12.8
「相手に……合わせてですか?」
アスカが眉を寄せて聞き返してくる。建物に挟まれた小道は、太陽の明かりが届かない部分が多い。
今座っている場所も日陰になっていて、激しく動いた後だと汗が冷えて寒くなる。
大量の感染者を誘き寄せて誘導して、動きまくって汗をかいた後ならばなおさらだ。
一定のラインからこっちに来ようとしない、感染者達の習性を利用して、少しずつ移動しながらカナタ達は交代で休んでいた。
さっきまではカナタとアスカが組んで、感染者がハルカ達の方に行かないように、気を引いていたのだ。
今はスバルと由良が、その役目を果たしているのを体を休めながら見ている。
「その……何度も同じ個体と戦った、という事ですか?」
アスカにそう聞かれ、一瞬何を話していたのか忘れていたカナタは苦笑いしながら頷いた。
「ああ、まだマザーの情報が貴重な時期だったけどな。一回目に会った時は、強敵ではあったけどお互いに決め手にかけるくらいの状況だったんだ。俺やヒナタが使ってた刀なら攻撃が通るけど、倒すには全然足らないくらいだった。それが二回目に会った時には、腕を刀をっぽく進化させてた。」
それどころか、最初の戦いでおそらく一番マザーに刀の味を覚えさせたヒナタの持っている短刀や構えまで真似してきた。
「そんな短い期間で、進化なんてするのでしょうか?生物の学者が聞いたら、怒り出しそうですが」
そう言ったアスカの顔を見る限り、半信半疑の様だ。無理もない。カナタも美浜集落の近くにいたあのマザーと戦っていなかったら同じ反応をしたと思う。
ただ、アマネ先輩も同じことを言っていたので、間違いないとカナタは思っている。
「他の部隊の話では、銃ばかり使って相手してたら、銃弾を跳ね返す装甲と、指から何かを飛ばしてくるマザーに進化したって話らしいからな」
それだけ言って、そろそろスバル達と交代するかと思い、立ち上がったカナタが動きを止めた。
隣では、立ち上がったカナタの意図を察したのか、アスカも立ち上がり、ズボンについた汚れを払っている。
アスカのズボンを払うパンパンという音が、遠くから聞こえるくらい、カナタの神経は一点に集中していた。
なぜそこを見ているのか。まだカナタ自身がそのわけに気付いていない。
……何が気になった?これといって気になる様なものはないはずだ。
何気なく見ていた光景のどこかに、何か自分の心が警鐘を鳴らす様な事があるのか?
注意深く、スバル達が立ち回るのを見ていて、ようやく気付いた。スバルが少しずつ引っ張られているんじゃないか?
由良を一歩さがらせて援護に集中させて、自分が大きく動いて牽制をしているスバルが、前にいる感染者に誘われるように少しずつ前に移動している様に感じたのだ。
「どうかしましたか、隊長?」
カナタの様子がおかしいのに気付いたアスカが隣に立った。
カナタが違和感の事を話すと、アスカも目を細めてスバルたちの方を見た。
「……!確かに。言われてみればおかしいですね。あの感染者、明らかに誘ってます。でも……」
感染者がそんなことをするだろうか?という顔をしていたが、スバルの位置が変わっている事についてはアスカも同意した。
「アスカもそう見えるなら気のせいってわけじゃないな……。おい、スバル!少し深入りしすぎだ、下がれ」
カナタが少し大きな声でスバルに向かった言った。おかしいと思ったのは、感染者達が引き返すラインギリギリで誘導しているはずなのに、スバルが深入りしている。
感染者達にこっちの動きを誘うような事など出来るはずがないのだが、スバルには注意を促しておいた方がいいだろう。
スバルはこれまでと同じ様に、刀を大きく振り回して感染者の注意を引きつつカナタの方を見た。
「なんだって!?」
「お前、いつの間にか引き返すラインよりだいぶ奥に入っている。そこで掴まれでもしたら厄介だぞ!まぁいい、そろそろ交代……」
しようか。と言おうとした。しかし、その言葉は最後まで紡がれることはなかった。
激しい破壊音で、かき消されてしまったからだ。
「な、なん?」
スバルのすぐ先の建物の壁が音を立てて崩れるのを見て、スバルは後ろに飛び退った。
すると、それまでスバルを誘うように大きく下がっていた感染者もが前進しだす。
「まさか、本当に誘ってたのか?そんな知能が……ん?」
カナタが目の前の感染者の行動に戦慄を覚えながら、飛び退いて体勢を崩したスバルに手を貸して立たせる。
「なんだよあれ……なんであんなとこが壊れるん、だ?」
二人して、壊れた壁の方を凝視してしまう。その間にも、アスカは由良のそばに立って、援護をしてやっていた。
そのアスカ達もそれを見て言葉を失う。
壁が崩れた時の土埃りから、うっすらと見えてきたもの。黒く艶のある硬質そうな先端に、途中から薄く毛が生えている電柱くらいの太さの物。
その硬そうな先端は細くなっていって、今は地面に刺さっている。
それが壁を突き破って、出てきている。
「おい、まさか……」
「下がれ!」
スバルが呆然とするのをカナタは叫びながら無理に引っ張って、後退させる。
アスカも異変を感じたのか、由良を伴って大きく後退を始めていた。
地面に刺さっていたその何かがピクリと動き、ゆっくりと引き抜かれて……もう一度壁の壊れる音が響く。いや、一度ではない。後ろに下がるカナタとスバルを追う様に、都合四回の轟音が小道に響いた。
もうもうと立ち込める土埃りのなか、見えたのは四本の……脚。外骨格があり、少し上には節の様に盛り上がった関節が見える。どう見ても、節足動物……蜘蛛型の脚だった。
「なんでここに……」
さっきまでは順調に感染者の誘導を行っていた。途中から引き返す様になって、あまり決まったエリア離れられないのか?と思っていたくらいだったのに……。
「まさかマザーまで釣れるとは……こいつは余計だったな」
カナタが思わず独りごちた。
蜘蛛型の脚が四本。つまり片側だけしか見えていない。反対側はおろか、胴体の部分もまだ建物に隠れて見えない。
何かするなら今のうちだと思ったカナタが「桜花」を抜いて、近くの感染者を斬った後、そのまま蜘蛛型の脚に向かって水平に薙いだ。
キインという硬質な音が響き、「桜花」の刃ですら食い込まない。
「蜘蛛の脚の先端って爪なんだっけ?やたら硬いけど……」
それならば関節を狙ったカナタの刃は、もう一つの脚によって防がれた。
関節より下の硬質な爪の部分は、「桜花」といえど斬る事ができない。
金属質な音を立てて弾かれてしまう。
「斬れないならよ!」
そこにスバルが走り込んで、バールに持ち替えて脚に向かって振り下ろした。
ギィン!
「うわっ、痺れる……固ってぇ。なんだこいつ」
スバルが渾身の力を込めて振り下ろしたバールの一撃さえ弾いた脚は、近くにいるスバルを貫こうと思ったのか、高々と上げて叩きつける様に落としてきた。
ドゴっ!という鈍い音と共に、蜘蛛型の脚が爪の中程までアスファルトの道路にめり込んだ。
おそらく人間ぐらい簡単に貫通してしまうであろう威力を窺わせるが、だからと言って黙って見てるわけにもいかないのだ。
スバルを狙って、地面に刺さった脚を狙って、カナタが「桜花」を振るう。
地面に刺さった事によって、関節の部分がさっきより低い位置に来ている。
――斬った!
カナタは心の中で快哉の声をあげた。
地面に刺さった脚、カナタが振るった刀の力、速度。完璧に整った横薙ぎで、確実に関節から切り飛ばす一撃だった。
キィン!
しかし、再び甲高い音が響く。地面にめり込んだ脚の関節を斬ったかに思われたが、カナタとその脚の間に、別の脚が割り込んで来てカナタの攻撃をふさいでいた。
四本ある蜘蛛型の脚は、気味悪く動きながら、お互いを守り合うよう、そしてカナタ達を牽制する様にうごめいていた。




