13-1 マザーと両面宿儺
蜘蛛型の脚が建物を貫通して、いとも容易く壁を破壊する。
感染者相手にはなんとか戦えるが、蜘蛛型には今の人員と装備では傷一つつける事もできない。
かろうじて、「桜花」なら斬る事ができるかもしれないのだが、それは蜘蛛型がさせない。
「桜花」に対しては、徹底的な防御体勢をとってくるのだ。攻めあぐねている間に、まるで指示されたように感染者がカナタに群がる。
その場に押し留める事もできず、カナタ達は押されて場所を移動させられていた。
「このままじゃどうにもならねー。カナタ、一か八か胴体に……」
近くに来た感染者を、すでに切れ味の落ちている支給刀で叩く様にして斬ったスバルがカナタを振り返って言う。
「ダメだ!一か八かでダメだったら、もう取り返しがつかない」
カナタも感染者の足を斬りつけて、後続の邪魔になる様にその場に転がす。
すでに、蜘蛛型と遭遇した場所からかなりの距離を移動させられている。
すでに自分たちがどの辺にいるのかもよくわかっていない。
「でもよ!」
なおも言い募ろうとするスバルを、カナタは視線で制した。
スバルが言いたい事もわかる。そっとカナタが背後に視線をやると、自分の肩を抱いてガタガタと震えている由良と、それを必死で庇っているアスカの姿があった。
蜘蛛型と遭遇して、圧倒的な力を見せられて、さらに果てが見えないほど押し寄せる感染者。
新人の心を折るのに十分すぎるものだ。
今は由良を庇って張り詰めているアスカの気持ちも、いつ折れてもおかしくない。
そうなればきっと……。
「カナタくんの言うとおりだよ。今一人でも犠牲者を出したら総崩れになりかねない」
そこに、ここでは聞くはずのない声が聞こえた。それと同時に、カナタ達の頭上を何かが飛んでいって、地面に当たるとカシャン!と割れた音が聞こえた。
「喰代博士!こんなとこに、どうやって?」
「桜花」を大きく振るいながら、声の主にそう言った。
「気づいていないのかい?ここはハルカくん達が戦っている場所からそう離れていないよ」
見ると、屋根の上に座って喰代博士がこっちを見ているのがわかった。
喰代はカナタ達にそう言うと、博士は白衣のポケットから何かを取り出して火をつけた。小型のアルコールランプのような物に見える。
「蜘蛛型……虫なんだから効いておくれよ」
そう呟いた博士が、もう一度感染者達の方に向かって火のついたそれを投げた。
ランプはオレンジ色の光を発しながら、放物線を描いて感染者達の中に落ちた。
ゴウ!
「うお!」
凄まじい音と勢いで、カナタ達の目の前に炎が巻き起こり、カナタ達は思わず顔を覆って後ろに下がる。
「キシャアァア!」
声か音か、わからないが、蜘蛛型が前の脚を上げてもがく様に動くと、素早く後ろに下がった。その周りの感染者達も燃え盛る炎にジリジリと後退りしている。
「よかった……火は苦手のようだね。今のうちだカナタくん、あのマザーも強敵みたいだし、宿儺も予想以上に手強いみたいだ。部隊を分けていては勝てないよ。ここは退こう!体勢を立て直さないと、全滅もあり得る」
喰代博士が、最初に投げたのは何か可燃性の液体だったようだ。次に投げた火のついたもので引火して、小道を覆う様に炎が広がっている。
「急いで!あの火もそう長くは燃えてくれない」
焦った口調でそう言われて、カナタは仲間を見渡した。みんな先に降っていた雨に、汗と土で汚れてしまって、元の服装の色合いもわからなくなっていた。
特に常に前列で感染者の気を引く様に動いていたスバルは疲労の色が濃く、気持ちが折れてしまった由良を庇っているアスカも、今は由良を庇っているから気が張っているが、本人も限界を迎えているのは見てわかる。
「……撤退。今は退こう」
唇を噛みながら、そう言ったカナタの指示に反対の声は一つも上がらなかった。
◆◆ ◆◆
炎が消えないうちにと、振り返りもせず全力でその場を離れたカナタ達が小道を抜けると、破壊によって出来たトンネルに出た。
「ここは……宿儺が通って来た道か?」
宿儺によって作られたトンネルはまっすぐ伸びており、この先に宿儺がいることを示している。
「こっちだ、裏から回れる」
そう言う喰代博士の言う事に従って進んでいると、カナタ達が誘導作戦に使った小道をよりも、さらに狭い道が表の通りと平行に伸びている。
「ハルカくん達も、なんとか善戦してるけど……いつ崩壊してもおかしくない。決断が必要だと思う」
喰代博士は、一瞬だけカナタをじっと見つめるとそう言って走り出した。
そのまま博士の後に続いてしばらく走ると、博士は一軒の雑居ビルの中に入った。ここで感染者が暴れたのか、ビルのテナントの店名を入れられるボードは割れて、乾いた血の跡がある。
もはや見慣れてしまった光景を横目に、博士に続いてビルの中に入った。
「カナタくん!」
博士の案内に従って階段を登ると屋上に出て、そこにはゆずがいて、カナタを見ると走り寄って来た。
「ゆず!戦況は?」
屋上は階段室以外は何もなく、周りは簡素なフェンスが張ってあるだけだ。カナタはフェンスの所まで走って、周りを見渡しながらゆずに状況を聞く。
「あそこ。ヒナタと花音はもう疲れて動きが鈍くなってる。ハルカさんがなんとかもたせてる」
ゆずが指し示す方を見ると、ハルカが宿儺の進行方向を塞ぐように位置取って、足止めしている。
宿儺の左右にはヒナタと花音がいるが、遠目にもその動きが精彩を欠いているのがわかる。
「カナタくん、このままだと宿儺を止めるどころか、ヒナタ達が危険。あの弾を使う許可を」
真剣な表情でカナタを見てゆずが言う。あの弾というのは喰代博士が作った対人工感染者の弾丸の事だ。
博士からもらった分、全部ゆずに渡してあるが使用はカナタが許可した時だけと決めてある。
なにしろ、博士曰く「効果はあると思う。ただどうなるかはわからない」という代物だからだ。
即興で作った物だから仕方ない。ゆずの顔と、戦場を交互に見ながらカナタはもう迷う事もなかった。
「わかった、ゆずの判断に任せる。俺たちはハルカ達の所に援護に行くから、隙を見て撃ち込んでくれ。ただしっかり様子を見てくれよ?」
カナタがそう言うと、ゆずはしっかりと頷き言った。
「任せて」
短いが、力強い言葉に、カナタも頷くとフェンスを超えて隣の屋根に飛び移った。
「スバル!まだ行けるか?」
「当たり前だろ。行けなくても行くさ!」
言うが早いか、スバルはもうフェンスに足をかけている。
「隊長……その、我々は」
由良に肩を貸しながら、言いにくそうに話しだしたアスカの言葉を遮って、カナタが指示を出す。
「アスカは由良とゆずの護衛。由良は無理をしないで、戦えると自信を持って言えるまで休息だ。アスカ、悪いが由良の面倒も見てやってくれ」
カナタがそう言うと、アスカは安心したのか微笑みを浮かべながら頷いた。ここにくるまでに由良を庇ってアスカはかなり無理をしていた。今は気丈に振る舞って入るが、本人も限界と自覚しているはずだ。由良の事もあり、無理について来いと言われるのを恐れていたに違いない。
それに頷き返しながら、だいぶ打ち解けてきた様子のアスカ達にカナタも少し安堵していた。
出会ったばかりの頃は、自分たちが先頭に立って盾がわりに使われると信じて疑ってなかったのだから、休みたいと言う意思を示してくれるようになって本当によかったと思う。
「先にいくぞ!」
そうしている間にもスバルはもう隣の家の屋根に飛び移っている。カナタも後を追って大きく跳躍した。




