12-1.誰がために
「……久々にゆっくり眠ったな」
大きく伸びをして上半身を起こすと、ダイゴもスバルもリラックスした様子で眠っている。
今いる薬局は下が店舗で二階と三階が住居になっている。一階の店舗は略奪されたあとなのか、シャッターをこじ開けた後が残っている。それでも人が潜れるぐらいしか開いていないのが幸いして感染者は入ってこれない。
また、二階に上がる階段はわかりにくい上に、頑丈な扉に遮られている。
つまり二階から上はこの上ない安全な場所になっているのだ。その上電気や水も使えるという環境は、これまで常に気を張っていないといけなかったカナタ達に質のいい休息を与えてくれる場所になっていた。
もちろん少しずつ移動する宿儺や蜘蛛型マザーが遠くない所にいるので、本当の意味で休まりはしないのだが、これまで夜を凌いて来た場所とは雲泥の差なのである。
「おや、早いね。まだ六時にもなっていない。いつも早起きのヒナタくんさえ寝ている時間だよ?どうしたんだい?」
そっとトイレに立ったカナタが、男性陣用に割り当てられた6畳の和室に戻ろうとした所で、リビングから声が聞こえた。
リビングの方のぞくとキッチンに喰代博士が立っていて、テーブルでは夏芽が考え込むような表情で座っている。
「博士こそ。まさかまた徹夜で何かの研究を?」
眉をひそめてそう言ったカナタに、喰代が両手を上げて違うとアピールした。
「私も目覚めてしまったクチさ。夏芽くんも……考えるところがあるのか、眠りが浅いようだよ。ところで、湯を沸かしたんだがコーヒー飲むかい?」
本当は部屋に戻って時間までもう少し眠ろうと思っていたカナタだったが、都市の外ではなかなかゆっくり飲む事もできない誘惑には抗えなかった。
「本当にいい場所ですね。ここ……誰にも目をつけられなかったのが不思議だ」
喰代がコーヒーを淹れてくれている間、キッチンのテーブルに座ったカナタが部屋の中を見渡してしみじみと言った。
水も電力も豊富に使え、災害用備蓄も置いてあったから物資の面でも防衛の面でも拠点にするのにこれほどの所はなかなかないだろう。
「太陽光パネルは三階の屋根の上だ。外から見えづらい。それに思ったんだろう。薬じゃ腹一杯にはならんってね。その薬を欲する奴らに一階は荒らされていたけど、目的の物を取ったらサッサと引き上げたみたいだしね」
確認のためにカナタも見てきた。確かにシャッターをこじ開けた跡はあったが、二階に続く扉は施錠されたままだった。
「まぁ、運がよかったらって事さ。どうぞ」
そう言って、喰代は湯気の立つカップをカナタの前に置く。
「ありがとうございます」
礼を言ってカップを手に取る。さっきからコーヒーの香りが部屋を満たしていたが、実際に近づけると芳醇な香りに、思わず目を閉じて堪能してしまう。
そう言ってもインスタントなのだが……
口に含むと、しっかりとした苦味が目覚ましてくれる。
それに満足していると、思案げな顔をしていた夏芽が口を開いた。
「ようそんな呑気な顔できるな……アンタら怖くないんか?」
真剣な顔で言う夏芽の手は震えている。都市に潜入して、予備隊に潜伏したり、大胆な事をやっている夏芽だが、その目的はただ「死にたくない」という事だった。
実際、戦闘の時には姿を隠しているし、決して関わってこようとはしない。 その夏芽は佐久間が再び姿を見せた時から考え込むようになった。
カナタは問いかけてきた、夏芽の目をじっと見つめる。その瞳の奥で、抑えきれない恐怖が揺らいでいる。カナタにはそう見えた。
「怖くないなんて事あるか。めちゃめちゃ怖いわ!」
その言葉に、夏芽は少し驚いた顔をする。
「……でもな、俺はその恐怖に負けて色んなものを失う方がずっと怖い。だから必死にやってんだ。他の奴らは知らないけどな」
そう言うとカナタはカップに口をつけた。
夏芽は視線を落として、唇を噛んでいる。カナタはそう言ったが、それほど簡単な事ではないのだ。
再び考え込む夏芽がカナタの言葉をどう受け取ったかはわからない。でも夏芽が持つ「恐怖」は、周りがどう言ってもなくならない、自分で整理をつけて飲み込むしかない。
少なくともカナタはそう思っているので、それ以上は何も言わなかった。
外の喧騒はここまでは届かない。一つ向こうの通りでは今も宿儺と感染者達が激しく争っているはずだというのに。
「いや、ゆずくんじゃないけど、ここから離れがたくなるね」
重くなった雰囲気を変えるためか、喰代がそんな事を言って笑った。昨夜はしきりにゆずがここに住むと、繰り返し言っていた事を言っているのだろう。
風呂にも二回も入っていたしな。
そんな事を考えながら、コーヒーを半分ほど飲んだ時、喰代が金属のケースをテーブルの上に置いた。
「それは?」
カナタが聞くと、静かに目を伏せたまま喰代が教えてくれる。
「……君達と一緒に初めてマザーと交戦した時に、即興で作ったことがあっただろ?あの時はマザーの遺伝子を使っていたけど……」
カナタが蓋を開けると、銃弾が綺麗に並べられている。大きさから支給のライフル用ではない。
「それは階さんから採取したサンプルから作った。いわば人が作った感染者に効果があると思う。正直あの宿儺のお嬢さん達にこんな物を使えというのは気が引けるのだが……」
喰代がそこまで言うとカナタが遮った。
初めてマザーと戦った時も決定打に欠けた状態で、あのまま戦っていればカナタ達は全滅していただろう。即興とはいえ博士が作り出した銃弾は、マザーに確かなダメージを与え撤退させたのだ。この銃弾も効果があるのだろう。作り出された感染者。両面宿儺……いや、あの少女達にも……
「いえ……ありがとうございます。助かります。使うかどうかは俺の判断と責任でやります。博士は提供してくれただけです。」
カナタがそう言うと、喰代は薄く微笑んで再びカップに口をつけると目を閉じて何も言わなかった。
そうしていると、順にみんなが起き出してくる。
早いのは鍛錬を日課にしてる組だ。ヒナタ、ハルカ、花音が起きてきて、しばらくすると由良とアスカ、ダイゴが、そして
「おはよ……みんな早いな」
半分寝ぼけた顔で目を擦りながらスバルが起きてくる。なぜか同じように寝ぼけたリョータの手を握って。
「スバル、いつリョータと仲良くなったんだ?」
笑いながらカナタが聞くと、スバルはリョータを少し見て
「こいつ、いつの間にか俺の布団に入って来てたんだよ。追い出すわけにもいかないからそのまま……」
どうやら人恋しくなったリョータがスバルの布団に潜り込んだらしい。普段から一緒にいるヒナタが少し寂しそうな顔をしているが、リョータも女性の布団には入りづらかったんだろう。
ヒナタの頭をぽんぽんと叩いてなだめる。
それを少し離れた所で、花音はうらやましそうに見ていたのだが、ハルカがその背中を押してカナタの隣に座らせた。
固まる花音と、ぽかんとしているカナタ。
「花音ちゃんだっていつも頑張ってるよねぇ?カナタ」
「あ、ああ。そうだな……」
そう言ったハルカがやけに圧のある視線を向けてくる。すると見かねたのか、ヒナタがこっそりカナタに耳打ちした。
「花音ちゃんにもぽんぽんしてあげて」
「??」
カナタはよくわからないまま、言われた通り花音の頭をヒナタにしたようにぽんぽんと軽く撫でるように叩くと、はじめはビクッとしていた花音だったが、すぐに満足げな表情になっていく。
意味が分からずカナタが首をかしげると、満足したのか花音が立ち上がって腕まくりをしだした。
「さあて!」
そう言い残して、花音は女性たちが眠っていた部屋に入って行く。その姿に、静かな朝の空気の終わりをみんな感じ取っていた。
数秒後、花音のかわいらしい声が建物中に響いた。
「起きなさーい!」
ああ、ゆずか。と、みな苦笑いする。一人、普段からゆずと共に叩き起こされているカナタだけは視線を逸らし続けていた。




