12-9
蜘蛛型マザー。
巨大な蜘蛛の形をしたマザーは、カナタ達を威嚇する様に、前の二本の脚を大きく上げていた。
爪の様な硬質な先端部分は、「桜花」でも斬れないほど硬く、他の部位を斬ろうとしても見えている四本の脚同士で連携をとってくる。
「くっそ……なんでマザーがここに来てるんだよ」
汗を拭いながらスバルが忌々しげに言う。
カナタ達は休息した薬局を基点に、北東に向かって感染者達を誘導していた。それは小道が多く誘導し易そうだったからというのもあるが、宿儺とも蜘蛛型のマザーとも距離を取れるというのが一番の理由だった。
宿儺は薬局の東側から向かって来ているし、マザーは北側で巣を作って感染者を生み出していた筈だ。
「……逃げるって言っても、な。」
カナタはそう呟いて、マザーの脚を睨む。
この場を逃げるのはいいが、そうなるとせっかく誘導して来た感染者達も、宿儺に向かって移動を始めるだろう。
これまでの苦労は水の泡だし、ハルカ達のグループが宿儺と感染者の挟撃にあう事になる。
それだけは絶対避けないといけないのだが……
不気味に動いている脚は、四本。つまり片側しか見えていない。
それでも前後4mほどの大きさがある。
「大きさだけでも驚異なのに,動きも速いんだろうな……」
背中に冷たい汗が流れるのを感じながら呟いた。
今まで見たマザーは、動きが鈍重か、明石大橋の様に動けないか。
機動力だけは人間側が優っていたのだが、もし目の前のマザーが普通の蜘蛛並みに動けるなら……
カナタは首を振って嫌な考えを頭から追い出す。結局できる事をできるだけやるしかない。
『ゆず!少し想定外の事が起こった。そっちの状況はどうなってる?』
カナタがインカムのボタンを押しながらゆずに問いかける。するとしばらくしてゆずから答えが返ってきた。
『カナタくん。こっちもいっぱいいっぱい。助けに行くのは無理』
きっぱりとそう言われ、カナタは思わず苦笑いになる。
『助けは求めてないさ。そっちの状況は?』
カナタの問いにゆずは答えた。それは聞いたカナタが思わず拳を握りしめてしまうような内容だった。
◆◆◆◆
カナタ達の方に蜘蛛型マザーが現れる少し前ぐらい。ハルカ達は攻めあぐねて宿儺の前進を止める事も出来ないでいた。
少し前から宿儺の動きが少しずつだがよくなっている。三人がかりで斬りかかるが、すべて硬質化している腕で阻まれている。
「はぁ……もう、固い腕が四本ってずるいよ」
肩で息をしながらヒナタがこぼした。円運動を多用して舞うように斬り付けるヒナタの技は、見た目も美しく相手からも捉えられにくいが、消耗は激しい。
今もヒナタは息絶え絶えの状態で、何とか呼吸を落ち着かせようとしている。
同じく花音も息を切らしていた。
こちらは十一番隊のみんなの剣技を真似して、その天性の才でそれなりに自分のものにしているものの、きちんと訓練したものではないし、何より体が出来上がっていない。長い時間継続しての戦闘で、基礎的な部分が弱点となって露出していた。
地道に鍛錬して見に付く持久力に大きくかけていたのである。
唯一幼少の頃から真面目に鍛錬を積み、祖父から技を叩きこまれているハルカと、隙を見て狙撃してくるゆずでなんとかもっている状態だった。
ゆずの視線の先で、ハルカが強烈な突きを放ち、さっと飛び退る。それに合わせてゆずが引き金を引いた。
ダーン!
重い反動がゆずの体を通り抜けて行く。伏せて撃っているので飛ばされたりはしないが、撃つたびに来る、容赦のない衝撃で、ゆずの疲労もどんどん蓄積されている。
空になったマガジンを外して、新たなマガジンを叩きこんでボルトハンドルを引いて初弾を送り込む。その間にもハルカが連続で刀を振るっている。
「く……どこに撃っても効果がない気がする」
もう肉眼でも確認できるくらいの距離まで来ている宿儺を見る。
今もハルカが斬り付けているが、宿儺は腕だけを動かして弾いている。ゆずの弾も普通なら急所と呼ばれるところにばかり着弾させているのだが、へカートの威力で一瞬だけ揺らぐが後退させる事も出来なくなっている。
「カナタくん、どうする……このままじゃ」
ゆずがそう言って唇を噛んだ。少しだけ鉄の味がした。
◆◆◆◆
ハルカ達のほうも苦戦している事をインカムを通して聞いたカナタ達は一様に暗い表情になっていた。第一目標は宿儺であって蜘蛛型マザーではない。自分達がここでいくら命をすり減らして戦っても、それは本来の勝利条件を満たすものじゃない。
「こっちは誘導だけできればいのに、なんだってマザーがやってくるんだ!」
マザーが姿を現した瞬間、それまで決まったラインまでしか寄ってこなかった感染者たちも、関係なく迫ってくるようになった。
「くっ!……この感染者たちはマザーから離れる事ができなかったんですね。だからマザーがここまで来た今は自由に動ける、はっ!」
迫る感染者を斬り付け、その隙に近寄ってきた別の個体を蹴り付けてアスカは距離を稼ぎながらそう言った。これまで決まった個所を越えると引き返していたのは、マザーと離れる事ができないコロニーの感染者ならではの習性だったのだろう。
それも、マザーがすぐ近くに来てしまったことで何の役にも立たない情報になってしまっているが……。
キン!
「あっ!」
何度目か、勢いよく斬りかかったスバルの斬撃を、横から伸びてきた別の脚が防いだ。それまで何度も硬い脚に力任せに斬り付けていたスバルの支給刀は限界を迎えてしまったのだろう。
甲高い音を立てて真っ二つに折れてしまった。
「くそ、こっちは折れるくらい頑張ってるのに、傷一つついてねぇ……。カナタ、これは少しやばいんじゃないか?」
荷物を置いていある所まで大きく下がって、スバルは替えの刃が入っている筒に手を入れて、次に逆さまにして振ったが筒からはもう何も出てこなかった。
「……替え刃が、もうねぇ」
そう言うとスバルは手に持った筒を近くまで来ていた感染者に投げつけた。
「スバル、俺の替え刃を使え!」
スバルの様子を見ていたカナタがそう叫んだ。基本「桜花」しか使わないカナタは、替え刃をほとんど消費しない。
しかし、スバルは立ち尽くしたままカナタの方を見るばかりだ。
「スバル?」
目の前に迫った感染者の首に刀を突きさしたカナタが、その感染者に足を掛けて蹴飛ばしながら、動かないスバルに声をかけた。カナタの声にゆっくりと顔を上げたスバルは言った。
「わりぃ。実はおまえの分の替え刃……勝手に使って、それも無くなったんだ……」
バツが悪そうにそう言ったスバルに、カナタは呆れて開いた口がふさがらない。
「お、お前って奴は……」
ようやくそれだけ言ったカナタにスバルは、少しだけ悪いと思ってそうな声で返した。
「だって、お前支給刀使わないじゃんか、いつも替え刃余らかしてるからさぁ」
確かに、今も自分の分を使えと渡すつもりだったし、スバルの言う通り「桜花」を使うようになってから支給刀は全く使っていない。支給刀本体も荷物の中に入れっぱなしだった。
そう考えると構わないかとも思うが……。カナタがどう言おうか迷っているうちに、カナタが荷物に押し込んでいた支給刀をスバルが引っ張り出していた。
カナタはもう何か言うのもあきらめて、感染者やマザーの動きに集中した。
「……退くわけには、いかないからな」
ぽつりと決意を口にしながら……




