12-5
「アスカ!横から来てるぞ、気をつけろ!」
小道に交差する小さい路地から、女性の感染者が手を伸ばしていた。ちょうどその前をアスカが走っていたが、誘導している感染者の方に気を取られた気付いていなかった。
カナタが声をかけた時には、アスカの洋服が掴まれていた。
「きゃあ!」
「アスっ!」
女性の見た目から想像できないくらいの力で、アスカが引っぱられる。アスカも踏ん張っているが、力比べでは感染者に勝つ事は出来ない。
乱れた長い髪が、かつてつけていたヘアピンをぶら下げているのが近くに見えた。
隣を走っていた由良が慌てて銃床でアスカを掴んだ手を何度か殴りつけるが、その女性の感染者はもうアスカしか見ていない。
そしてその口が大きく開かれる。普通じゃない開き方に、唇の端が裂けていく。
「由良、撃て!」
カナタとスバルも慌ててアスカの方に走っているが、少し距離があった。カナタが、走りながら由良に発砲するように言うと、由良は自分が持っているのがライフルだという事も忘れてしまっていたのか、慌てて構えるとろくに狙いもつけないまま引き金を引いた。
タタタタ
支給のライフルが発射音が連続して鳴る。至近距離で銃弾を受けた女性の感染者は、着弾のたびに体を震わせながら後退していく。
「由良!目を開けて!」
女性の感染者が数歩分下がったところで、アスカが由良に向かって叫んだ。
タタタタタ
由良は慌てるあまりに目を閉じてしまっていた。アスカから声が聞こえたが耳には入っているものの、言語として処理されていない。結局マガジン一つ分撃ちきってしまった。
「由良、下がって!」
弾が切れても引き金を引き続けている由良を、アスカがカナタ達の方に片手で押しやりながら支給刀を抜いた。
「はあっ!」
たたらを踏んでいた感染者が、再びアスカに向かって歩き出すのに合わせ、抜刀したアスカの刃が振り下ろされる。
「がああぁぁ……」
首筋から斜めに肩口まで切り裂いたアスカの斬りこみが、途中で感染体を捉えた。びくりと体を一瞬硬直させた感染者は、その場に崩れ落ちるように倒れた。
「大丈夫……?」
感染者の動きを止め、肩で息をするアスカ。そのアスカに心配そうに由良が近寄ってきて心配そうな声でそう言った。
それに頷いて返し、息を整えたアスカは誘導してきた感染者の集団がすぐ近くまで迫っている事を確認して、再び走り始める。そして走りながら由良に話しかけた。
「由良、あなた撃つとき目をつぶってどうするの。至近距離だったからよかったけど、下手をしたら味方を誤射していた可能性もあるのよ?」
まったくもっての正論をぶつけられ、由良は黙って俯くしかできない。
アスカは由良とそれほど親密な関係を築いたつもりはない。一緒に十一番隊に入ったから自然と行動を共にすることが多くなったが、それだけの関係だと思っている。
しかしさっきの由良の焦りようは普通ではなかった。彼女は誰に対しても一歩引いて接しているので、あそこまでアスカを心配してくる事は意外だった。
「……ごめんなさい、気を付ける」
アスカの隣を走りながら、由良は言葉少なめにそう言った。いつもならそれで会話も終わってしまう。由良は必要以上に踏み込んでくることはないし、相手にも踏み込ませない。
一緒に十一番隊に入った、一応予備隊からの同期であるアスカに対してもそれは一緒だ。
蜘蛛型マザーのコロニーの感染者たちを誘導するという目的で動いているため、先頭を走るカナタ達は、気配も足音も殺す事はしないし、なんならわざと音を立てている。
それはコロニーを形成している感染者を誘導するための行為なのだが、派手な音をたてるためにどうしても関係のない他の感染者まで引き寄せてしまう。
先頭でスバルが持っていたバールを振り回したのが、かつて何かのショップであったショウケースのガラスをたたき割った。
ガシャン!という高い音が、狭い小道に反響する。
「あ、アスカ……」
荒い呼吸をしながら由良が呟くように声を出した。スバルが割ったガラスの向こうから感染者が出てこようとしている。
――まただ。由良が私の方を気遣っている。自分も息が上がりそうで必死な顔をしているのに……
「くっっ……」
アスカは歯を食いしばり、同時に支給刀を持つ手に力をこめた。
作戦の内容上、仕方がないとはいえ、先頭を走るカナタやスバルが音を立てていくため、反応した感染者が道まで出てくる時にはもう走り抜けてしまっている。そのため、後ろを走るアスカや由良が対応する事になるのだが、これまで積極的に戦闘に参加してきていないアスカ達にとって、それがかなりの負荷になっていた。
走ってきて、息も整わないままに感染者と戦闘。それが終わるか終わらぬうちに再び走り出す。守備隊に入ってそれなりの期間が経ち、実戦で鍛えられたカナタ達や、日ごろから訓練を欠かさないヒナタやハルカなどと違い、予備隊でもろくに訓練もせず、十一番隊に入ってからも、基本的には後方支援が多かったアスカと由良は、体力も精神力も仕上がっていない。
それでも由良よりかはまだ動けているアスカが、道に出てこようとしている感染者に向かっていく。
近くまで来てみると、そこは洋服を売っていたのだろう。ガラス越しに荒らされて洋服が散乱しているのが見える。感染者が出てこようとしている所は、新作を展示していたのだろう、何体ものマネキンが横倒しになっている。そのマネキンや残っているガラスが邪魔をして、出ようとしている感染者の動きを阻害していた。
「出て……こないで!」
心から洩れた言葉を口にしながら、アスカはもがいている感染者に走り寄った。そのアスカに気付き、アスカの方に体の向きを変える。
どうやら転がっているマネキンやらが、下半身の動きを邪魔しているらしい。上半身を横にしてアスカを掴もうと手を伸ばす感染者を、アスカは蹴り上げた。走ってきた勢いも加わった蹴りで、感染者は上半身を上に向けられた。
アスカはそのままの勢いで、感染者の顔に刀を振り下ろした。刃のほうではなく、あえて峰の方で。
走った勢いと体重まで乗せた真正面からの斬り降ろしが、気持ちだけが前に出てもがいている感染者の顔を強打した。
「がっ!」
アスカに蹴られ、声を出そうとした感染者はすぐに沈黙した。アスカの力の乗った斬り降ろしで顔面をしたたかに強打されて、体を沈める感染者は残っていたショウケースのガラスによってその首を切り裂かれた。
ショーケース用の分厚いガラスは、その首の半分ほどまで斜めに食い込んでいる。感染体も真っ二つだろう。
それを確認する事もなくアスカは、走り出す。後ろを振り返ると蜘蛛型コロニーの感染者たちは、さっきよりだいぶ近づいている。
「……行こう」
由良にそう言ってアスカは走り始める。由良はもう返事を返す余裕もないのか、ただ頷いたのみでアスカの後ろに続くのだった。




