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【BIO DEFENSE】 ~終わった世界に作られた都市~  作者: こばん
2-1.再会

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13-3

宿儺が絢香の顔があった場所を両手で抑えながら、ふらふらと後ずさる。喰代博士が、階の残した献体から作った、人の手に寄る感染者に効くという弾丸。

 今しがた、ゆずがライフルに込めて宿儺を撃った弾だ。


「!!!……」


 宿儺は絢香の面がなくなり、声を発する事もできなくなったのか、うめくような音を出すばかりだ。



 そこにいる全員が宿儺から目を離せないでいた。恐ろしい相手である事は間違いない。しかし恐ろしさと同じくらい、いやそれ以上に悲しみの塊でもある。


 さっきまでの激戦が嘘のような静けさが辺りを包む。どうした事か周りにいるはずの感染者も今は姿を見せない。誰も声も出せない中、宿儺のうめき声と身をよじる音だけが、誰も住む者のいなくなった街の建物に反響していた。



「……カナタ。お願い」


 ぽつりとつぶやいた声は、ハルカ。今にも泣きそうな目で宿儺を見つめている。


 「可哀そうな子達……。そこに在るだけでも苦痛のはずなのに、これ以上苦しむのを見てられないわ……」


 そう言ってカナタを見たヒナタの揺れる瞳から、一粒のしずくが地面に落ちた。カナタは頷いて宿儺に向かって近づこうとしたが、思い立ったように立ち止まり、手に持つ「桜花」をくるりと回して、柄の部分をハルカに差し出した。


 カナタはきっとハルカなら自分の手で、美鈴と絢香を苦しみの呪縛から解き放ってやりたい。そう考えるだろうと思ったのだ。

 しかし、ハルカの持つ「晴香」は名刀の域にある刀だが、感染者に効果があると言うわけではない。それゆえに「桜花」を持つカナタに頼んだにすぎない。そう考えていた。


 実際、カナタから「桜花」の柄を差し出されて、ハルカは震えながら手を伸ばした。


 しかし、ハルカの手が「桜花」に触れる事はなかった。


「私じゃ、きっとうまく扱えない。それはあの子達に無駄な苦しみを与えてしまうもの……だから、お願い、カナタ」


 懇願するようなハルカの目を見たカナタは、もう何も言わなかった。しっかりと「桜花」の柄を握り、今も苦しみ悶えている宿儺に向かって走り出した。


 何があったのかも分からないくらい、一気に……斬る。


 この時、カナタの気持ちは宿儺にだけ向いていた。目の前の哀れな存在を一刻も早く、苦しみから解放してやりたい。そう思ったのはハルカの目を見たせいでもある。

 ハルカも同じ思いを強く願っているのがすぐに分かったから……カナタは、鞘はないが居合の構えを取った。


 己の持つ最高で、苦しみを断ち切る。それだけを考えて。しかし……それが仇になってしまった。


 居合の構えのまま、滑るように宿儺との間合いを詰めたカナタが、溜めていた力を解放しようとした時、激しい衝撃が襲った。



 カナタが宿儺に向かって走るのを、祈るような気持ちでハルカは見ていた。美鈴ちゃん達を救う役目を譲ろうとしてくれたことは本当に嬉しかった。

 ハルカもできれば自分の手で美鈴たちを救ってやりたかったが、「桜花」になれているカナタにお願いした。

 ……カナタになら任せられる。そう思ったからだ。


「二人をお願い……カナタ」


 ハルカがぽつりと呟いた。カナタが宿儺に肉薄した。その時、不吉な音がそれまでの静寂を無遠慮に破ってきた。


 ドゴン!ドゴン!


 遠くから聞こえたその音は、雷鳴かと思っていた。しかし近くで聞いてそれは雷鳴などではなく、もっと直接的な……破壊の音だった。


 カナタは宿儺への一撃に集中しているのか、その音に気付いている様子はない。今にも腰に構えた「桜花」を振り抜こうとしている。


「カナタ!」


 ハルカのその叫びをかき消すように、北側の建物が激しく崩壊した。


 破壊された建物から見えたのは、節足動物に酷似した脚。……蜘蛛型のマザーが建物を突き破ってその姿を現した。強力な黒角質の爪が、コンクリートの建物をまるで積み木でも崩すように周囲に瓦礫をまき散らした。


「ぐわっ!」


 くぐもったカナタの声が聞こえ、慌てて見ると……マザーが弾き飛ばした瓦礫が、偶然飛んできたものか、それすらもマザーの狙いだったのか……。


 マザーの脚によって破壊された、建物の一部はカナタと宿儺を直撃した。カナタは、宿儺を一撃で楽にしてやろうと極限まで集中していた事が仇となり、飛んでくる瓦礫に反応が遅れてしまったのだ。


「お兄ちゃん!」


「カナタ!」


 近くにいたヒナタは両手で口を押さえて悲鳴を上げ、スバルが急いで駆け寄っている。それを見てハルカはマザーに向き合った。マザーはすぐに動きそうな気配はなかったが、万が一にもヒナタ達の方に行かせる訳にはいかない。


「どうしてこっちに来たの……。あなたのテリトリーはもっと北でしょう?」


 そう問いかけるが、もちろん答えはない。マザーの八つの目は傾いた陽光を受けて怪しく光っていた。周囲には破壊の際の粉塵がまだ立ち込めている。


 ダーン!


 そこへ、ゆずのへカートⅡの音が響き、マザーの濃灰色の頭胸部の中ほどに穴を穿った。


「キィィィィ!」


 マザーの、鎌の形をした上顎が鋏のように動き、そこから鳴き声のような音を発しながら前の脚を高々と上げてもがいている。


 ただ、かなり大型の姿をしているので、もがいて動くだけでも周囲の建造物を破壊し、叩きつけられた前脚はアスファルトごと土砂を巻き上げている。かなり危険な状態だ。


 ハルカはいち早く離れて、その隙にカナタの様子を窺った。


「っ!」


 ハルカが息を飲む。


 カナタと宿儺が立っていたところは、マザーが壊した建造物の破片が地面をえぐりながら止まっていた。基礎か梁の部分だったのか、ブロックの破片と分厚いコンクリートが積み重なっている。そのがれきの下から、少なくない量の血が流れ出ているのが見えた。

 

 人力ではどうしようもなく、助けに走ったヒナタやスバルもその前で立ち尽くしているのが見える。花音は力が抜けたように膝をついてしまっている。傍らには手放してしまったのか、刀剣美術館で譲り受けた無銘の刀が転がっている。


 ――うそでしょ……。ここであなたに死なれたら……。


 ハルカもカナタに対してはっきりとは自覚していないが、恋心らしきものを抱いている。当然カナタの安否は気になるし、無事でいてほしいと痛烈に願っている。

 しかし、今は戦闘中であるという事がハルカの私心を抑えた。ただでさえ隊長であるカナタがリタイヤすれば士気が落ちるのは今の状況を見れば明らかすぎる。


「ダイゴ君!なんとかならない?」


 ハルカは唯一何とかできそうな人物に声をかけた。今のままでは全滅は必至だ、カナタの救出を急がないとヒナタはもちろん、もしかしたらゆずにまで影響があるかもしれない。たとえ無事な姿でなかったとしても、息さえあれば、カナタを守ろうと奮起できるはずだ。

 あってほしくないが、カナタが死んでいたとしても、怒りを胸に戦ってくれるかもしれない。だいぶ希望的観測の上に立っているが……。

  

 厳しく残酷な事だが、ヒナタにも花音にも戦ってもらわなければ、この場を潜り抜けるのは無理だ。それにはどっちつかずの今の状況が一番よくない。


「やっと美鈴ちゃん達が安らかになれそうだったのに……」


 ぎりっと奥歯を噛んで、あのタイミングで姿を見せたマザーを睨む。何が原因でルートを外れ、ここに来たのか分からないが、せめてもう少し違うタイミングで現れたのなら、カナタがこんな事になるなんてことにはならなかっただろう。


「ハルカちゃんだめだ!とても動かせない。重機でもないことには……」


 背後から聞こえてきたダイゴの声に、ハルカもくじけそうになる。それを何とか押し留めているのは、カナタ不在の時には順番的にハルカが指揮を取らないといけないからだ。


 ――だめ、私がしっかりしないと……こんなところで皆を死なせるわけには!


 溢れそうになっていた涙を乱暴に拭うと、ハルカはマザーを見据えた。ゆずの狙撃によってできていた頭胸部の傷からは緑色の液体が流れていて、治癒しているようには見えない。

 きっとゆずは喰代博士が準備した新型弾を使って狙撃したのだろう。


 ――ゆずちゃんは……

 大丈夫だろうか。そう思ったハルカは、そっと薬局の屋上を振り返る。


「ああ……」


 ハルカはそれを見た瞬間、悲嘆の声が口から出るのを我慢できなかった。

 ハルカの視線の先……薬局の屋上には、沈み始めている太陽を背に、右腕にへカートⅡらしきライフルをぶら下げて、呆然と立ち尽くしているゆずの姿が見えた。身を隠すでもなく、ただ立っている。狙撃手としてはあるまじき行為で、普段のゆずならば絶対にしない。


「ゆずちゃんも……だめか。」


 涙がこぼれそうになるのを必死にこらえていると、怒声が聞こえてきた。

 

「ちっくしょおおお!」


 スバルが太い鉄筋のような物を手に、蜘蛛型に向かって走っていった。


「スバル君!」


 ダイゴはそれを止めようと手を伸ばしていたが、間に合わなかった。


 流れる涙もぬぐわずにマザーに接近したスバルは、ただ力任せに鉄筋を振り回している。


「だめ、スバル君!冷静に」


 そう叫んだハルカの声も届いていそうにない。スバルの攻撃は、マザーが狙撃のダメージがあったためか、最初の数回は比較的柔らかい脚の上部に当たっていたが、マザーはすぐに立ち直って、防御してきた。

 やみくもに振り回しているスバルの攻撃は、マザーの黒角質の爪によってすべて防がれている。


 むしろ、すぐに他の脚と連携を取って動き出し、スバルは攻撃するよりも何とかかわす事で一杯になっている。


「このままじゃ……」


 ハルカはきつく唇を噛んだ。今の自分では、動揺して統制の取れてない十一番隊をまとめて動かすことなど無理だ。


「……助けてよ、カナタ……」


 力なく呟かれたハルカの言葉に答える者はなく、悲嘆と破壊が支配するこの空間に消えて行った。

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