11-12
「お兄ちゃん……私、頑張る」
カナタの胸で五分ほど泣き続けたヒナタは、顔を上げるとぐすっと、鼻をすすってそう言った。
「……そうだな。でも、お前は絶対に無事じゃないといけないぞ?死ぬ事はもちろん、大怪我をしてもあの人達を苦しませる事になる」
頭を撫で続けながらカナタが言い聞かせるように言うと、ヒナタはくいっとアゴを引く。
「そんなの……当たり前じゃん。らくしょーで終わらせる。そんで、今度はちゃんと胸張って言うんだ……黙って私について来いって」
じわりと涙を滲ませながらそう言ったヒナタの頭を、カナタがくしゃくしゃに撫でた。
「ちょ!お兄ちゃん?髪の毛が……乱れるってば!」
カナタの手から逃れたヒナタが、真っ赤な目で恨みがましそうに見た。
「我が妹ながら男前なやつだなあ、お前は!」
笑顔を浮かべてそう言うカナタから、プイっと顔を逸らしてヒナタは口の中で文句を言っていた。
「女の子に向かって男前って、褒め言葉?もっとなんかあるでしょ……」
ブツブツと文句を言いながら膨れた顔をしているヒナタを見て、カナタは密かに気合いを入れた。自分も頑張らないといけない。
この優しい心をヒナタにはずっと忘れずにいてほしい。
「よし、じゃ考えよう。この感染者がひしめいている中で、宿儺の気を引いて、ルートを逸らして尚且つなるべく安全な方法を……」
「……」
とりあえず誰も何も言おうとしなかった。分かってる、そんないい考えなんてないって事くらい。
ただ、何言ってんだコイツって視線はやめてくれる?
「現状の火力では宿儺の気を引くには足りない」
少し落ち込んだカナタをよそに、ゆずが射手として意見を出した。駐屯地でいくらか弾薬は補充できたけど、一人でチマチマ撃ってても宿儺は意に介さないだろうと。
「かと言って、刀振り回していても、近づく事もできないよね?あれだけの数の感染者……今は宿儺に集中してるけど、こっちの存在を認識したら向かってくるだろうし、最悪の場合、奥から蜘蛛みたいなマザーがやってくる可能性も考えとかないといけないよね」
そう言ったダイゴの背中では、リョータが眠っている。
手を伸ばせば触れられる位置にいるが、それぞれの顔もはっきりとは見えない位に陽は落ちている。
今の所、宿儺が派手に暴れればそれだけ感染者達の注意を引く事になっている。
無駄かに思えたが、ヒナタが手榴弾で病院への流れを途切れさせて、病院側も窓を閉める事ができた。
姿を見失った病院側の感染者も宿儺に向かって、さすがの宿儺も思うように進めないようだ。
それでもじわじわと宿儺は進んでいるが……
「で?カナタくん。どうやって宿儺の気を引くつもりだった?あれだけの感染者に囲まれてる宿儺を安全なやり方で?」
カナタとしては発破をかけるつもりで言っただけなのに、ゆずに厳しいツッコミを受けている。
「お、おいゆず……」
カナタがゆずに何か言おうとした時、雑音混じりに声が聞こえた。
インカムから……
『……ザッ…る?ザザッ……た……ザッ……』
雑音の中にかすかに混じっている声は、間違いなくハルカの声だった。で、あればハルカ達も、このインカムの電波がギリギリ入るか入らないかくらいの距離の所までやって来ていると言う事だ。
『おいハルカ?聞こえるか?そっちは無事なのか?』
カナタもインカムで問いかけたが、それきり何も聞こえなくなった。
聞こえたのはほとんどが雑音で、言葉らしきものは何も拾えてない。それでも切羽詰まった様子ではなかったと思う。
思うが、中途半端に声を聞けば不安が増してくる。
「カナタくん。ハルカちゃん達なら無事だよ、きっと。むしろ向こうのほうが不安に思ってるんじゃないかな?」
ダイゴがそう言うと、カナタがダイゴの方を向いた気配が暗闇から伝わってくる。
――何でだよ?
多分そう言いたいんだろうなぁと察したダイゴが続けて言った。
「何しろ向こうのメンバー、割と冷静に動ける面子ばっかじゃない?唯一スバル君が少し怪しいかな?それに比べてこっちは……」
ダイゴの言いたい事はカナタにはすぐ分かった。
何しろこっちには人の言う事を聞かないのが多いと。ゆずを筆頭に、ヒナタもスイッチが入ると突っ走る。
冷静に動けるのは俺とダイゴくらいか……
そう考えたカナタに、まるで聞こえていたかのように声がかかった。
「カナタくんもだからね?」
「お兄ちゃんもでしょ?」
ダイゴとヒナタが声を揃えてそう言ってくる。
「…………」
思わず口を閉ざしたカナタに、隣でゆずが吹き出す声が聞こえた。
いつになっても、うちの部隊はシリアスが続かないなぁと、カナタは苦笑いになっていた。
夜間は感染者の動きが鈍る。それは宿儺にも当てはまるようで、日中ほと激しく暴れる音はしなくなった。
それに注意を払いながら、交代で休憩を取りつつ一時間ほど経った頃。
『ガ……える?聞こえる?カナタ?』
今度ははっきりとインカムにハルカの声が飛び込んできた。
『ハルカか?聞こえてる!そっちは無事か?』
『よかった。やっと届いた。こっちはみんな無事よ。今宿儺を追いかけて、やっと追い抜いたとこ。カナタ達は?マザーはいたの?』
宿儺を追い抜いたと言うなら結構近くまで来ているようだ。宿儺は病院から100mほど離れた所を少しずつ進んでいる。
だとすればハルカ達もそれくらいにいる事になる。
『こっちも無事だ。マザーはいた……少しやばそうな奴だったから手を出さずに、俺たちも宿儺が見える所にいる。ハルカ、近くに病院が見えるか?宿儺の進行方向にある病院だ』
カナタがそう言うと、インカムから安堵の息が聞こえた。
『よかった……。あなた達の事だから、マザーか宿儺に手を出してるんしゃないかってヒヤヒヤしてたのよ。病院って……私達、病院の裏手にある薬局の二階に隠れてるのよ?』
それを聞いた多分ヒナタが立ち上がって、裏手の方を見に行った気配がする。
すぐに戻ってきて、声をひそめて言う。
「病院のすぐ裏。薬局の看板があった。そこに移動した方がいいかも」
「そうだな」『ハルカ。俺達は多分その薬局のすぐそばにいるんだ。俺たちも合流できるか?』
返事はすぐにあった。
『よかった……すぐ近くにいたのね。大丈夫よ、意外と広いし。ただ、宿儺に向かってきた感染者が道路を覆い尽くしてる。来るならなんとかして、二階から……え、ヒナタちゃん?』
そう話しているうちにも、さっさと移動したヒナタが、窓越しに話しかけたようだ。ハルカの驚く声と共に通信が切れた。
「……俺たちも行こうか」
本音を言えば、感染者や宿儺に気取られないように息をひそめていたが、斜めになっている屋根の上ではなかなか休まらなかったのだ。
滑り落ちでもしたら一巻終わりだし。
固くなっている体をほぐしながら、ハルカ達が隠れている薬局の方に移動を始めるのだった。
◆◆ ◆◆
「ここは天国か……。カナタくん。私ここに住む」
ヒナタと一緒に風呂から上がって来たゆずが真顔でそう言っている。
手には冷えた水の入ったコップが握られている。
気持ちは大いにわかるので、カナタは苦笑いするしかなかった。
ハルカ達が見つけた潜伏場所。おそらく、道向こうの病院からの処方箋薬局だったと思われる建物は、周りと比べても造りが新しく、後からできたか建て直した建物だと思われる。
そして、見た目が近代的なだけではなく、設備も近代的なエコ思想を感じるものだった。
屋根一面に設置されたソーラーパネルで、建物中の電気を確保して、雨水をを溜めて濾過する装置を動かしている。
それで飲み水以外の生活に必要な水は確保してあるし、災害時の物資集積所にもなっていたのか、倉庫になっている二階には医薬品とペットボトルの飲料水。残念ながらほとんどが期限が過ぎていたが食料まであった。
「よかった……もうほとんど医薬品無くなってたから」
そう言って、風呂上がりで半乾きの頭のままヒナタは自分の救急バッグに、必要な医薬品を詰め込んでいるし、ダイゴやスバルは持てるだけの水を持って行こうと試行錯誤している。
「お風呂、上がったよ。カナタも入って来なよ。今度いつ入れるかわかんないんだからさ」
風呂上がりの色っぽさを漂わせながらハルカが隣に座りながらそう言ってきて、カナタは思わず目を逸らした。
目を逸らしていても、漂ってくる石鹸の香りと、温まったハルカの体から発散される熱を感じ、戦闘とは一味違う緊張を必死に落ち着かせる。
「ヒナタちゃん……少しは元気出てよかったね。」
合流してすぐに、病院での出来事は話した。それを聞いてハルカが、景気付けと言って風呂を準備したのだ。
ヒナタも女の子だけあって、風呂に入れると聞いて感動していたからな。
ただ、風呂を沸かすために濾過した雨水を汲み上げるポンプと、給湯器をフル稼働させて、日中に溜まっていた電気は底をつきかけている。
「本当は何があるかわかんないから、節約しないといけないんだろうけど……ヒナタちゃんの気持ちは分かるからね」
少し寂しそうに笑うハルカも、同じような経験があるんだろう。
「助かった、ハルカがいてくれて。俺じゃ思いつかなかったよ。」
着替えを用意しながら素直にそう言うと、ハルカは湯上がりで火照っただけとは思えないほど、頬を染めてそっぽを向いた。
「ひ、ヒナタちゃんは私も妹みたいに思ってるから……カナタに礼を言われることじゃ……あ、そっか隊長だもんね。隊員の士気は重要よね」
何か一人で納得しているハルカの頭をポンと叩いてカナタは言った。
「いや、部隊うんぬんは別で、ヒナタの兄貴として、だ。情けない話だけど、女同士でしかわからない事はあるだろうからな。こらからも頼むよ、ハルカお姉さん」
冗談混じりにそう言うと、今度こそハッキリとハルカの顔が紅潮しだしたので、カナタはサッサと逃げ出した。
――感謝してるのは本気なんだけどな。そう思って微笑みながら……。
浴室の扉を開けると迎えてくれる湯気の暖かさが、カナタにも生きている事を実感させてくれた。




