12-4
激しく降り注いでいた雨が、少し小降りになった頃、宿儺の周りでは引き裂かれた感染者の山が築かれていた。その山を蹴り崩すように一歩一歩と宿儺は前進してくる。
「美鈴ちゃん,綾香ちゃん……そんな姿になって、どこに行こうと言うの?」
ハルカの問いに答えは返ってこない。
美鈴の顔は悲しそうな表情のまま目を閉じていて、絢香の顔は憤怒に染まって近づくものを睨みつけている。
喰代博士が、宿儺がこれまで移動してきたルートの直線状にあるとして、予想したのは瀬戸大橋付近。そこから先は海に入るため、直線上にある最も遠い場所が瀬戸大橋だった。
何のために、何を目指して向かっているのかは依然といて分かっていない。
「今は病院から逸らす事さえできれば……」
一息に宿儺との距離を詰めたハルカが牽制のために刀を振るう。動きが鈍ればいいくらいの気持ちで振るった一撃だったが、宿儺は四本ある手の一本で、刀を掴んだ。
「ウソ!」
普通掴もうとすれば手のひらを斬るはずだったが、宿儺はハルカの斬り払いに合わせて手を引いて勢いを殺した。前に進む事しか知らない感染者には絶対できない芸当に、焦ったハルカが慌てて刀を引こうとしたが、その時にはがっちりと掴まれたいた。
「抜けないっ!」
踏ん張るハルカに向かって、宿儺が逆の腕を振り上げる。それが振り下ろされた時、ハルカの命など消し飛んでしまうだろう。
「ハルカお姉さんっ!」
そこに小さな影が飛び込んできた。納刀したまま柄に手をかけた状態で、滑るように宿儺とハルカの間に入った花音が、走りこんだ勢いも載せて抜刀した。
危機に陥っているハルカが思わず見とれてしまうくらい見事な形の居合だった。居合を得意とするカナタの技を真似たにすぎないが、花音は修練をもって自分なりにものにしていた。
「はっ!」
短い気合の言葉と共に振るわれた刃は、ハルカに振り下ろされようとしていた宿儺の左腕の根元を浅くだが切り裂いた。
「ジャアアアッ!」
宿儺の絢香の面が叫び声を上げる。振り下ろされようとしたこぶしは動きを止められ、ハルカの刀を掴んでいた右手も拘束が緩み、ハルカは刀を引くことができた。
「ありがとう花音ちゃん!」
一声かけて態勢を立て直すハルカの横を、もう一つ影が通り過ぎる。
「やあっ!」
「梅雪」とハクレンに貰った短刀を両手に持ったヒナタが、宿儺に肉薄して回転しながら何度も斬り付けた。
絢香の面が隣にいるヒナタを捉え、二本の左腕が殴りつけようと振るわれたが、ヒナタはすでに数歩分の間合いをあけていた。
二本の左腕で殴りつけようとして空振りに終わった宿儺の体勢が崩れている隙に、ハルカも花音も踏み込んで一撃だけ攻撃して間合いをあける。
「ジャアアアアッ!」
苛立っているのか、宿儺がひときわ大きな叫び声をあげた。
「その調子よ!絶対に攻撃をもらっちゃだめよ!」
ハルカが声をかける。初撃でハルカ自身が刀を掴むという行動に出た宿儺に不覚をとったが、体格は小さいのにマザーと遜色ない威力の攻撃をしてくる宿儺相手に、一撃離脱というやりかたを徹底する。それが事前に決めたやり方だった。
「でも、あんまり効いてないね……」
ヒュンヒュンと短刀を手の中で回しながらヒナタが言った。その目は自分が先ほど斬り付けた場所を見ている。ヒナタが斬った場所だけではなく、すべての場所で斬られた箇所の肉が盛り上がり、すでに再生を始めている。最初に斬った部分はすっかりふさがっていて、血が流れた跡だけが残っている。
「シャアアアアッ!」
口を開けて、一旦溜めた後に宿儺が叫び声をあげた。それはさっきまでの声とは違う、攻撃の意志を持った声。以前も食らった脳に直接衝撃を与えてくるような声だ。
声が衝撃波となって、ハルカ達の間を通り抜けて行った。
「ううっ!」
「きゃあ!」
溜めるような予備動作に嫌な予感がした三人は、慌てて耳を塞いだ。それでもまるで脳みそをやすりでひっかいてくるような声はハルカ達の体の自由を一瞬奪ってくる。
「くっ!」
叫んだあと、宿儺は一番近くにいた花音を狙って踏み出していた。花音は両手で耳を覆ったまま動きを止めていた。ハルカは自分の体に喝を入れ、歯を食いしばって花音に向かう宿儺の横から攻撃した。
「ジャアッ!」
ハルカの攻撃は、宿儺の腕の一振りで簡単にはじかれたが、その分花音に逃げる隙ができた。慌てて後ろに飛び退いた花音を睨む宿儺の背後にヒナタが走り寄り、鋭い斬撃を見舞うが宿儺が腕を振り回して、追撃できないまま後退した。赤い雫が雨と一緒に激しく舞い散る。
「ちょっと……あれずるいよ。」
息を整えながらヒナタが呟く。決死の思いで隙を突いて斬り付けているのに、宿儺はあっという間に傷をいやしてしまう。斬り付けた瞬間は宿儺も動きを止めたりするが、次の瞬間には何事も無かったように動くのだ。
かつての知り合いといっても、ハルカ達は攻撃の手に微塵も手加減はしていない。
にも関わらず致命打どころか、ダメージを蓄積させる事もできないでいる。
「予想以上ね……」
ポツリとハルカがこぼした。あらかじめ高い治癒能力はあるだろうと予想はしていたのだが、ここまでとは思っていなかった。
「ジャアア!」
攻めあぐねていると受け取ったのか、宿儺が再び前進を始める。進行方向にあった自販機を邪魔だとばかりに腕で薙ぎ倒しながら。
ダーン!
「ジャアアアア!」
宿儺がさらに足を踏み出そうとした時だった。腹に響くような音が聞こえたと思ったら、宿儺の胸に飛び散った血液で赤い花が咲き、数歩分のけぞらせた。
ゆずが狙撃したのだろう。音からしてヘカートだ。宿儺が胸の部分から少なくない血を流しながら大きく吠えた。
『ち……血があそこまで出るのは……ちょっと押さないで。ごめん、喰代博士が……もう!』
インカムの向こうで何が起きてるのか、ゆずの苛立つ声と雑音が聞こえる。
『喰代博士が私の所に来て、宿儺を見ていたら血があそこまで出るのはおかしいって言えって言いに来た』
しばらくして、ゆずから改めてそう通信があった。そう言われて宿儺を見ると、ゆずが狙撃をした部分は傷がまだ塞がっていないのか、結構な量の血が流れて着ていた服を黒く染めている。
「そう言えば……他の感染者と違って斬った時も出血してたね。だから何って感じだけど……」
ヒナタが宿儺の動きに警戒しながらそう言った。
「そう言えばそうだね。あと、やっぱり支給刀じゃだめだね。さっきも簡単に掴まれて斬れなかったし、その後もヒナタちゃん達と傷の深さが全然違う」
そう言ってハルカは持っていた支給刀の刃を調べて、顔をしかめるとそれは投げ捨ててしまった。
「温存なんてさせてくれないか……」
そう言いながら腰の後ろに下げていた刀「晴香」を抜く。
ヒナタは「梅雪」。花音は無銘だが「桜花」や「梅雪」とよく似た刀を使っている。
刀身に薄墨を落としたようなヒナタ達の刀と違い、白く輝くような刀身は落ちてくる雨粒さえ切り飛ばすようだった。
宿儺は己の進行を邪魔する三人の人間を睨め付けながらも足は止めない。
少しずつ、少しずつ病院へと近づいていた。




