11-10
軽やかに宙を舞ったヒナタは、窓から中に入ろうとしている感染者を横から蹴った。
バランスを崩した感染者は、足場にしていた壁の出っ張りから足を滑らせ、下に落ちていった。
「ええ?」
驚いた顔をしたのは、それまで必死に中に入られないように抵抗していた病院側の人だ。
二階の窓で横から人が来るとは思ってもいなかっただろう。
「大丈夫ですか?」
ヒナタが軽い調子で聞くものだから、何と答えていいか固まってしまっている。
バールを構える看護師らしき女性は、注意深くヒナタの全身を見ている。
「あ、私は怪しい者じゃ……って、信用できませんよね」
苦笑いするヒナタに、看護師はバールを構えたまま声を出した。
「あ、あなた……どこから来たの?生きてる人よね?」
「えーと、とりあえず助けはいりますか?っと」
話しているうちにも、窓の下にある出っ張りに手をかけて感染者が登って来ようとしている。
それなりに高さはあるのだが、押し寄せる感染者は二類感染者。前の感染者によじ登り、自分たちの体で二階までの道を作っていた。
「まず、こっちをどうにかしますね」
そう言いながら、ヒナタは登って来た感染者を蹴って、窓を破ろうとしている感染者を斬りつけた。
「さすがに数が多いなぁ」
周りを眺めてそう言っていると、後ろに引っ張られた。
「ちょっとあなた!死にたいの!」
バールを持っていた看護師だ。ヒナタの腕を取って中に入れようとしている。
「あ、ちょっ……わ、わかりましたから。引っ張らないで」
グイグイと引っ張られ、踏ん張ると逆に危なそうなので、ヒナタは素直に中に入る。
中に入ると、何人かの人が部屋の隅に固まっていた。元々は病室だったと思われる部屋は、ベッドは脇に寄せてあり、食べ物や飲み物のゴミが散乱している。
ヒナタを引き入れた看護師はバールを構えたままヒナタを見ていた。
「あなた……何をしに来たの?ここにはもう……食料も医薬品もないわ。ここにいる人達だって……もう何日も食べていないんだから」
そう言われてみると、全員がやつれているし、気力が尽きかけているように見える。
唯一目の前の看護師だけがギリギリ動いている。そんな感じだ。
「ここから逃げてほしいんだけど……」
そう言ったヒナタに看護師が言い返した。
「どこに?どうやって?どこに行っても奴らがいるじゃない!無理よ……」
そう話している間にも、木で塞いである方の窓をひっきりなしに叩く音が部屋中に響いている。
看護師の言葉にヒナタも肩を落とす。
確かに、今ここにいる人たちに感染者が迫っている中を逃げろと言ってもむりだろう。
それくらいみんな憔悴していた。
感染者が窓を叩く音にも、さして反応をしていない。それだけで、どれだけ疲弊しているかを窺わせる。
ヒナタは今野と名乗った看護師に、迫っている宿儺の事を話したが、答えは変わらない。一応カナタにも伝えて、食料を融通するようになったが、それですぐに動けるとはとても思えなかった。
『ヒナタ。今からそっちにコンテナを送る。受け取って』
インカムを通してゆずから連絡があり、一度外に出て隣家の屋根に戻る。
ゆずはヒナタが伝って来た電線を利用してこっちに荷物を送るつもりらしく、しばらくするとコンテナが送られて来た。
コンテナを抱えて、さっきの病室に戻ってきたヒナタを見ても、隅にうずくまる人達は全く動きもしなかった。
もう期待すらしていないのだろう。
ただ、今野だけは警戒した顔でそれを見ていた。もう誰も信用できない。その顔がそう語っているようだった。
「これ……皆さんで。変なものは入ってないから。じゃあ」
コンテナを病室の中央に下ろすと、今野に向かってヒナタはそう言って窓際まで下がった。
警戒しながらコンテナを見た今野は、目を見開き、次の瞬間には持っていたバールを投げ捨て、コンテナに飛びついた。
中から食べやすそうな物と飲み物を取って、急いで隅に集まる人たちに持っていく今野を、悲しそうな目でヒナタは見ていた。
この世界でヒナタ達も苦労はして来たが、飢える事はあまりなかった。
こうして食べるものが無く痩せ細っている人たちを目の当たりにすると心が痛くなる。
「……ありがとう。でも、返せるようなものはここにはないわよ?」
まだ疑いの目をしている今野を見て、それだけの目に遭って来たのだと思えば怒る気にもならない。
「いえ……お返しは気にしないでください。それじゃ私はこれで……」
そう言って窓から出ていくヒナタを最後まで警戒する目つきで今野は見ていた。一体どんな目に遭えばそこまで人を疑うようになるんだろう。アパートの方に戻るヒナタの頭の中はそんな問いで一杯だった。
「ヒナタだいじょぶ?」
来る時と逆のやり方で、ゆずがいる所まで戻ったヒナタは落ち込んだ様子で、思わずゆずがそう声をかけてしまうくらいだった。
「うん……。生きるって大変だよね。どうしてこんな事になったのかな?」
いつもの元気は影をひそめて、俯きながら言うヒナタの肩をゆずがポンと叩く。
「冷たい言い方かもしれないけど、ヒナタが気にする事じゃない。私たちは都市でそれなりの暮らしができているけど、あの人達にはその機会がなかった。私たちも一歩間違えば同じようになっている。」
「うん……」
頷きはしたものの、納得はできていないようで、ヒナタの表情は暗いままだ。
「ヒナタ。落ち込んでる暇はない。私たちは宿儺のルートを病院からずらす仕事がある。もし失敗したらあの人達は巻き込まれて死ぬ」
死ぬ。の言葉にヒナタの肩がビクっと跳ねる。
「そうだね……。うん、頑張る」
そう言ってヒナタ顔を上げた。明らかに空元気だが、それでも落ち込んでいても何も状況は変わらないのだ。
◆◆ ◆◆
「そうか……。都市の周りでもそういう人たちを何度も見かけたよ。誰しもうまく生きていける世の中じゃないからな。戦う力がないと、食料を集めてくる事もできないからな」
戻って来たヒナタとゆずの話を聞いて、カナタもつらそうに話した。
都市がある程度機能するようになるまでは、カナタ達も守備隊の一員として動いた。集まって生き延びていた人達は、素直に都市に合流する者や反抗して闘いになる事もあった。
その中には、ヒナタが見て来たような人たちも少なからずいたものだ。
「そんな時はどうしたの?」
ヒナタがそう聞くと、カナタは目を閉じて首を振った。
「どうもできないさ。俺たちにそこまでの力はないし、手持ちに余裕があれば今みたいに分けたりもしたけど……それだけだ。次に訪れた時には誰もいなくなってたよ」
それを聞くとヒナタはまたシュンとなる。
「そんなのって……悲しいよ」
部屋の中を思い空気が支配する。そんな中でカナタはあえて、明るく言った。
「その時は本当に何もできなかったけどさ、今は違うだろ?頑張れば少なくとも今は凌げる。分けた食料は都市で作られてる高栄養価の食べ物だ。節約すればしばらくもつ。あとは宿儺のルートさえ、ずらす事ができたら」
それでも一時凌ぎでしかない事は全員が分かっていたが、それ以上は口にしなかった。
「偽善だと思うか?」
宿儺の状況を確認しに再びゆずとヒナタが部屋を出ていったあと、残ったダイゴにカナタがポツリと話しかけた。
隊長として、部隊を優先して考えるなら中途半端な食料を渡すべきではなかった。渡した所で、根本的な解決にはならないし、もしかしたら苦痛を長引かせるだけになるかもしれない。
それでも悲しむヒナタを見て、何もせずにはいられなかったのだ。部隊を率いる者の判断としては失格だとは自分でも分かっている。
「いや……カナタくんらしいと思うよ」
しかしダイゴは責めずに、微笑みを浮かべてそう言ってくれた。
カナタは小さく「ありがとう」と言って、自分も外の様子を見るために部屋を出るのだった。
今日は会社がイベントでマルシェやって忙しかったのです。
以上遅くなった言い訳でした。




