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中庭の端、なるべく人の往来しないような所に階を葬った後、ハルカとアスカはその場に膝をついて意識をなくしてしまった。
おそらくここまで強行軍で来たのだろう。普段から身なりに気を使うハルカの隊服はあちこちが破れ、ほつれて汗と血でシミを作っていた。
アスカも同様で由良が抱えて心配そうにしている。
「博士、あの宿儺って奴。どう見ますか?」
このままではまともに動けない。そう判断したカナタは、ここで夜明けまで休憩を取ることにした。
あの宿儺という存在を放置はしておけないが、このままでは向かっても無駄に命を落とすだけ、むしろそこらをうろついている感染者に遅れを取るかもしれない。
「ぱっと見ただけではねぇ……感染者と生まれつき感染しない人間の融合か。そこに狂信者たちの執念と佐久間の欲が合わさってできた怪物。階さんも半感染していたんでしょ?それをあそこまで一方的に痛めつけることができる力とか想像も出来ないね」
「そうですか……」
がっくりと肩を落とすカナタを喰代博士が慰めるように言った。
「まぁ、私は朝までここの資料を調べるよ。もしかしたら何か見つけるかもしれないし、興味もある。君たちは休むんだ、いいね?私と違って君たちは戦いの場に身を置いている。ちょっとふらっとしたでは済まないからね?」
そう言うと博士はカナタの肩をポンと叩くと、鉄格子をくぐっていった。
もちろん中は確認して、クリアリング済みだ。
「……よし、全員移動。他の鉄格子の先にスペースがあった。そこで野営しよう」
万が一誰か隠れていたり、隠し通路なんぞがあったら目も当てられない。異常があればすぐに駆けつけられる距離にいるべきだろう。
カナタとヒナタがハルカの肩を抱えて、ダイゴがアスカを、スバルが花音を抱えて鉄格子の中に入っていった。
鉄格子をくぐると、短い通路が伸びていて部屋が二つある。コンクリートでできているし、おそらく元は倉庫か何かだったのだろう。
通路の右にある部屋は、まさに倉庫という様相で、奥の部屋は改修されて、簡易的な実験室のようになっていた。
奥からは喰代博士の足音や、かすかに呟く声まで聞こえるので、異常があればすぐにわかるだろう。
カナタは自分の荷物から寝袋を引っ張り出すと、その上にハルカを寝かせ、ブランケットをかけて休ませた。その隣には由良が自分の寝袋を敷いてアスカを寝かせて、その隣に花音を寝せる。
「私は少し三人の様子を見てから休むよ。見張りもするからみんな休んでいいよ?」
ヒナタがほとんど底をついている医療バッグを片手にハルカ達のそばに座った。
「あの、私も……」
由良も付き合うようで控えめにヒナタの隣に座った。当初カナタが最初に見張りをしようとしていたのだが、自分で思っている以上に疲弊していたのか、少し座っただけで、壁にもたれかかって眠ってしまった。
「見張りは俺とダイゴでやるから、ヒナタちゃんは少し診たら休みな?俺たちはあんまり動いてないからまだ体力余ってるし……な、ダイゴ?」
「僕もけが人なんだけどね。まあ何もしてないから疲れてはいないかな。伊織ちゃんと詩織ちゃんは休むんだよ?」
「なんでなん、ウチも一緒に……」
「姉さん、そうしたらほとんどの人が起きてる事になっちゃうじゃない。ダイゴさん達を休ませるために休みましょ?」
伊織はダイゴと一緒にいたいようだったが、詩織に言われてしぶしぶ横になった。ゆずは誰に何を言うでもなく、カナタの膝を枕にさっさと丸くなっている。
結局、残っている薬品ではろくな処置もできなかったので、ヒナタもゆずの隣に横になるとあっという間に寝息を立て始めた。
「……みんな疲れてるんだね」
「そうだろうな。ゆずはやたら張り切って、俺の出る幕がほとんどないくらいだったし……でも手持ちの弾薬、撃ち尽くすか?」
呆れたように、猫のように丸くなってカナタに寄り添って眠っているゆずを見る。寝ている時のみ年相応の顔を見せる少女は、テンションが高いまま戦い続け、結果手持ちの弾薬をすべて打ち尽くしていた。
「僕たちはあまり銃は使わないから、予備の弾丸をまわすにしても……ゆずちゃんならあっという間に撃ってしまいそうだね」
ダイゴも苦笑いを浮かべて少女を見ていた。
「補給が必要だな……」
さすがに普段の楽天的な性格は鳴りを潜めて、スバルが唇を噛む。たとえ万全な補給が出来たとしても勝てる気がしない相手だったが……
「僕の腕ももう少ししたら、動くようになりそうだし……後ろでじっとしているのは性に合わないかな?」
はははと笑うダイゴを見たスバルは信じられないものを見る目をしていた。
「いや、お前……骨が砕けてるって」
「痛み止めがよく効いてるし、腫れもだいぶ引いてきたし……握力はさすがにないけど、盾になるものを腕に縛り付ければなんとかなるよ。もともとそんな繊細な動きを要求されるようなもんでもないしね。盾さえあれば、後はどうせ体でうけとめるだけだから」
「はあ……気持ちはわかるけどさぁ、そんなことして一生腕が使えなくなったらどうするよ?」
しょうがない奴だなというような視線を向けるスバルに、ダイゴは一切の迷いなく言い返した。
「来るかどうか分からない未来よりも、確実な今だよスバル君。ぼくは盾役として仲間が傷つくのを後ろで見ているなんて耐えられない。未来の事は、運よく生き残った未来の僕に任せることにするよ」
微笑みすら浮かべてそう言い切ったダイゴを見て、スバルはもう一度しょうがない奴だなという顔でダイゴを見た。
それから交代で休憩を取りながら、朝を迎えた。
誰かの時計のアラームが鳴る。ほとんどの時計が使えなくなっているが、ソーラー式の腕時計だけは影響なく使えていた。十一番隊もスバルとダイゴが所持している。元は数千円の安物のデジタル時計だったが、こうなってみるとどんな高級な時計よりもよほど役に立っているのだ。
敵は壊滅させたと言ってもここは敵地にはちがいない。さすがのカナタやゆずもアラームの音ですぐに目を覚ます。
「おいゆず、お前また……」
一度見張りの交代のために起きたカナタが、自分の膝を枕に寝ているゆずを離れた場所に寝かせた後、見張りをこなしてまた眠ったのだが、朝になって目を覚ましてみると、今度は横向きに寝ていたカナタのすぐ前に、なんなら背中を押し付けて、丸くなって眠っていたゆずが寝ぼけた顔で辺りをきょろきょろと見ていた。
「かのん……」
半分寝ぼけているのか、そう呟いたゆずの言葉に、カナタもハッとした。慌てて周りを見ると、ハルカとアスカはまダメを覚ましていないが、花音が寝ていたところには誰もいない。
そして、今いる部屋のどこにも花音の姿はなかった。
「花音?」
カナタは起き始めている仲間の邪魔をしないように部屋を出ると、今はシーンとしている通路を出口の方に向かった。