5-3
もうすぐと言いながらも、それからたっぷり三十分ほど歩き、上流から流れてきている川が小さな滝を作っている所に着いた。滝のほとりに簡素だが水車を備えた小屋が立っており、中から鉄を打つ音が聞こえている。
「つ……着いた。」
それだけ絞り出すように言ったダイゴは、両手両ひざを地面に落とし、崩れ落ちてしまう。スバルもさすがに堪えたのかダイゴの隣に座り込んでいる。カナタももちろん同様である。途中、泣き言は言わないものの、限界に見えたゆずをおぶってきていたのだ。
揃って座り込んでしまった一同を見て、息も切らせていないスイレンはまたくすくすと笑うと、言った。
「あらあら……まあここらは安全と思いますし、そのままお待ちください。先生に伝えてまいりますので」
そう言って小屋へ姿を消した。
「くそ、こんなところに住むなんて、どんな偏屈じじいだ」
未だ肩で息をしながらスバルが文句を言う。いつもなら、ここでダイゴがなだめたり、たしなめたりするのだが、今はその余裕すらないようだ。
「カナタくん、大丈夫？ごめん、私が重かった」
その横ではカナタの背を降りたゆずが気遣って背中を撫でている。
「いや、別にゆずは重たくなかったよ。あのスイレンっていう人は全く疲れているようには見えなかったな。どうやったらあんな風にやれるんだろ……」
ゆずに気にしないよう言ったあと、スイレンが消えていった方を見ながらカナタは呟く。
「い、息も切らしてなかったよね。」
ようやくいくらか息を整えたダイゴがそれに続ける。
「ほうほう、満身創痍じゃのう」
その時だった。スイレンが小屋の中に入って、それから少し目を離しただけだったのに、いつの間にかそこに老人が立っている。それだけではなく、老人の後ろには付き従うようにスイレンの姿もある。まったく気配すら感じさせなかった事に、カナタ達は言葉もなく、ただ驚いていた。
「ほっほっ。美浜集落から来たそうじゃのう、用件の想像はつくが、わざわざここまで来られたんじゃ、茶など馳走しよう。ゆっくり休んでいくとよい。スイレンや」
「はい、先生。ただちに」
老人に名を呼ばれたスイレンは恭しく一礼すると再び小屋の中へ行った。
「まあ、とりあえず中に入ろうか。なんもないあばら家じゃがここは水が良い。茶はうまいぞ」
そう言い、さっさと小屋へ歩いて行く。
しばし唖然としていたカナタ達だったが、誰からともなく立ち上がり老人の後を追った。
見た目通りの簡素な造りをした小屋は、玄関らしき所にもドアすらなく、筵のようなものが下げられているだけだ。
そこをくぐり、中へ入ると一段上がって広い板の間になっていて中央に囲炉裏がある。その脇に先ほどの老人が座っていた。
「さあさ、おあがりなさい。じきに茶もこよう。」
いきなり来たというのに、警戒することもなく受け入れられて、カナタ達の方が戸惑っている。
「あの……すいません。どうして俺たちが美浜集落から来たとご存じなんですか？まるで要件もわかっているような言い方をされてましたけど……」
老人の勧めに応じ、板の間に上がりながら、カナタが感じていた事を聞いた。
「ほっほっ、そんな事か。簡単じゃよ、山が教えてくれるのよ」
「山が……ですか？」
カナタの問いに対し老人はよく分からない事を言った。
「ふむ……自然から離れて暮らすお前さん方には難しいかもしれんがな。自然と共に暮らしていると分かるようになる。山も木も、そこらに生えておる植物も野生の動物に至るまで様々な事を語ってくれるものじゃ」
まるで仙人のようなことを言い出す老人に、カナタは返事に困ってしまう。スバルなどは明らかに胡散臭そうに見ている。
「まあ、難しいかのう。儂の名は龍 安明という。刀鍛冶の真似事をやっておるよ。そなたたちは、あの歩く死体の事を伝えに来てくれたのじゃろう？」
龍老人は歩く死体と感染者のことを称した。ずいぶん直接的な表現だ。確かにあの状態で生きているとはカナタも思っていない。ただ自我があるかはともかく動いている事と、まだはっきりと正体が掴めていないことから、都市では感染者という言い方をしている。
「はい、俺たちは感染者と呼んでいますが、群れが確認されて同じ方向に進んでいるそうなんです。その進行ルートにここが入っているので集落の方たちが心配しています。そこで俺たちがその事を伝えるために伺いました。ここよりも集落の方が防備もしっかりしていますし、避難しませんか？」
カナタが訪れた用件を伝えると、いかにも泰然自若という言葉がしっくりくる雰囲気の龍老人は、カナタをじっと見ると、しばらくして答えた。
「それはありがたい事じゃ。集落に戻った時によくお礼を伝えていただきたい。」
龍老人はしわの多い顔で柔和に笑い、そう言った。
「その言い方だと避難はしないってことか？ 感染者の群れは十体二十体じゃないみたいなんだ。こんな所にいたらあっというまにやられっちまうぜ」
龍老人の答えを否と受け取ったスバルが身を乗り出して言うが、それに対しても変わらない態度で龍老人は笑っている。
そこにスイレンがお盆を抱えて奥からやってきた。それぞれの前に湯呑に入ったお茶を置くと龍老人の斜め後ろに静かに座る。
「まずは一口、飲んで落ち着かれてはどうかの？茶だけは自慢できるぞ」
龍老人は、そう言うと自分の前に置かれた湯呑を取った。その悠長な態度にいらだったのか、身を乗り出していたスバルが片足を踏み出した。
「そんな事やってるばあ……あっ！」
膝立ちになった振動か、スバルの前に置かれた湯呑がぐらりと動いた。……倒れる。思わずそこにいた誰もがそれを見ていると、すっ……とそれを支えたものがあった。
きれいな装飾のついた棒状のそれは、辿っていくとスイレンの手から伸びていた。……刀だ。鞘に見事な装飾のあるそれは、日本刀と細部が少し違うようだが。
やがて、スバルの前の湯呑が落ち着き、刀が引かれ、スイレンの横に置かれると、まるで何事もなかったように言う。
「ご無礼致しました。先生がおすすめしていたものでしたので、つい。」
そう言って静かにスイレンは頭を下げた。
スバルはおろか、カナタもダイゴも固まってしまっている。スイレンもそれ以上何も言おうとしない。
小屋の外から聞こえる滝の音と、木々の擦れ合う音が小屋の中に入ってくる。
「いただきます」
その静寂をゆずが破った。目の前に置かれた湯飲みに手を伸ばし、思ったより熱かったのか、触ろうとして手を引っ込めている。
その様子を見て、カナタは溜まっていた息を吐いた。知らないうちに呼吸を止めてしまっていたようだ。
それにしても……お茶の乗ったお盆を持って、ここにやってきたスイレンは、武器など持っている様子はなかった。もちろん身に着けていたわけでもない。
ここに来て、カナタは何かとんでもない所に来てしまったのではないかと、そう感じ始めていた。
「あち……ふう、ふう」
そのカナタの横でゆずだけは、冷まそうとお茶に息を吹きかけていた。
「ほっほっ。うちのスイレンが失礼したのう。けして害意はないのじゃが、少々融通が利かない所があってのう。どうか許してやっておくれ」
龍老人がそう言って軽く頭を下げる。
きっかけはどうあれ、いったん落ち着いた一同は、出されたお茶に口をつけていた。スバルはチラチラとスイレンの方を気にして落ち着かない様子だったが……。
「あ、おいしい。なんだろう、普通のお茶みたいだけど」
「確かに……」
ダイゴはお茶のおいしさに驚き、カナタも普段お茶の違いなんかわからないのだが、このお茶はおいしいと思った。
その様子を見て、龍老人は目を細めてカナタ達を見た。
「ここの水はとても良い水での。お茶はもちろん料理に使っても一味違うぞ？何より、鉄を打つときに使うのに最適でな、わしはこの水と、この近くから出る鉄鉱石のためだけにここに住んどるようなもんじゃ」
カナタ達の反応に満足したように龍老人は言った。
「だから避難するつもりはないという事ですか？その、例えば一時的にでも……」
飲み干した湯呑を持ったままダイゴが言う。この男のことだ、危険な場所から避難してほしいと思っているんだろう。
「ふむ……儂はのう、もともとは大陸の方で別の事をして暮らしておった。」
龍老人は唐突に語りだした。意図がわからなかったが、とりあえず耳を傾ける。
「ある日、日本の刀を見る機会があってな……一目で惚れ込んでしもうてな。取るものも取り合えず日本に来て、さる鍛冶師に弟子入りした。言っては何だがみすぼらしいお方でな、実際その日に食べるものも困窮しているくらいじゃった。しかしその技術は素晴らしかった。儂が最初に見た刀よりも素晴らしい物をその方は作っておられたのじゃ」
「それほどの腕を持ってる人が、なんでそんなに貧乏なんだよ」
「スバル君！」
歯に衣を着せる事を知らないスバルが感じたまま聞き、ダイゴがたしなめている。
「ほっほっ。その方はこう言ったのじゃ。真に素晴らしい物は作ろうと思っても作れるものではない。自然と共に在り、自然と合一できた時、その時に必要なものができると。それゆえその方はそれを目指すあまりに、茶を濁すようなものを作れず困窮なさっていたというわけじゃ。もう少し柔らかく考えて時代に合ったものをそれなりに作っていれば、そこそこの暮らしができたろうにな。」
自然。ここに来てから何度も聞く言葉だ。それが理解できれば龍老人の言う事も少しは分かるんだろうが……。
心の中でそう考えたカナタは、眉を寄せていた。
「ほっほっ。まあ儂もこの年になるまでかかって、ようやく少しは分かるようになってきた。それゆえそなたたちが山に入ったのも分かったのじゃ。あの歩く死体の事もな。」
龍老人がそう言うと、スバルが息を飲んだ。
「っ！あいつらの事がわかるってのか？」
勢いよく聞くスバルに、龍老人は穏やかに首を振る。
「全部何もかもわかるわけではないぞ？口で説明するのは難しいの。まあ、儂が言いたいのは、ふもとから集まりながら登ってきている歩く死体共は、ここは通らんということじゃ。ほれ、そなたたちがスイレンと会った場所からまっすぐ進んでいくのよ」
黙って聞いていたカナタは、龍老人の言葉と位置関係を思い浮かべる。スイレンも違う方向、低い山のほうに向かうと言っていた事を思い出す。
「じゃ、じゃあなんであいつらが集団で移動してるのか、目的がわかんのかよ？」
若干ムキになってようにスバルが言う。さすがにそれが分かれば苦労しないと、スバルを止めようと口を開きかけたカナタを龍老人の言葉が止めた。
「おう、奴らの親が呼んどるからじゃ」
龍老人はスバルの問いに、はっきりとそう言った。
読んでいただきありがとうございます。作品について何か思う事があったら、ぜひ教えてくれるとうれしいです。
ブックマークや感想、誤字報告などは作者の励みになります。ページ下部にあります。よろしければ！
忌憚のない評価も大歓迎です。同じくページ下部の☆でどうぞ！
