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それを見たゆずが目を輝かせた。
「おお……さすがパン屋さん。気が利く」
目の間のパンを取ってさっそく封を開けている。ここでゆずが言うパン屋さんというのは№4で花を売って糊口をしのいでいた女性で、木花雫という。パン屋に勤めることを夢見ていたため、ゆずがパン屋さんとあだ名をつけた。結果的にゆずとヒナタが解放したパン工場の責任者のような立場にいるため、あながち間違いではないのだが……
私はパン屋さんに勤めたかっただけで、工場の責任者はちょっと違う!とはシズクの談だ。
パンを頬張っておいしそうに表情をゆるめるゆずを楽しそうに見ながらヒナタも一つ取って封を開ける。パニック前と違い、なんの装飾もない袋に入っているシンプルなジャムパンだが、パニック前に食べていた上等なパンよりずっとおいしい。
「で、なんで喰代博士はここに?なんでカナタと一緒にいるんだ?あと……カナタの傷っていうか……」
隣のテーブルでパンの袋をつつきながらスバルが聞いた。おそらく全員が聞きたかったことなのだろう、スバルがそう聞いた瞬間、全員の動きが一瞬止まり、耳をカナタのほうに向けているのが分かる。
「いや、私たちは君たちの後を追ってきたんだよ。松柴代表と藤堂代表から依頼を受けてね。君たちが本土に渡って遠回りをしながら倉敷を目指している。何があるか分からないので、同行してくれってね。」
喰代博士がそう言うと隣に座っている詩織が後を続けた。
「私は半感染者ですし、この世界で感染者に襲われないというのはとてつもないアドバンテージですから……喰代博士の護衛も兼ねて。お姉ちゃんはその……無理やりついてきたっていうか、ダイゴも行ってるって聞いたらしく強引に……」
詩織が苦笑いしながらそう言うと、伊織は顔を染めて反論する。
「ちょ!詩織?そんないい方したらウチがダンゴさん目当てに来たみたいになるやん!ウチは純粋に№3の守備隊として応援と言うか……もともと№3の問題やしな?」
「いや、№3が狙われてるんだから離れたらまずいだろ」
あわあわと言い訳を並べる伊織にスバルがもっともな突っ込みを入れた。
「まあまあ……おかげで助かった部分もあるし。まあそんな感じで№4を経由して君たちを追っていたわけだけど……明石大橋で君たちとあのマザーがやりあってるのが見えた瞬間」
喰代博士はそこまで言うと手で「崩れた」を表現した。
「正直、これ以上追う事は無理かと思ったんだけど、詩織ちゃんが海に浮かんでるカナタ君を見付けてね。何とか助ける事はできたんだけど……」
全員の目がカナタに向かう。これまであえて誰も触れなかったが、カナタの様相はだいぶ変わっている。顔には頬を縦に裂くような傷が走り、右腕は肩の所から無い。全体的な雰囲気も鋭いものに変わっている。
全員が気にしている事はカナタも分かっているので、カナタが話し始める。
「あの時、マザーが明石大橋を壊して俺たちは海に投げ出された。あの高さから海に落ちるのもかなりの衝撃だったんだけど、その上にコンクリートの塊が降ってきやがった。無意識のうちに右手で受け流そうとしたみたいなんだが……」
そして左手で自分の右肩を触れながら「このざまだ」と自嘲気味に言った。受け流しきれずに一緒に沈んでいくところまで記憶があると話した。
「カナタ君は詩織ちゃんが引き上げるまで意識を失っていたんだけど……。何とか詩織ちゃんが助けたのはいいけど、コンクリートから飛び出た鉄筋が……顔と右腕と……、ね。」
やや言い淀むようにしている喰代博士を見ていると、想像はつく。むしろよく生きていたと言える。
「なんにしても、カナタくんが無事でよかった。詩織、感謝する」
向かいに座っている詩織の手を取って、ゆずは感謝を伝える。ただ、その詩織が何か言いたげな顔をしている。
「詩織ちゃん?」
ヒナタが声をかけると、詩織が俯いてしまった。
ゆずとヒナタは訳が分からず顔を見合わせる。
「あー……そこからは俺が話す。先に言っておくけど、詩織は何も悪くない。俺を助けてくれた恩人だからな?」
どこか何を押すような言い方をしたカナタがゆずとヒナタを交互に見て話し出す。
「えーと……そうだなぁ。まず、俺は死んでたらしい」
「え?」
「は?」
いきなりとんでもない事をぶち込んできたカナタだったが、唖然とした顔で両側から見つめられ、頬をかいた。
「まあ、そうだよな。俺だってびっくりした。まさか意識があるのに死んでましたよって聞く日がくるとは思ってなかった。コンクリートから飛び出た鉄筋は俺の腕と顔だけじゃなく、胸も貫いていたらしい。……傷もあるよ」
「カナタくん、脱いで」
「いや、何言ってんだお前」
「だって」
いきなり脱げなどと言うゆずに反射で突っ込んだものの、ゆずは納得していない。
それどころか、誰もいないとこで脱がすとか呟いている。本当にやりそうだから怖い。
「と、とりあえずだ。詩織ちゃんが陸まで引き揚げた時点で俺は死んでいたらしいんだ。その俺がなぜこうしてここにいるかって言うと……」
そこまで言ったカナタはチラリと詩織の方を見た。詩織は元気のない様子で俯いている。自分がした事で気に病んでいるのは確かだ。
「俺が今こうしてみんなと合う事ができているのは、詩織ちゃんが自分の血を俺に分けてくれたからだ。輸血とかそういうんじゃない。わかるな?」
詩織の血を与えた。その言葉に全員が少なくない衝撃を受けている。
詩織は感染している。喰代博士の開発した薬で発症を抑えている、いわゆる半、感染者ということだ。
「と、いうと……お兄ちゃんも……?」
恐る恐ると言った様子で聞いてきたヒナタにカナタはハッキリと頷いた。
シン……と室内が静まり返る。街が死に、環境音がまるでない今、ここにいる者の息遣いだけがやけに大きく聞こえる。
「そ、その!私の独断で……」
たまらなくなったのか、詩織が立ち上がり何か言おうとしたのをゆずとヒナタが止めた。詩織が立ち上がるのを見て、正確には立ち上がった詩織の表情を見てそうした。
二人は詩織を止めたあと、お互いに見つめ合い同じ気持ちなのを確認しあうように、少し見つめ合い頷くと詩織に向かって……
「詩織ちゃん、お兄ちゃんを(かなたくんを)助けてくれてありがとう」
そう言って頭を下げた。深く、綺麗な礼だった。
「あ……」
二人を見て、ようやく安心できたのか詩織は力無くソファの背もたれに力を預けた。
「カナタくんが半感染者になってしまったのには思う事は色々とある。でもこうして再会できたのは詩織のおかげ。それは間違いない」
「そうだよ。詩織ちゃんがいなかったらそのままお兄ちゃんと何も話せないままお別れになってた。こんな世界だもん死に目に会える事もないだろうし……ほんとにありがとう」
二人から純粋な感謝を告げられ、張り詰めていた心が緩んだのか詩織はポロポロと涙を流し始めた。
詩織はずっと自分がした事が正しかったのか悩んでいた。カナタもここにくるまでに何度も謝られたのだ。
助けるという気持ちがあったのは間違いないのだが、未だよく解明されていない半感染という状況に引き摺り込んでしまった事を……
きっと責められるのではないか、いや責められても仕方ない。詩織は今に至るまでずっとそう思い悩んでいたのだ。
喰代博士に頭を撫でてもらいながら、声こそ出さないが詩織の涙はしばらく止まりそうになかった。
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