9-10
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斜面を駆け下りつつ、断続的に続くゆずの射撃音が次々と追い抜いていく。
まだかろうじて見えるフェンスの内側では、さっきまで顔を真っ赤にして怒鳴っていた太った男が、今は真っ青な顔で小粋なステップを踏んでいた。
銃声が響くたびに太った男の足元で地面が弾けている。
「相変わらず……無駄に精密な射撃だよな」
走りながら呆れたように言うと、ヒナタが楽しそうに答える。
「あれ、当てないほうが難しいんだけどね!さすがゆずちゃん!」
ちなみにゆずが頑なに手放さなかったカナタの桜花は、簡単にヒナタに手渡されている。
「カナタくんの隣は任せたから」
そう言ってキリッとした顔で渡していたけど、どうして本人に任せてくれないのか……
納得いかない顔でヒナタのリュックに括り付けられた桜花を見ていると、気づいたヒナタは、サッと遠ざける。
くっ……徹底している。
「ほらほら、行くよお兄ちゃん!着いたらちゃんと渡してあげるから!」
そう言ってヒナタが一段加速をして、カナタ達を置きざりにする。
そして、そのままの勢いで加速していき、ゆずによって鍵の壊れたフェンスの扉を……開けずに飛び越えた。
華麗に捻りを加えて一回転した時にはもう両手に刀を抜いていた。
右手に十一、左手に梅雪の中距離戦仕様だ。突然の乱入者に、口をポカンと開けたままの、友愛の会の構成員は肩口を深く斬り付けられ、あっという間に戦闘不能に追い込まれていく。
「よいしょお!」
そこにダイゴとスバルがフェンスの扉を蹴り開けて踊り込んできた。
「お、お前らなにもんだ!ぐあっ!」
「敵襲!てきゅう……」
スバルは鞘に納めたままの剣を手に、ダイゴは面倒なのか素手で張りとばしている。
その後ろから、ようやく走ってきたカナタがヒナタに手を伸ばす。
それを察したヒナタが抜きやすいようにリュックをカナタの方に向けると……
「あいたっ!」
カナタはまずヒナタの頭を叩いた。
「お前、スカートの時はジャンプするなとあれほど……」
そう言われてハッとしたヒナタは、慌てて周りを見て言った。
「み、見られてないからセーフ!……あいたっ」
「アウト!」
そう言ってカナタが桜花を抜く。
頭を押さえたヒナタは、そんなカナタをちょっと恨めしそうに見て呟いた。
「そんなに人に見られるのが嫌なら、まずお兄ちゃんに先に見せるから……」
その言葉を聞いたカナタが、ギギギと油の切れた機械のような動きでヒナタの方を向いたあと、桜花を地面に刺して、さっき叩いたような、平手ではなく、グーにして見せる。
「キャー!ウソウソ見せませーん。ふふ!」
頭を押さえたまま、楽しそうな声をあげて走っていくヒナタを、ため息をつきながらカナタは見送る。
「ここ……戦場なんだけどな」
「まぁまぁ……平常心なんだと思えば、いいんじゃないの?」
がっくりと項垂れたカナタにダイゴが声をかけた。
「そうそう。ヒナタちゃんがあんなにはしゃぐのはお前といる時だけだから。お前の代わりに隊長やってた頃は見てらんなかったぞ?重圧に押しつぶされそうで……。あんなに身軽に動けるほうがずっといいじゃないか」
スバルもそう言ってくるが、身軽が比喩でないから困るのだ。
「ほら、行かないとヒナタちゃんテンション上がってるから」
「お、おお……」
先に走って行ったヒナタを一人で行かせるわけにはいかない。ヒナタに続いて、ハルカとアスカが行ったから一人ではないが……
先ほどカナタ達が見下ろしていた感染者の殺到している所は、駐屯地の南側フェンス。カナタ達が侵入したのはそこより少し東側のフェンスだ。
角を一つ曲がれば最初に見ていた所に出る。
角を曲がれば、ヒナタもハルカも、アスカもそこにいた。みんな黙って同じ方向を見ている。
「お、まだ生きてる!」
何気に酷い事をスバルが口走っているが、口にしなかっただけでカナタも最初に思ったのはそれだった。
それぞれの視線の先では……
「ヒィ……ヒィ……だ、誰か……たす……けて」
息も絶え絶えになりながらステップを踏んでいる太った男の姿だった。
足を止めようとすれば、その足のギリギリに銃弾が撃ち込まれる。
ほんの少し風の抵抗でも受ければ足に当たりそうなくらいギリギリの場所に。
神がかった腕前と言えるが、使い方が……ちょっと。
「あー……あいつはいいや。放っておこう。中を制圧しよう。あわよくば友愛の会から解放。最悪でも物資の補給。行こう!」
必死に何か言いたげな視線を飛ばしてくる太った男を無視して、カナタ達は建物の中に入って行った。
「……たす……け……て、ヒィ……」
必死に足を動かしている男は気が遠くなりそうなのを、何とか堪えて足を動かす。そして見た。
自分に向かってライフルを構えている少女の姿を……
弧を描く口元、スコープを覗いていない方の目は爛々と輝き、自分を見つめている。それが少しずつ斜面を降りて、自分の方に向かって来る。
だが、そこで男に神が微笑んだ。少女が持つライフルの弾が切れた様子だ。苛立たしげにマガジンを抜き、腰に手をやるがどうやら予備はないようだ。
ああ……休める。安堵と、生まれてから一度もやった事のないくらいの運動をようやく止めることができる幸福で、その場に崩れ落ちそうになる男の目に、あるものが見えた。
少女の後ろに付き従う様に別の少女がいた。後ろの少女が、そっと自分の荷物からマガジンを取り出して少女の方に手渡した……。
少女が愉悦に染まった笑みを再び浮かべて、マガジンを装填する。
どうやら男に微笑んだのは少女の眷属だったらしい……。
「由良!次のマガジン!」
カナタ達が斜面を降り始めた後、一つ目のマガジンを撃ち切ったらしいゆずが自分が持っている分を装填しながら言った。
「え、まだ撃つんですか?」
「大丈夫、あのデブはだいぶ余剰分を溜め込んでる。……残りのマガジンは何個ある?」
そう言われて由良はリュックを下ろし、中を確認する。
「5.56はあと四つあります」
その答えを聞き、少しだけゆずは考えた。もちろんその間も精密射撃は続いている。
「うん、前進。」
サッと手を振って、事もなげにゆずはそう言った。
焦ったのは由良である。隊長であるカナタが命じた事は、この場で非戦闘員の護衛とカナタ達の援護だ。
それなのにゆずは、もう少しずつ進み出している。
「ちょ!ゆずさん、命令は待機じゃ……」
由良がゆずの肩を軽く掴んでそう言うと、ゆずは由良の方を見ようともせず答えた。
「確かにそれっぽい事を言われた様な気もする。でも、ここでこうしていても弾は手に入らないし、援護も満足にはできない。」
「で、でも」
「ここは戦場!一瞬の迷いが仲間の死の危険につながる!……違反を問われたら私が責任を取る。」
断続的な射撃は続けたまま、そう言ったゆずの横顔を見て、由良は絶句した。
そうまで言われると新人である自分は強く言いにくいし、普段の言動からゆずがそこまで考えて発言したとは思っていなかったのだ。
「……失礼しました、ゆず先輩。私着いていきます!」
グッと拳を握り、そう言った由良をチラッと見たゆずは微笑んだ。
「うん。それくらいの心構えじゃないと弾は手に入らない。あそこにある弾丸、根こそぎ奪うつもりで行く!」
「……はい?」
「ん?」
ゆずはゆずだったようだ。同僚のアスカが、戦闘スタンスや共に行動した事でハルカと一緒に動く事になったのを由良はほんの少し羨ましく思った。




