9-2
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美鈴は自分の姿のおぞましさと、絢香をこんな姿にしてしまった悔しさ……そして目の前の同類らしい人物の腕をもぎ取ってしまった力に、ただただ恐怖していた。
意識はあるもののぼんやりして、体に自由はない。見える範囲に二本、多分逆にも二本腕がついているのだ、動かし方もよくわからない。
何でこうなってしまったのか……学校に連れてこられてから、自分を信奉する信者を扇動して、遠山に離反させた。逃げ出す事は叶わなくても、手を出せない環境を作り上げた。
それらしく振舞えば、半分以上の白づくめは自分の方についた。
しばらくは時間が稼げる。その内に隙を見てせめて花音だけでも、あわよくば絢香も一緒に逃げることができたら……
しかし、遠山の方が上手だった。動けない花音を人質にされ、美鈴も絢香も言う事を聞くしかなくなった。
悪い事は重なるもので、死んだと聞いていた佐久間と言う医者が科学者かよくわからない男が来てから一気に状況が加速した。
絢香が感染させられた。外にいる化け物のようにしたくなかったら自分を食らわせるしかない。
美鈴の事など物としか見ていない目つきと口調でそう言う佐久間に逆らう事はできなかった。
泣きながら自分の体に噛みついてくる絢香……花音さえ何かされて、自分にその一部を注入されたみたいだ。
その頃には、絶望と怒り、諦念に心が支配されていた美鈴は、目の前の男ごとこんな世界など滅んでしまえばいい。そう思った。思ってしまった……
それこそが目の前の男の望んでいた結果につながるとは思いもせずに……
気づいたら今の状況だった。
こんなおぞましい姿をした自分に、優しく微笑みながら手を差し伸べる人の手を引きちぎり、それでもなお収まる気配のない怒りが腹の奥から湧き出る。
もう、私は人を辞めてしまっているのだ。こんな私など放っておいて!
そう叫びたいのに声すら自由に出す事もできない。
それなのに……
それなのに、目の前の優しげな顔をした男性は、近づいてきて、私を抱いてくれた。
その間にも激しく抵抗する私の体は、その男性を傷つけていると言うのに……
「大丈夫、私は大丈夫よ?さあ、私を喰らいなさい。私を取り込むの。そして……お願いだからその女の子を彼らに返してあげて?」
全身を引きちぎられ、切り裂かれながらもその男性は微笑みを絶やす事なく、優しくそう語りかけてきた。見た目はお父さんみたいに優しく大きく包んでくれて……口調はどこまでも慈愛に満ちて私のことしか考えていない、お母さんの物で……
そこでようやく、私の腕の一本が大事そうに花音ちゃんを抱き抱えている事に気づいた。
何をされたのか、花音ちゃんの腫れ上がっていた腕は治療の跡が見えたが、されたのが治療だけではない事を私は知っている。
こんな世界で初めてできた友人。どこまでも優しくて元気で……私を勇気づけてくれた。大切な友人……
お姉ちゃん?
絢香?
ここは……ううん。私達ずっと一緒になっちゃったね?
口に出さなくても絢香の声が聞こえる。そうなったのは目の前の父と母を併せ持つ優しい男性の首に歯を突き立ててからだった……
「みん、な……大丈夫か?」
頭を振りながらカナタが声をかける。
「気分は最悪……まるで花音じゃない人に叩き起こされた感じ」
ゆずが頭を抑えながらそう返してくる。
「何、今の……頭の中めちゃくちゃにしていったみたいな……」
ハルカも頭を振りながら何とか立ち上がる。
「声だ。きっとあの声に……音響手榴弾みたいな効果があるんだ。」
「お兄ちゃん……リョータくんが」
見るとリョータは地面に倒れて気を失っているようだ。見たところ外傷はない。
「起こさない方がいいだろう。またあの声を聞くと厄介だ。」
何とか立ち上がった事で視線が高くなり、こっちに駆け寄るスバルとダイゴ達の姿が見えた。
「おい、何だ今の音。すげー音だったけど……」
スバルが駆け寄ると、ふらつくカナタに手を貸してくれる。続いてやってきたダイゴや、伊織と詩織もそれぞれ仲間達に手を貸してくれている。
「あれが発した声だ。気をつけろ、予備動作なしで来るぞ。それと……ダイゴ、確か荷物に射撃用のイヤーマフがあったよな?それを……そこの少年に」
ダイゴはカナタの言葉で、倒れている少年に気づいたようで、急いで荷物から射撃の音から耳を守るヘッドホンのような器具を取り出すと、少年に装着した。
「それで……これは一体どう言う状況だい、カナタくん」
喰代博士が立ち尽くして、身を震わしている。走り寄って抱きつかないだけ、かなり自制しているのだろう。
「博士!あの女の子は……その、二人の女の子がくっつけてられていて、一人は感染しなくて、もう一人は感染しているみたいで……何とか助けられませんか?」
喰代博士の肩を勢いよく掴んだハルカが要領を得ない事を言いながら、揺さぶる。
「ちょ、ちょっとハルカくん、落ち着いて!何を言ってるのか……わからないよ!」
博士はハルカの背中に手を回して、優しく撫でながらハルカを宥めている。
「ダイゴ……」
「任せて」
ダイゴは皆まで言わずとも、話し込むハルカと喰代博士のガードを請け負ってくれた。
「ちょちょ!ダンゴさん、ウチもやるで」
そう言ってダイゴに寄り添う伊織の姿を見て、思わず笑ってしまう。
ダイゴが普段使っているポリカーボネイト製の盾。それを持っているのだが、比較的小柄な伊織と盾がほぼ同じ大きさなのだ。
見るとダイゴの左腕には、雑に包帯が巻かれて首から吊られている。伊織がやったんだろうが……ヒナタが何とも言えない顔で見ていた。
その伊織の隣には小ぶりの支給刀を持った詩織もいるから、普通の感染者くらいは問題ないだろう。
問題は……
いつのまにか佐久間は姿を消していた。あの「声」にやられてその辺に転がっていれば、念入りにとどめをさしてやったものを……
あの用心深い佐久間がそんな事になるわけはないか……
両面宿儺と佐久間が呼んだ二人の女の子がくっつけられた存在は、キザさんと向き合っている。
キザさんは何かを語りかけていた。
「キャアッ!」
ヒナタが悲鳴をあげた。
はっきりと捉える事はできなかったが、恐らく両面宿儺が何かしたのだろう、キザさんの右手が引きちぎれて宙を舞った。
それでもキザさんは足を止める事なく、ゆっくりと両面宿儺との距離を詰めていく。
半感染になって、カナタは感染している人に寄生している感染体の存在が何となくわかるようになっている。感染したばかりの頃、詩織ちゃんが何となく感じると言っていた事はこれだろう。
キザさんには二つ、キザさんに寄生していたものと、烏丸に寄生していたものだろう。
ただ両面宿儺には一つしか感じない。それが何を意味するのかはカナタにわからないが……
やがて手を伸ばせば届くくらいまでキザさんと両面宿儺の距離が近くなって……
両面宿儺がキザさんの首元に噛みついた。
「キザさん!」
思わず声を出してしまったが、未だ震える膝が言う事をきかない。
キザさんはそんな俺達に平気だと伝えるかの様に片手をあげて見せた。
「キザさん……、まるで自分から抱き寄せるみたいに……」
いつの間にかそばに来ていたヒナタが、口元を手で覆いながら呟く。
そう言われれば確かにそう見えた。
そしてわずかの間そうしていた、宿儺のキザさんが身を離した時、宿儺の「美鈴」の方には感情が窺え、「絢香」の方は沈黙していた。
「美鈴」はゆっくりと腕の一本を動かして、大事そうに抱えていた花音を、キザさんに差し出した。
キザさんがそれを受け取ると、こっちを……正確にはハルカとアスカをじっと見つめた後、小さく口を動かして後ろを向くと去っていった……