6-11
「ここを?」
「はい。私少し先まで見に行きましたが、川に出ました」
そう言う絢香に危ない事はしないように、と注意はしておく。
二階に上がってきた花音達が言いに来たのは、ここを出る手段があるかもしれない、ということだった。
この建物はだいぶ手を入れてあるが、かなり古い。随所にその名残があるのだが、おそらく元々台所であっただろう土間に井戸のような物がある。
しっかりと蓋をしてあったが、干上がっている。そこまではこの建物を調べる時に確かめてある。
「昨日、この中から猫ちゃんの声が聞こえたんですよ。それで降りてみたら……」
話を聞いたハルカはアスカと目を合わせる。もし、それが本当なら相手の裏をかいて脱出できるかもしれない。
「私ちょっと見てくる」
そういうなり、アスカに持ってきた散弾銃と腰の刀を渡し、井戸にかけてある頼りない木の梯子に足をかける。
ギシッという音がして、たわんだような気がする。冷や汗を垂らしていると、花音がそばに置いていたロープを渡してきた。
「ハルカお姉さん、このロープもあんまり強くはなさそうですけど、ないよりはマシかと思って……向こうはあそこに結んでます」
そう言って、土間にある天井を支えている柱を指差した。一応アスカが確認しに行ったが、多少揺らしたりしてもびくともしていなかった。
「ありがとう、みんな。助かるわ」
ハルカがそう言って微笑むと、花音達はお互いを見合って笑い合っている。
「役に立ちました?」
「もちろんよ。まぁ、この先は見てみないとわからないけど、猫が入るんなら、外のどこかに通じている可能性はあると思うし。もしそれを使う事ができたら、みんなのお手柄ね」
ハルカがそう言うと、頬を染めて照れる姿は年齢相応のものだ。いつまでもそうあってほしい、と思わずにはいられない。
ともあれ、まずは井戸の確認が最優先である。ハルカが木の梯子を軋ませながら降りていくと、体感で10mもないくらいで底についた。
薄らと湿っていて、かつては水があったのだろうと思わせる雰囲気はあるが、今は井戸としてはとても機能しないだろう。
上の方はコンクリートで作ってあったが、半ばほどから石を組んだものになっている。
そして今ハルカの目の前には、暗い穴がある。高さはハルカが少し腰をかがめれば通れるくらいで、幅は大人が一人余裕を持って通れるくらいはある。
腰のポーチからペンライトを出して照らすが先はまだ見通せない。
ゴクっと喉を鳴らし、横穴の先へ歩き出した。
それまでは湿り気程度だった足元が、いつのまにか薄らと水気があるようになっていて、時折パシャパシャと音を出している。
あまり極端ではないが、降り勾配になっているらしく、おそらくこの横穴は井戸の排水だったのだろう。
自然に濾過された水が染み出て井戸の中に溜まり、一定の量を超えると、この横穴から外に排出される。
不純物や汚れなどは水に浮いて、一緒に排出させる仕組みになってるようだ。
昔の人の生活の知恵の一つなのかもしれない。歩きながらハルカはしきりに感心していた。
そして、やがて前方に明かりが見えてくる。
その出口に近づくにつれてサラサラと水の流れる音も聞こえてくるので、この先は川に流れていたに違いないようだ。
「……誰もいない。ここを降りて川を進めば見つかりにくいはず」
横穴から少し顔を出して辺りの様子を窺う。見える範囲には誰もいない。満足してハルカは元来た道を戻って行った。
「では、そこから脱出できるんですね?」
期待を込めた瞳でアスカは言った。気持ちはよくわかるので、ハルカも笑顔で頷く。守備隊に入って戦う人という立場に立って初めて知った事がある。
それは守りたいと思っている人物を守れない事こそ悔しいものはないという事だ。
少し離れたところで無邪気そうに話している三人の少女を見て何とかできそうな手段があって本当に良かったと思う。
「それはそれとして……」
ハルカが少し黒いものを笑みに加えた。
「あの……ハルカさん?」
アスカが不安に感じて声をかけてくるくらいには……
「いらないものはここに置いていっていいからね。いるものでも、また手に入りそうなものは置いて行っちゃっていいから。できるだけ身軽に動けることを優先させてね!」
三人の少女にも持っていく荷物の厳選をさせている。ここからは相手の監視を潜り抜けて安全な場所を目指さないといけない。その為には動きやすいことが何より肝要だ。
「で、ハルカさんは何をやってるんですか?」
ずっと気になっていたらしい、アスカが声をかけてきた。ハルカは持っていかないと決めたライフルを窓の外に向けて固定している。そして引き金からひもを伸ばして何やら調整しているのだ。
「うん?これ、トラップっていうか、脱出した事を少しでも長く気付かせないためにね」
「はあ」
黙って見ていると、ハルカはライフルから伸ばしたひもをCDラジカセにつないでいる。パカッと上が開くタイプのCDラジカセのCDを入れる所に結んだハルカはスイッチを押した。
先ほど電池を入れたばかりなので、キュルキュルという音を出してCDが回りだす。アスカも聞いたことのあるアーティストのCDだったが、ボリュームは落としてあるので音は聞こえない。
ただCDが回転するにつれてひもが巻き取られていき、最大まで引っ張られたときにライフルの引き金が引かれた音がした。
最大まで巻かれたひもは限界を超えると少し緩んで、そしてまた巻かれる。やがてまた引き金を引く。
「私たちがここを出るときに、外に向かって発砲するように仕掛けておくの。どうしても一定に間隔にはなってしまうけど少しは時間が稼げるでしょ?」
「なるほど……でも、間隔が一定と気付かれたら、何かしらの装置によるものと思われて突撃されるのでは?」
アスカが懸念点を言った。しかしハルカはそれも想定済みと笑顔を浮かべている。
「いずれにしてもいつかは来るでしょうし……後は入り口にこれを仕掛けます。」
そう言って取り出したのはフラッシュバン。スタングレネードともいう音と光で相手の体の自由を奪うものだ。普段は手で相手に向かって投げるのだが、ハルカは罠に使うと言う。
「昔六番隊にレンジャー経験者がいてね。その人がブービートラップを作るのが得意で、教えてもらったことがあるのよ」
懐かしそうに、でも悲しそうにも見えるまなざしから、きっとその人はもういないのだろう。 ハルカの頭には体格のいいそれでいて面倒見がいい中年男性が浮かんでいる。六番隊に入った当初、その中年の男性……屋敷のおかげで当時隊長だった獅童と少し離れて活動出来ていたというのもある。
当時は分からなかったが、後になって屋敷は随分とハルカの事を助けてくれていたのだ。その屋敷も仲間をかばって感染者に噛まれた。
だがその知識はハルカが受け継いでいたのである。ハルカは慣れた手つきでフラッシュバンを入り口の扉の上に設置して、細いワイヤーを伸ばすと扉のノブを経由してフラッシュバンに結んだ。
「これで扉を開けると……バン!って仕組み」
「でも非殺傷兵器ですよね?普通に爆弾とかの方が効果があるんじゃ?」
もっともな疑問を口にするアスカにハルカは柔らかく微笑んだ。
「あの子達の前でバラバラ死体を作りたい?」
そう言われ、ハッとしたアスカは口をつぐんだ。その場にいなかったとしても、もしかしたら想像して怖くなるかもしれない。
「浅慮でした。謝罪します」
そう言って腰をおるアスカに「大仰だなぁ」とハルカは苦笑いを返した。




