12-7
ダイゴの強力な一撃のせいかは分からないが、これまでずっと閉じていた美鈴瞳がゆっくりと開いた。
体の自由は利かないのか、美鈴は瞼を開けた後、目だけをきょろきょろと動かし、やがてハルカ達を見て止まった。そして固唾を飲んでその様子を見ていたハルカ達は思わず息を飲んだ。
「美鈴ちゃん……」
ハルカがその名を呼んで、言葉を詰まらせる。
美鈴の目はハルカ達を見た時、一瞬大きく見開かれた。まるで、驚いたかのようなその動きは、ハルカ達を認識していると思われた。そしてすぐに、美鈴の目はとても悲しそうにその瞳を揺らしている。
きっと美鈴は悲しんでいる。自分と絢香が暴れて周りを破壊している今の状況を……そしてハルカ達が、それを止めようと危険に身を晒している事を……
美鈴の目は、悲しみの色をたたえたまま、ハルカやアスカを見て……花音で止まった。ゆらゆらと瞳が揺れるのがはっきりと分かる。
「美鈴ちゃん、わかるの?花音だよ」
そう言って歩き出した花音に、ハルカが制止の声を届けるよりもはやく、宿儺が吠えた。
「ジャアアアッ」
そして花音に向かって、数歩移動すると右腕を叩きつけた。地面から瓦礫の破片と土煙が舞い上がり、視界を遮る。
「花音ちゃん!」
思わず悲痛な叫び声をあげるハルカ。そしてぐっと歯を食いしばるヒナタが、宿儺に向かって飛び掛かる。
ハルカが上段から斬り降ろし、ヒナタは下段から斬り上げる。咄嗟の事とはいえ息の合った攻撃だったが、宿儺はぴょんと後ろに跳んで二人との間合いをあけた。
ハルカの刀も、ヒナタの刀も届かない場所まで下がったはずの宿儺の顔が苦痛のためか大きく歪んだ。
「ジャアアアッ!」
ハルカやヒナタとの距離をとったはずの宿儺の胸に、くっきりと刀傷がついていて、血を噴き出している。
斬ったのはハルカでもヒナタでもない。斬った姿勢のまま、宿儺の後ろで刀を振り抜いているのは花音だった。土煙りでハルカ達からは良く見えなかったが、花音は宿儺の腕をかいくぐって、その横を潜り抜けながら抜き打ちざまに斬り払っていたのだ。
「ジャアア……」
悔しげに口を歪める絢香の顔と、悲しそうな目で何かを呟いている美鈴の顔。
宿儺が花音の方とハルカ達の方へ、何度も顔を動かしている。
その度に、悲しそうな顔をした美鈴も右に、左にと振られる。
その様子をハルカ達も歯噛みしながら見つめる。
風が一陣通り抜け、誰もが動きを止めた。戦場から音が消え去り、わずかの間静寂が訪れた。
……い。……さい。
美鈴はずっと同じ言葉を口にしているようで、音のない今、囁くような美鈴の声がかすかに聞こえる。今はまた目を閉じて、その口だけが小さく動いてその言葉を繰り返している。
ハルカ達が全員で、精一杯攻撃を仕掛ける事によって、時には宿儺を少し後退させる時もある。ただ、進む方角は変わっていない。
わずかに後退させる事はあるが、進路をずらすには至っていないのだ。
「く……。何か方法は」
そう呟き、「晴香」を握る手にも自然と力がこもる。
他のマザーと違い、見た目は異様ではあるものの、サイズは元の体と大差ない宿儺なら、歩くルートを変えさせるくらいなら、そう難しくないのではないか……
少しそう思っていた。最悪、抱き抱えて動かせるのではないかと……。
「そんな事したら、きっと引き裂かれちゃうわね」
浅はかだった自分の考えにハルカはそう呟いて自嘲した。こうして間近で接してみると、大きさこそ今まで見たマザーとは比べ物にならないくらい小さいが、その膂力は少しも劣っていない。
見た目は、ようやく二桁の年齢になったくらいの女の子の細腕に、全力で斬り付けて止められた。しかも片手で……。
ハルカ、ヒナタ、花音と大人と比べても遜色ない戦闘力を有する三人がかりでも、少し後退りさせるのがやっとなのだ。
それだけに、指揮をとっているハルカの心には焦りがだんだんと、積もっていく。
「も、もう一度連携して……ダイゴくん、もう一度」
と、そこまで言ってハルカは口を閉ざした。ハルカが見た先では、ダイゴが持っていた標識を取り落として、左腕を押さえていた。
……そうか、ダイゴくんの怪我。無理するから……
痛むのか、腕を押さえたダイゴにはハルカの声も聞こえていないようだった。
さすがのダイゴでも、地面に立っている標識を引っこ抜いて、さらに振り回すのは負荷が大きかったようだ。
今は散発的にヒナタと花音が左右から連携して斬りかかっているが、宿儺も四本ある腕は飾りではないとばかりに、器用な動きを見せて、防いでいる。
隙を見てハルカも刀を振るうが、それも腕でガードされる。
動かしているのは、絢香一人のはずなのに四本の腕はそれぞれが独立して動き、どんな方向からの攻撃であっても防ぐ。
「これ……ヒナタお姉さん!」
力強く踏み込んで、水平に斬り払った花音の一撃を宿儺の一本の腕が受け止める。
それを見て、何か気付いたのかその場から飛びのきながら、花音が反対側にいるヒナタに声をかけた。
息を合わせて、花音が引くと同時に攻撃を仕掛けていたヒナタの短刀による蓮撃でも、宿儺の右腕による防御を抜く事ができず、逆にもう一本の右腕に反撃されてしまい、横に転がってなんとかそれを避けていた。
そして、花音が何を言いたいか、ヒナタも気付いた様子だ。
「まさか……」
そう呟くと、確かめるようになんとが斬りつけて、宿儺が攻撃してくるのに合わせて後ろに跳んでかわした。
「固く……なってる?」
ヒナタが呆然と呟く。その様子を見た花音はやっぱりかと唇を噛んだ。
ハルカや花音の持つ刀による斬撃より、軽いとはいえ速度と手数はヒナタの短刀の方が上を行く。
くるりくるりと舞うようにして懐に入り込み、幾たびも斬りつけている。
ただ、最初の方は斬りつけるたびに、花が咲いたように散っていた血潮も、今ではほとんど見ない。
ハルカも手応えに違和感は感じていたが、花音とヒナタがそう言った事で確信した。
ただ、それを簡単に認めたくはない。
ハルカが、一度大きく斬りかかってみた。宿儺が二本の腕をクロスさせて、ハルカの上段からの斬り下ろしを防いでみせた。
……やっぱり斬れない。
深追いはしないで、サッとその場から離れる。
次の瞬間には轟音を響かせて、さっきまでハルカが立っていた場所に、宿儺のこぶしがめり込んでいた。
その隙を見逃す事はなく、左右からヒナタと花音が同時に飛び込んで、宿儺に渾身の一撃を放つが、残った腕によってそれも防がれていた。
余裕を持って宿儺の攻撃範囲から飛び退いたヒナタと花音の視線が集まる。
……ヒナタちゃんと花音ちゃんの斬ったとこも、少し前と違って全然斬れてない。
さっきまでは、霧の様な雨の中で斬った時に宿儺の血が、花が咲くように飛び散っていたというのに。
刀の切れ味が落ちてるのかもしれない。本来人の体を斬れば血脂で、すぐに斬れなくなると祖父から聞いた事がある。
まして、出来うる限りの手入れはしているが、遠征という状況では本格的な手入れはどうしても出来ない。
……その分を差し引いたとしても。
やはり宿儺の体が硬くなっているとしか思えなかった。
「ハルカちゃん!お兄ちゃんが前言ってた。マザーは戦う度に進化をするって、もしかしたら……」
ヒナタが、宿儺のこぶしを転がって避けながらそう言った。
ハルカも聞いた事がある。あれは、カナタ達が初めてマザーと本格的な戦闘をした時の話だったか……
頭の中で、カナタの声が再生された。
「マザーは相手に合わせて進化してくるからな」




