11-9
「そんじゃあ、行ってくるね!」
アパートと窓枠に足をかけ、ちょっとそこまで。みたいな感じで手を振りながらヒナタは屋根の上に姿を消した。
カタカタと歩く音がかすかに聞こえる。
向こうまでどうやって行くのか。そう聞いたらヒナタは簡単に言った。アパート側にある電柱に登り電線を伝って病院側に移動。あとは屋根伝いに近づくそうだ。
そんなの簡単じゃない。ってノリで言われたが、地面は道路が見えないくらい感染者がひしめいているし、すぐ近くには宿儺も来ている。
ここでやるべきは病院に入ろうと、ひっきりなしに襲っている感染者を止めて、宿儺のルートを確認。必要に応じて病院側の人間に宿儺のルート上からの避難を伝える。
感染者は宿儺に任せる。必要以上にやり合うひつようはない。その上で宿儺の進行ルートに病院が重なってなければいいんだけど……
宿儺のルートは建物の破壊された跡が一直線に伸びているのでわかりやすくはある。
病院の目の前の道路。今感染者がひしめいている道路沿いに移動してくれればいいけど、少し病院にかかりそうな気もする。
「たいじょぶ。病院を通ったところで一階はもう感染者だらけ。勝手に通って貰えばいい」
自分のバッグからライフルと予備のマガジンをポーチに詰め込みながらゆずが言う。
……病院の一階を見る。
確かに窓も入り口の自動ドアがあったであろう場所もわからなくなっている。
感染者をこの場から全部排除できたとしても、復旧する事は難しいだろう。
「じゃ、私も行く。」
ライフルを担ぐとゆずも窓枠に手をかける。
「ああ、頼んだ」
そう言うと、無表情なゆずの頬が少し上がった。
「頼もしい女の子達だね」
ダイゴが微笑んでそう言った。
「頼もしすぎるんだよなぁ。もう少し心配をかけない方向でお願いしたいんだが……」
苦笑いするカナタの背中をダイゴが軽く叩く。
「こんな世界だからね。仮に二人が戦うこともできない、ただの女の子だったとしたら、それはそれでカナタくんは心配するんじゃないかな?」
そう言われて、カナタは何も言えなくなる。
ふふっ。と笑うダイゴにカナタはつっけんどんに言い返した。
「そんな事より、こっちも危険なんだからな。あれだけの数の感染者がいるのに、こっちに気を引くんだから」
アパートに残ったカナタとダイゴがするべき事は、少しでも病院側の負担を減らして、時間を稼ぐのとヒナタ達の安全のために病院に押し寄せている感染者を自分達の方に引き寄せる事だ。
やる事自体は難しい事じゃない。窓から顔を出して少し騒げば、彼らは目の色を変えて寄ってくるだろう。
問題は、構造上病院よりも脆いと思われるアパートがどれだけ耐えられるかと、カナタ達が感染者を凌げるか、だ。
「……お兄ちゃん達、怖くないの?」
ポツリと呟く声が聞こえた。カナタ達がいる部屋の隅っこに膝を抱えて座っているリョータだ。
いつもはヒナタにベッタリだが、置いて行かれて不安そうにしている。
「怖くないことあるもんか。めちゃくちゃ怖いぞ」
「お姉ちゃんも……なんであそこに行こうとか思えるの?」
何も言わなかったが、リョータはヒナタが病院に行く事に反対したそうだった。
自分が頼っている相手が感染者に襲われている所にわざわざ飛び込んでいくのだから、それは仕方ないだろう。
「……リョータくんももう少しおっきくなればわかると思うよ?守りたいものがあると人間は強くなれるからね」
ダイゴがそう言うと、俯いていたリョータが顔を上げた。
「知らない人を守りたいって……思えるの?」
リョータは、ヒナタにとっては見ず知らずの人達のためにヒナタが危険を犯すことが納得できていない。
「リョータ、それは違うんだよ。なんて言ったらいいか、難しいんだが……ヒナタはあの人達を守るために、じゃなくて、あの人達を見殺しにしてしまったら、壊れてしまう自分の中の「何か」を守るために戦うんだよ」
「……何それ」
再びリョータは自分の膝に顔を埋めた。
カナタも今の説明で納得しろと言われたら無理な自信はある。
ダイゴと二人、苦笑いをしあう。
こんな世界で、しかもカナタ達は正義の味方とかじゃない。何も困ってるから、感染者にやられそうだからと言って、危険を犯して助けようとする必要はないのだ。
ただカナタは、おそらくみんなもだと思うが、助けることができたのに、それをしなかったために後で後悔するのが嫌なのだ。
そしてカナタ達には戦う力がある。
多分大多数の人から見ても愚かな行為かもしれないけど、それをする事によって、守られている自分の心の中の何かは確実に存在する。
誇り、自尊心、正義感……
それが何と呼ばれるものかはわからないが、それが壊れてしまえば、カナタ達は今のカナタ達ではなくなる。
それを恐れる。戦う力があるだけ余計に……
「言葉にするのって難しいな、行こう」
「リョータくんはここを動いちゃだめだよ。ヒナタちゃんとした約束覚えてるよね?」
最後に、渋々玄関まで着いて来たリョータに、ダイゴが念を押す。
ヒナタが行く前に、不安そうなリョータに絶対に勝手な行動をしないと約束させていた。
チラッと顔を上げたリョータは、黙って頷いた。
それを見て、笑顔で頷いたダイゴがはそっと扉を閉じた。
中から鍵をかける音とチェーンをかける音が聞こえる。
それを聞いて二人は病院側の部屋に急いだ。
◆◆ ◆◆
「おお、いるいる。絶景かな?」
「ヒナタ、それはここで使うべき言葉じゃない。絶対」
アパートの屋根の端、そこに立って額に手を当てたヒナタが周りを見ながらそう言ってると、聞きなれた声が聞こえた。
「わかってるよ。ゆずちゃん……いつか本当の絶景を見に行きたいなぁ。お兄ちゃんと」
「フフ……ヒナタは随分素直になった。会ったばかりの頃とは大違い」
ゆずが薄く笑ってそう言うと、ヒナタは軽く頬を膨らませる。
「もう、ゆずちゃん。その頃の事は言わないで!思い出したくもないんだから」
そう言って怒ってみせるヒナタにゆずは小さく「ごめん」と謝ったあと少し俯いた。
「ヒナタが少しうらやましい。そう思える人がいるのは……」
「えい」
そう言うゆずの頭にヒナタがチョップを落とす。
顔を上げたゆずが見たのは、少し怒ったヒナタの顔。
「ゆずちゃんにとって、私やお兄ちゃんはその対象じゃないの?」
一瞬だけポカンとしたゆずは、意味を理解するとすぐに破顔した。
「そう……だった。うん、じゃ私も一緒見に行く」
ゆずがそう言うとヒナタも満足気に頷いた。そして、電柱を見上げる。一つ頷くと、軽く屈伸をしてから言った。
「じゃ、行ってくる!」
ヒナタがそう言うと、ゆずは顔を引き締めてから告げた。
「ヒナタ。向こうに着いたら窓際から人を動かして。ヘカートは使うつもりないけど、M4でも貫通して危ないかもしれない。」
「りょーかい!」
少しおどけた様子で、ヒナタはスルスルと電柱を登り、どこからか拾って来た鉄の棒を曲げて、電線に引っ掛ける。
「よっと!」
軽やかな声と共に、勢いよく電線を滑って行くヒナタをゆずは見上げていた。
「……もう少し強く、ヒナタにはズボンを履くように言った方がいいかもしれない」
ここにカナタがいれば口を酸っぱくして説教していた事だろう。
そう考えたゆずはインカムのスイッチを入れた。
『ヒナタ……白に水色の柄物』
ゆずが言ったのはそれだけだったが、効果は絶大だったようだ。
ちょうど道向こうの、病院の隣家の屋根に飛び移ろうとしていたヒナタがバランスを崩して、屋根にしがみついた。
『ち、ちょっとゆずちゃん!いきなりなんて事……』
『ヒナタはもう少し考えるべき。ズボンが嫌ならスパッツとかショートパンツとか、色々手はある』
ゆずとヒナタがやり取りをしているが、インカムを通してである。同じチャンネルのインカムを装着してる者には会話は筒抜けである。
『ヒナタ……帰って来たらちょっと話がある。……ゆず、もっと言ってやってくれ』
疲れたようなカナタの声がインカムを通して聞こえてくる。
ゆずとヒナタの会話だけで、何の事を話しているのか理解できたようだ。
『まぁ、話は帰ってきてから。ヒナタは気をつける』
『もー!』
そう言ってヒナタはインカムから手を離す。これから突入する時になんて事を……。
そう思いながら自分の格好を見下ろす。
――うん、ゆずちゃんの意見を取り入れよう。
そう考えながら、ヒナタは病院の方に向かって飛んだ。




