入れ替える暇などない。ヒナタも後ろに跳んで、避けようとはしたがほんの少し……かするように当たっただけでヒナタの体は真横に飛んで行った。
――もうヒナタはだめかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。が、それを振り払った。早いか遅いかの違いでしかない。すぐにそう考えたゆずは、空のマガジンを落として、新たなマガジンをとろうと腰のマガジンポーチに手を伸ばした。
「ふう……」
思わず息が漏れた。ここまで残弾の管理が出来ていなかったとは……。もう伸ばしたゆずの手に、M-4のマガジンが触れる事はなかった。
すでにマガジンポーチに入っている弾薬は使い切っていたのだ。
吹き飛ばされヒナタから視線をマザーに戻した時、ゆずの前にもマザーの脚が迫っていた。
ガキン!
咄嗟に爪と自分の体の間に、持っていたライフルを差し込んだ。そのおかげでマザーの黒角質の爪に貫かれる事こそなかったが、その勢いだけでゆずの体は吹き飛ばされた。
まるでさっきのヒナタみたいだ……。
他人事のように考えながら、ゆずもアスファルトの地面に激しく叩きつけられた。二度、三度と跳ねてゆずの体は止まる。その近くには、マザーの攻撃を受けたM-4が、ほとんど真っ二つになってアスファルトに転がった。
もう全く力が入らない。指一本すら動かせないゆずの視線の先には、倒れ伏したヒナタとその先に山になった瓦礫があった。
「カナタ君……」
薄れゆく意識のなかで、ゆずはそれだけを呟いた。
「ヒナタお姉ちゃん……ゆずお姉ちゃん……」
思わず花音がその名を呟いた。いつも頼りになって、優しく周りを包んでくれた二人の姉のような少女は、その体を地面に横たえている。ハルカが必死に呼びかけているが、気を失っているのか、あるいは戦意すら失ってしまったのか、二人とも動く気配はない。
二人とも大の大人を手玉にとるくらい強いのに、マザーには全く歯が立たなかった。二人が勝てないのに、自分なんかが立ち向かえるはずがない。
知らぬ間に、花音の膝は震えてその場から動くことさえ難しくなっていた。それを自覚した花音はそっと目を閉じた。今まで生きて来てたくさんの人の死を見てきた。両親を含め、花音の家族や知り合いは感染者や略奪者によって命を奪われていた。ここはそんな世界なんだ……
――カナタさん達に会えて、幸運にも今まで生き長らえてきたけど……とうとう私の番が来たみたい。
「花音ちゃん!」
ハルカの悲痛な声が聞こえたが、花音はもう動けなかった。
ハルカは動けないヒナタとゆずを見だ後に、その後ろに立っていた花音のそんな様子を見ていたが、どうにもできなかった。マザーが呼んだ感染者たちもすぐ近くまで迫ってきている。
「嘘でしょ……」
呟きながら後ろに下がると、背中が何かに当たった。ダイゴがハルカと同じ方向を見て、唇を噛んでいた。ダイゴも無力感に打ちのめされていた。迫る感染者……倒れて動かないゆずとひなた。その後ろには、立ち上がる事も出来なくなった花音。
そばでは喰代博士がスバルを何とか治療しようとしているが、いまからスバルが動いても……
ダイゴの後ろにはアスカと由良がお互いに抱き着くようにして立っている。その顔からは、もう抗う気力は感じられない。
「もう、ダメなの?」
「しっかり、由良!諦めたらだめ!」
アスカが必死に由良を励ましているが、そのアスカの顔が真っ青になって、体も小刻みに震えているのがわかる。
ハルカの脳裏に全滅の二文字が浮かぶ。
守備隊にいれば部隊が全滅する事はそう珍しい事ではない。油断して感染者にやられてしまったり、動き方を間違えて大量の感染者に囲まれたり……。
マザーのようなイレギュラーな個体に遭遇してしまったり。十一番隊よりずっと装備も充実していて、実戦経験豊かな部隊が、都市に帰ってこれなかった事例はこれまでにいくつもある。
今の現状は、とうとうハルカからも抵抗する気力を奪ってしまおうとしていた。ハルカの体が小刻みに震え、頬には涙が伝う……。
「カナタ……」
ハルカは小さく呟いた。ハルカの視線の先では、倒れているゆずとヒナタに対してマザーが脚を振り上げていた。二本の脚を高々と上げたマザーが、まるで勝ち名乗りを上げている勝者に見えた……。
「キイィィィイイ!」
はさみのような上顎を動かしながらマザーが鳴き声を上げた。そして振り上げた二本の脚を振り下ろす。
ドゴォ!という音と地面に伝わる振動。近くにいた花音はその音に思わず閉じていた目をあけた。すると、すぐそこに来ていたはずのマザーのの姿がさっきより遠くなっていて、そのマザーを押すようにしてきる宿儺の背中があった。
「え……?」
瓦礫に押しつぶされたはずの宿儺がマザーに体ごとぶつかって押しているのを見て、ぽつりと声を出した花音の耳にに、ざっざっと地面を歩く音が近づいてきた。
震える花音が振り返るより先に、その頭に優しく暖かいものがそっと置かれた。
その感触は、花音にはとても身に覚えのあるものだった。暖かくて、少し遠慮がちな触り方。
花音は胸がキュッと締め付けられて、その場にしゃがんでしまいそうになった。
「……!」
ゆっくりと視線を上げる花音の視界に、優しく微笑むカナタの顔が見えた。
「カナタ、さん……」
カナタの顔はすぐに滲んで、よく見えなくなったが、頭に置かれた温かい手の感触に、これが幻ではないと言うことはわかる。
「ごめん花音ちゃん。心配かけた。」
そう言ってカナタはいつぞやのように、花音の頭をぽんぽんと叩いて、歩き出した。少し先では驚きの余り、口をあけたままカナタを見るハルカがいて、思わずカナタは苦笑した。
見ればダイゴも、その後ろのアスカと由良もぽかんとしているし、ゆずとヒナタは地面に倒れたまま動かない。
控えめに言っても状況は最悪だ。全滅一歩手前と言っても過言じゃない。
「こうなったのは俺のせいでもあるしな……。」
呟いたカナタが、奥歯をグッと噛み締める。強すぎたのか、口の中に鉄の味が広がるがこんなものは何でもない。
素早く戦場の状況を見てとったカナタは、今を凌ぐために頭をフル回転させる。そして腹に力を入れて声を出した。
「ダイゴ!ハルカと一緒に宿儺が動きやすいように援護してやってくれ!アスカ、由良はそのダイゴ達の援護だ!」
カナタがそう叫ぶと、ぽかんとしていた顔にみるみる喜色がさしてくる。
「わ、分かった、任せて!ダイゴ君、背中をお願い」
「うん!」
我に返ったように動き出したハルカとダイゴを見て、慌ててその後ろにいたアスカ達も動き出した。
「うそ、お兄ちゃん?」
声を聞いてヒナタは顔を上げて呟いた。震える膝を叱咤しながら何とか立ちあがろうとしている。その後ろでは、上半身を起こしたゆずが、しきりに顔をこすっている。
「ヒナタ、ゆず!大丈夫か?動けないなら……」
今行くから、そう言おうとしたが、ゆずが立ち上がって憮然とした顔でヒナタに腕を伸ばした。
「ゆずちゃん……」
「全く信じられない。無事なら無事と言うべき!何、今まで寝てた?」
ヒナタを助け起こしながら、ゆずがカナタを睨むようにしてそう言った。
「悪かったよ。俺だってさっきまで気を失っていたんだって!……宿儺が、いや……美鈴ちゃんだっけか。かばってくれてたんだよ。自分の身を盾にして」
カナタが言うには、倒れたカナタの上から被さるようにして、瓦礫などからカナタを守ったのだと言う。
カナタの言葉を聞いて、ゆずもヒナタも思わず、マザーを抑えてる宿儺を見た。
ここからでは背中しか見えないが、背中のあちこちに出血の跡がある。
カナタより宿儺の方が小柄だが、頭や胴体など大事な部分身を挺してを庇ってくれたおかげで、カナタには大きな傷もない。
「そっか……でも、よかった」
ヒナタが目の端の涙を拭いながら言った。カナタも心配をかけた自覚はあるので、ヒナタに近寄って花音にしたのと同じようにそっと頭に手を置いた。
そこで気づく。いつもならヒナタの後ろに並ぶゆずが、少し離れた所で違う所を見ている。
……これは怒ってるな。とカナタは苦笑いを浮かべるのだった。




