9-3
9-3
大事そうに花音を抱えてキザさんはカナタの元にやってきた。
そしてカナタに花音を託すと、そのまま倒れ込んでしまう。
「キザさん!」
ヒナタが、慌てて抱き起こす。
「ふう……凄かったわ彼女。一つ一つの攻撃が疾い癖に重い。とんでもないものを生み出してくれたわ……」
それまで張っていた気が緩んだのか、キザさんは疲れた様な顔をしている。
「あの……キザさん、もうしゃべらないで……傷、が。」
ヒナタがキザさんの体のあちこちに刻まれた傷に、触る事も出来ずに、ただ手を彷徨わせている。
手の施し様がないのだろう。それくらいはカナタにもわかる。
「キザさん……」
「なあに、そんな顔をしないで頂戴。あなた達の仲間の女の子を助けてあげたのよ?……そんな顔するよりも感謝してほしいわね?」
喋るどころか、息をするのもつらそうなほど全身に傷を受けて、それでもなおキザさんは微笑んでいる。
こう言うところが、この人は本当に強いのだと思わされるのだ。あのアマネ先輩が慕うだけの事はある人なのだ。
「カナタちゃん?本当はあの子を行かせてやるべきじゃなかったかもしれない……。今は私の中に流れている、烏丸が飲んでいた感染体の活動を阻害する薬、さっきカナタちゃんにあげたやつね?それが効いて自我を取り戻したけど、それも一時的なもの……烏丸は二日に一度は薬を摂取してたから。自我を取り戻しているのに私のこの有様よ?彼女の問題は……強すぎる力と二つの意識。片方は感染しないのに、片方は感染してる。お互いがお互いを引っ張りあって、一見調和が取れているみたいに見えるけど、その実調和ではなくて拮抗」
そこまで言うとキザさんは激しく喀血した。
「ゴホ……抑えていると、いっても……感染してる私がここまで、なるのよ?一般の人なんか……ひとたまりもないわ」
キザさんに刻まれた傷は、どれも深く武器も使わずにつけた傷とは思えないほどだ。
何より感染者特有の治癒能力がまったく仕事をしていない。
「気づいたかしら?……癒えないのよ。もしかしたら特別な個体がつけた傷は感染者に、有効なのかもしれない。そこの……医者かしら?」
キザさんの視線がカナタの背後を向く。
そこにはハルカを支えて喰代博士が立っている。
「記録しなさい。余さず……私が意識を無くしたら解剖してもいいから……カナタちゃん達に少しでも有利になる様に」
「そんな、キザさん!」
「だまって!……カナタちゃん知ってるでしょ?私はとっても負けず嫌いなの。ここまでしてくれた佐久間にも、さっきの彼女にもただで負けてやるわけにはいかないわ。私の意地にかけて、ね?ヒナタちゃん、泣かないで。可愛い顔が台無しじゃない。と、思ったけど美少女はお得ねぇ……泣き顔も可愛いんだもの、ずるいわ……私も……ほんとは、ヒナタちゃん、やハルカちゃんみたい、に可愛い……女の子に…………生まれた、かったわぁ」
そう言うとキザさんの体から力が抜けた。キザさんの体に寄生している感染体も宿儺の攻撃を受けていたのか、急激に力を失っていたのはカナタも気づいていた。
もう一つは早くに消えていたから烏丸の方はとっくに死んでしまったのだろう。
「キザさんっ!」
ヒナタがキザさんの胸にしがみつき、声をあげて泣き出す。キザさんの意識がある間は必死で耐えていたのだろう。
ハルカもとめどなく涙を流し続けていた。
目を閉じると、道場で共に過ごした日々がよみがえる。いつも優しくカナタ達を見守ってくれていた。
男性でありながら女性の心を持って、それを卑下する事もなく、むしろそれぞれの良いところを高めてどんな男性よりも雄々しく、どんな女性よりも淑やかな……
カナタ達を門下生にとって、父や兄……母や姉を体現していた。
自由奔放な天音ですら階の前に出ればしおらしく言う事を聞いていたものだ。
しばらくそうしていたが、やるべき事は嫌になるほどある。
「葬ってやろう……こんな廃墟で眠る様な人じゃない……」
涙を拭いながらカナタがそっと泣きじゃくるヒナタの肩に手を置く。
それでヒナタはようやく顔を上げたが、そのままカナタに抱きついて泣き続けた。
代わりにハルカがそばに座った。
「キザさん……今まで、本当に……ありがとう、ございました。キザさんの、教えは……この胸に」
そっと階の頬に手を当ててハルカが囁きかけるように言う。
道場主の孫であるハルカはきっとカナタ達よりも多くの思いでがあるのだろう。
声こそ出さないが、その細い肩はずっと震えている。
カナタはこの時はっきりと自分の腕が一本しかない事を悔しいと思った。
左手はいまだ泣きじゃくるヒナタを抱いている。もう、カナタに差し出す手は残っていない。
背中を見つめるしかないカナタの前でしばらくそうしていたハルカは涙を拭うと立ち上がった。
そしてカナタと目が合うと、少し照れるように笑って、こぶしでカナタの胸をこづいた。
入れ替わりにダイゴとスバルが階のそばに座った。二人はそれほど面識はなかったはずだが?と思っていると、二人は黙って、瞑目して深く頭を下げた。
しばらく祈りを捧げて二人は立ち上がる。そして、伊織と詩織も同じように冥福を祈った。
それを見て、カナタの胸に誇らしい気持ちが湧いてくる。
カナタ達仁科道場の関係者はともかく、よく知らない他の仲間達にもこの短い時間でこれだけの人がその死を悼むくらいには、与えた影響は大きかったのだろう。
最後に喰代博士がそばに座り、頭を下げた。深く、長い時間そうしていた喰代博士は、カナタ達からは見えないように首筋に両手を添えると、その手を動かした。
「ありがたく使わせていただきます。必ずカナタくん達のお役に……立たせる事を誓います。こんな世界になってから、あなたの様な人に会えた事を……尊敬できる方と会えたことを誇りに思います。どうか安らかに……」
最後にもう一度深く頭を下げると喰代博士は金属のケースに採取したものを入れると大切そうにしまった。
「意外ですね。博士の事だから、嬉々として色々するんじゃないかと危惧してたんですが?」
場の雰囲気を察してカナタがわざと明るい口調で言うと、喰代博士は憮然とした表情をする。
「や、存外に失礼だね、君も……否定できないのはつらいけど……私だってね、素晴らしい人物には敬意を見せるさ!こんな人がいなくなるのは……本当に惜しいね」
そう言った博士の顔はカナタを気遣ったものだった。
それに気づいたカナタは博士の気持ちに感謝しながら微笑んだ。
「まったくです。今の世の中、ヒャッハーな連中が生き残って人生を謳歌して、キザさんみたいないい人は苦労して早死にしちゃうんです。本当に……間違ってます」
少し俯いてそう言うと、博士の手が伸びてきて拳を作るとカナタの胸に当ててきた。
「それを君たちが是正するんだろう?期待しているよ隊長さん。……階さんから頂いた薬品や体組織は、私が絶対に役に立つ物に仕上げてみせるよ。それが私の役目だからね。そして、それを有効に使えるのは君達だけだ。頼むよ……」
そう言いつつ博士も俯いている。本当に珍しい事に……
自分は一度死んだ。実感はないが、気を失うまでの記憶も意識を取り戻してからの体の変調もそれが事実だと後押ししている。
それなのにこうして動いている。これだけ求められているのにも関わらず、キザさんはもう動かないのに。
それならばせめて自分に後を託してくれた信頼の分だけでもやるしかないのであろう。
「ええ、任せてください。この体が動く限りは……」
静かな決意を胸にカナタはそう返した。